2017年4月17日(月)
川北稔 『砂糖の世界史』 (岩波ジュニア新書)
昨年あたり、息子の誰かへのプレゼント用に買ったと記憶する。自分自身はある程度知っていることと思っていたからだが、読んでみて大いに反省、ページごとに新しい学びがあった。
特定の品目に注目し、これを軸に地理的広がりや歴史的推移を展望するというのは有力な手法で、精神疾患や治療薬剤などを「軸」に置くことはよく頭の中でシミュレートするところでもある。書架の既刊書にも『ジャガイモの世界史』(伊藤章治・中公新書)といった快作があるが、「砂糖」は「ジャガイモ」以上にこうした手法に適している、というのも、文中で活写される通り「砂糖」はその生産・流通・販売のプロセスとシステムを巡って、人類世界のあり方が根本的に変わるほどの「世界商品」だったからである。
「砂糖のあるところ奴隷あり」という言葉は象徴的で、サトウキビ栽培 → プランテーション → 奴隷貿易という命題一つだけでも、このテーマの広さと深刻さが分かるというものだ。
もう一つ面白かったのは、『ロビンソン・クルーソー』の背景との関連である。中公文庫版で『ロビンソン・クルーソー』を読み直し、訳者・増田義郎氏の詳しい解説(大塚久雄氏への批判を含む)に触発されたことは以前書いた。その仔細をあらためて丁寧に教わった感じがする。
ロビンソンは一攫千金を夢見てイギリスを発つが、最初のギニア行でなまじ成功を収めたことがあだになる。二度目の航海ではトルコの海賊につかまって奴隷にされた。二年後に逃げ出し、アフリカ沿岸を原住民の情けにすがって小舟で彷徨するうちに、ポルトガル船に救われる。「ポルトガル船に」というのがいろいろと含みのあるところで、ロビンソンは寛大公正なポルトガル船長の厚意で無事ブラジルに到達し、そこでサトウキビの農園主になる。首尾良くブラジルのプランターに収まったわけで、そこで満足しておけば良かったのだが。
「(多少でも自分の本当の利益に思いを致し、正しい判断をしていたならば)このようにうまくいっている仕事から手を引き、将来の反映の見こみをないがしろにして、あらゆる危険が待ちかまえている海に出かけるようなことはしなかったはずである。(中略)しかし、わたしはせかされていた。そして、わけもわからず理性よりもむら気の命ずるがままに動いていた。」(P.64)
要するにロビンソンは、プランテーションの労働力たるべき奴隷を買いつけるために再度ギニアへ向けて出発し、そして難船するのである。その後の孤島での生活記録が世界の読者を魅了してきたのだが、以上に述べたそもそもの動機を振り返るなら、彼が舐めた辛酸への同情もあらかた消し飛ぶというものである。
著者の執筆動機にしても似たようなもので、増田氏によれば、「そこには著者デフォーの、きわめて政治的な野望が、シンボリックに投影されていた。(中略)デフォーは、オリノコ河口とその奥の「ギアナ帝国」に、イギリスの植民地を作れ、と言っているのである。」(P.467-8)
「イギリス帝国は金の窃盗からはじまり、砂糖栽培で栄えた。」(P.469)
これらの下りは、『砂糖の世界史』のある章への引用文としてぴったりハマる。僕の読み落としでなければ、残念ながら川北氏は『ロビンソン・クルーソー』に言及していないようだけれど。
『砂糖の世界史』という本の狙いからは逸れるが、ひとつ面白かったこと。砂糖の相方である茶の貿易をめぐっての軋轢が、アメリカ独立のきっかけになったことはよく知られている。世に言う「Boston Tea Party」事件であるが、僕の幼年期にはこれはまだ「ボストン茶会事件」と呼ばれていた。 誰かが "tea party" を「茶会」と訳したわけだが、この "party" は「政党」などと言う時の "party" で、グループや党派を表すものとするほうが自然だろう。川北氏が「「ボストン茶党事件」あるいは「茶隊事件」」と書いておられるのを見て、生まれて初めて気がついた。
もっとも、「イギリス当局は犯人を捕らえようとしたが、植民地人は『ボストンで茶会(ティーパーティー)を開いただけだ』と冗談を言ってごまかし、真犯人は検挙できなかった」とする説も一方にあり、あながち誤訳とも言いきれないのかも知れない。(http://www.y-history.net/appendix/wh1102-014.html)
「お前たちは茶党 tea party のメンバーではないのか?」
「めっそうもない、ただお茶会 tea party を開いてただけなんで」
そういった会話を想定すれば、どちらでもよくなるかな。
最後にもうひとつ、『砂糖の世界史』の Amazon の書評は61件の平均が4.7という高得点だが、中に一人だけ☆1つを付けた読者がある。その言いようというのが、ふるっている。
「思いつくままに書いているのか、同じような話が何度もでてきたり、いつのまにか別の話に変わっていたりして、文章の構成がみえません。途中で読むのをやめました。」
人それぞれというほか、ないのでしょうね。
Ω