2017年4月9日(日)
名無しさん、橋口誠志郎さん、みかりんさん、被爆二世さんにKokominさん、日頃からブログを御覧くださっている皆々様、祝福ありがとう。神楽坂行男さん、次回は神楽坂まで3000、神楽坂で3000といきたいですね(泣/笑)。
重ねてになりますが、独りの力ではどう逆立ちしたって良い授業なんかできません。「死生学」には神楽坂さんも貴重な一章をお寄せくださいました。自分は凡退続きだったけれど、他のメンバーの活躍で好成績を収めたチームのキャプテンって感じで、だからこその嬉しさがあります。もう一度、ありがとう。
その後2週間もブログをほったらかしだったのに、それでも毎日見ていただけることが実は大きな支えになっていました。深く深く感謝いたします。と言いますのも、少々こたえるできごとがあったからで・・・
姪が亡くなったのです。13歳と数ヶ月、この4月から中学二年になるはずの、育ち盛りの少女でした。
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学位授与式が行われ、神楽坂で痛飲したのが3月25日の土曜日。翌日は朦朧とした頭で、幼稚園の子どもたちに黙示録の話をしました ~ 「右の反対は?」「左!」「初めの反対は?」「おわり!」「じゃ、造るの反対は?」「造らない!」 ~ 子どもたち得意げ、居並ぶ保護者大爆笑、石丸アタマを抱えるの図。
「造るの反対=こわす、こわすの反対=なおす」、『造る』に始まり『なおす』に終わる聖書66巻の全体像を、絵にかくように幼児らに示すという美しいビジョンが一発崩壊、だいたいこうしたものですよね。
帰宅後は半日眠りこけましたが、ベトナム国籍の女児 レェ・ティ・ニャット・リンちゃんの遺体が発見された我孫子の事件が、眠りの壁を沁み通るように、繰り返し聞こえていました。翌日、歯医者へ向かう途上でポケットのスマホに訃報が入りました。私はきょうだいがありませんが連れ合いには兄1人弟妹3人、おかげで義理の甥姪があわせて7人の賑やかさ、その中で唯一の一人っ子を見舞った、不慮の事故でした。
それから2週間近く経ちましたが、何か月も経ったようでもあり、その瞬間が未だに続いているようでもあります。「時間感覚の喪失」などと物の本に書かれているのはこのことでしょうか。長短不明の時間の中で経験したおびただしいできごとや感覚の中から、いずれ何かが結晶していくのでしょう。今はさしあたり二つのことが痛いように感じられます。
一つは、流す涙が同じでも悲しみの質は多様であることです。祈りを共にしていても、内心の向かう先は人それぞれと言ってもかまいません。それでも一緒に泣けることがありがたくもあり、別のつらさの始まりのようにも思われます。
もう一つは ~ 突飛なようですけれど ~ 戦争というもののむごたらしさです。姪はそのように亡くなったわけではなく、なぜこの文脈でそのことなのか、自分でもよくわからないのですけれども。
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今日は棕梠の日曜日、受難節も最後の一週間に入ります。皆さん、重ねてありがとうございました。今日という日に祝福がありますように。
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