2015年10月14日(水)
ケイちゃんに電話しながら海浜公園を抜け、大学に着けば忙しい一日である。僕は職掌柄、研究棟と事務棟を行ったり来たりして合間に作業に加わる。その間にかねて約束のあった客が訪ねてきた。研究室に通して対応し、今度は三カ所をうろうろと歩き回って過ごす。
カンファレンスルームで書類に目を通していると、
「先生、あの・・・」 とN先生(女性)
「はい?」
「先生のお部屋から、赤ちゃんの声がするようですが・・・」
なるほど廊下のはるか向こうから、紛れもない赤ちゃんの泣き声が響いてくる。
「あ、あれはですね、私の・・・」
「先生の?」 とN先生の声がいつになく甲高い。室内の皆が一斉にこちらを注目する。
「先生の、何ですか?!」
「いえ、私の、その、ゼミ生がですね、お子さん連れで指導を受けに来たんです。」
そうなのだ。以前にも書いたが、2014年度の卒研ゼミは7名の履修生が全員女性、そのうち3名が年度内に妊娠ないし出産し、「子宝ゼミ」と異名をとった。それより驚くのは3名のうち2名 ~ いずれも第二子を出産 ~ が育児・家事の傍らに卒研を仕上げてのけたことで、しかもその出来が例年の水準以上に良いものだったのである。
人のエネルギーの不思議というのだろうか、大変なことを抱えているから他のことができないという単純なものでもない、出産・育児という人生の大仕事になりふりかまわず取り組んでいく、その同じエネルギーが脳をも働かせ立派な副産物を生み出している観がある。川を下る水の流れが、ついでに水車小屋の水車を動かし、粉を引くという具合である。
3名のうち1名は卒論提出に至らなかった。エネルギーや能力が不足していたわけではない。彼女だけが初産であり、経過にいくらか慎重を期すべき理由があったうえ、出産のタイミングも不利に働いた。さらに、かなり微妙なテーマを妥協なくじっくり考え詰めており、腑に落ちないまま提出することを潔しとしなかったのである。
で、再履修。論文は昨年度中にあらかたできあがっていたから、今年は本人の気がすまない核心部分を一年かけて悩み抜いた。いくつかのポイントがあるが、その最大のものは「看護の中立性と公平性」というものである。無理して幕張まで来ずともと宥めるのを、やっぱり納得いかず赤ちゃん連れでやってきた。僕の研究室で母親は難しい顔をして考えを紡ぎ、赤ちゃんは自身の必要と欲求にしたがって泣き声をあげる、そういう次第なのであった。
途中経過は省略する。ただ、あまりに良い風景なのでついスマホで写真を一枚、本人(ただし母親のみ)の了解を得て掲載する。一幅の「聖家族」、いいでしょう?放送大学バンザイって感じだ。
それにしても「中立性と公平性」、何と難しく根本的な、そしてエキサイティングなポイントで立ち止まっていることだろう。社会というもののある限り、人類は永遠にこの問題をめぐって悩み続け、論じ続けることだろう。
腑に落ちたとも見えぬまま帰っていった学生が、翌朝メールをよこした
「昨日お話しくださった、『局外中立から公平性に踏み込んで行く姿勢』というのは、イメージで言うと平和学者ヨハン・ガルトゥング博士の提唱する積極的平和(positive peace)でしょうか。
戦争のない状態を平和と捉える『消極的平和』に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を指していう『積極的平和』。
看護の中立性について、私の言葉でとりあえず表現するなら、局外中立を維持する『消極的中立』に対し、世界中の誰もが質の高い保健医療サービスを享受できる状態、医療支出における貧困や医療アクセスにまつわる抑圧・差別など構造的暴力のない状態へむけての看護活動を意味するのが、『看護における積極的中立(性)』(positive neutral(ity))。
昨日は『踏み込んで行く』という表現から、安倍首相の『積極的平和主義』を連想してしまい、帰宅してからやっとガルトゥング博士の『積極的平和』にたどり着きました。」
返信:
「良いことを思いつかれましたね、おっしゃるとおり、ガルトゥングの言う本来の積極的平和主義と同根のものです。そう言われて私も腑に落ちました。
安倍首相の「積極的平和主義」は言葉の誤用ないし濫用であること、以前から指摘されていますがいっこうに改まりません。当然ながら、私の言いたかったことは安倍流とはまったく違います。」
あとは書きあげるだけだ。お手並み拝見といこう。