2014年12月26日(金)
飽飫烹宰 飢厭糟糠 (ホウヨ・ホウサイ キエン・ソウコウ)
飫(ヨ)は飽きるに同じ。
烹宰(ホウサイ)は食物の料理、割烹と同義らしい。僕の世代は、まだ小学校あたりで「割烹着」を着ていた。
糟糠は「妻」に感謝するフレーズ限定で生き残っているが、これもそろそろ死語なのかな。
糟は酒粕、糠はぬかで、あわせて「まずい食物のたとえ」とある。酒粕は美味しいじゃないかと一瞬思ったが、あれはアルコールをたっぷり含んだ上等な粕を商品化しているからで、文字通りの絞りかすはさぞ味気ないものに違いない。
「満腹の際は美味にも飽き、飢えたときには粗末な食事でも口に合う」
ごもっとも。桃尻誤訳では、
「たらふく食って料理に飽きる、飢えたときには糠でも食らう」
だと。
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アレクサンダーの美食法というのが、『対比列伝』に出ていた。朝食を粗末にすることで昼食が美味となり、昼食を粗末に済ますことで夕食が美味となる。この流儀でマケドニアからインドまでを制覇したのだ。
そうか、食事の話じゃないんだな。
前途に広がる未知の世界を夕べの饗宴のように夢見るとき、現在の禁欲はかえって喜びとなる。目の前の小欲を我慢できないのは、大きな希望を見失っているからだ。
そういうことだ。