2015年10月14日(水)
名古屋弁を丸出しにしてしまったので、ついでに方言の話。
そつなくきれいな標準語(この言い方に実は抵抗と疑問があるが、そこはさしあたり抑えるとして)を話す人の言葉に、ちらりと方言が混じったりするのが、たまらなく楽しかったりする。これは転勤族の息子に生まれた小さからぬ利得かもしれない。
NHKの囲碁講座だと、何代か前の聞き手を担当した青葉かおりプロは、至るところに抑えがたく名古屋弁が露出し、それはそれで大いに魅力だった。何かの囲碁雑誌に青葉さんが海外での囲碁指導活動の報告を書くにあたり、完全に居直って名古屋弁を会話のデフォルトにしていたのが、ものすごく面白かった。第二標準語とも言える関西弁と違い、名古屋弁はそれを知る人間でないと書いたものからイメージできない場合がある。
いっぽう、秘めた楽しみを与えてくれるのは羽根直樹さんで、人柄の表れる折り目正しい解説の中に、「この形は、ほかっておくと死んでしまいます」などとおっしゃるのがむやみに嬉しかった。「ほかっておく」は「放っておく」を意味する名古屋弁である。「ほかる」が「放る」なのだろう。地方によっては「ほかす」とも言うよね。伊予弁もそうだったかな。
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そこで話は先の日曜日に戻る。ずうっと昔、僕が生まれた頃、柿ノ木坂で教会生活を送っていらしたNさんという方が、鳥取からいらして礼拝に出席された。脊椎に障害があり両松葉杖を操るのも簡単ではないが、それを押しての御来京である。その事情はまた別に話すとして、Nさんが柿ノ木坂訪問のついでに僕に会いに来てくださった経緯には、世間の小ささと神慮の大きさが洒落た形で現れている。
Nさんは鳥取で多方面の福祉活動に専心してこられ、世間話のように語られる諸事情の中には驚くべき事例や対処が多々含まれている。福祉を支えるのはこうした人々の隠れた献身に他ならない。奥ゆかしいけれども尽きることのないおしゃべりに耳を傾けるうち、ふと耳に引っかかる言葉があった。いま何とおっしゃいました?
「ええ、是非にと勧めてくれる方があったので、思いきって行きてみたんです。そうしたら・・・」
行きてみた!
確かにそうおっしゃったんですね。
これだから会話は楽しい、方言は捨てがたいと言うのである。一時に懐かしさが溢れてきた。動詞「行く」の連用形に促音便を用いず「行きた」「行きて」などと言うのは、昭和40年代の松江時代に経験した。島根・鳥取の山陰地方も東西に長くてバラエティのあることだろうが、出雲に関しては西の石見よりも東の伯耆と類縁性が大きくても不思議はなさそうだ。
動詞の活用から考えれば「行く」の活用はカ行が原型で、それが後に音便化したのに違いない。するとここでも、「中央で変化が進み、周辺に祖型が残る」というありがちの傾向が証明されることになる。こんなにも豊かな方言を、軽視したり侮蔑したりする理由がない。日本各地の豊かな方言こそ、無形の世界遺産である。
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「懐かしさが溢れて」と書いたが、松江は自分が住んだ場所の中で、つい最近まで懐かしいと思うことができなかった唯一の土地である。それにはそれなりの理由があり、簡単に気持ちを切り替えられるものでもなかったが、今になってようやく違う見方のあることに気づきつつある。最も自分を育ててくれたのは、実はあの時代であったのかもしれない。
悲劇的な形で途絶させられない限り、人生は案外長いのだ。
↑ シジミの産地で知られるこの湖が中国は西湖になぞらえられ、そのほとりの景勝地である淞江(しょうこう)にちなんで「松江」の名が起きたという。旧制高校で「松高」というと、伊豫の松山高校や信州の松本高校と弁別できない。そうした時、わざとさんずいを付けて「淞高」と記すことがあったと、今年の夏頃に同地の出身者から教わった。