散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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付記 ~ 国書と漢籍、「令和の令は、律令の令」などなど

2019-04-02 10:07:13 | 日記
2019年4月2日(火)

 せっかくの機会なので、勝沼さんたちを相手にもう一言つぶやいておきます。

 わたくし、皆さんよく御存じの万葉びいきです。1994年、渡米直後に彼の地の空間的スケールに圧倒されそうになったとき、頼もしくも自分を取りもどさせてくれたのは山上憶良の歌であったこと、あまりに大事な話なのでまだブログにも書かずにあるぐらい。今年は年初に万葉集通読を誓ったこと、こちらは御覧いただきましたね。

 そんな風ですから、万葉から元号が採られたことは嬉しく感じて良いはずですが、なぜかあまり心楽しまないのですね。「国書から初の元号」を強く主張したと伝えられる御仁への「坊主/袈裟」心理かと突っ込まれれば、まあそんなところかもしれません。国書も多々ある中で万葉に注目したのは上出来で、そのあたりを素直に喜べば良いんでしょうけれど。

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 たぶん、私がこだわり反発してるのは「国書 vs 漢籍」という対立図式であり、「漢籍 = 中国の文書」という誤った位置づけであり、さらには中国の古典文化と現代中国の政治経済的存在感とをないまぜに等置することに対してでしょうか。

 いわゆる「漢籍」は、もちろん当時の中国人によって中国語で書かれたものに由来しますが、輸入され消化/昇華されたそれは既に「中国(だけ)のもの」ではありません。漢文訓読が決して中国語ではなく日本語の一形態であるのとちょうど並行して、「漢籍」もまた日本の文化的伝統の一部と見るべきです。

 だからこそ、呉清源師のように北京の一郭で四書五経の原文を中国語で暗誦して育った人には、日本人の読みの甘さや曖昧さが透けて見えるのですが、裏返せば漢籍はそれぐらい日本人の教養生活の中に定着していたのです。それは『西遊記』や『三国志』がまぎれもない中国文学の産物でありながら、日本の子どもたちの血肉に同化していたのと同じことです。セントルイスの中国人技官らにこの話をした時、彼らが躍り上がるように喜んだことを思い出します。「中国に遊びに来たら、俺の田舎を訪ねて来いよ、劉備元徳の墓がすぐ近くにあるんだから」といった具合。

 話が逸れましたが、このように一塊として継承されてきた古典文化の中から、漢籍と国書とを神経質により分けようとしても概して徒労であるし、それは妙な方向 ~ 現代版廃仏毀釈(?)へ我々を導きかねない。そもそも元号が中国発の制度であり、元号は中国人の偉大な発明である漢字で書かれているのだから、「国風」を徹底するなら元号などやめろというのが筋とも言えます。

 それは漢字を捨ててハングルのみにした韓国の轍を踏むもので、さすがにそこまでは考えないのでしょうけれど、それにしては妙なところで漢籍の国書のとこだわるもの、その路線上で万葉集が選ばれたのでは、万葉を心から愛するが故に喜べない。本来の漢字が中国本国で捨てられ、日本・台湾などで正しく継承されているのと同様、漢籍も当地でしっかり磨き伝えていければよいのに。
 
 国書尊重で「日本」をたいせつにと主張しているつもりかもしれませんが、それはそう主張する人の「日本」から「漢籍」という伝統教養が抜け落ちていることを証するだけです。「現に今どきの人々は漢籍など知らないではないか」といえばその通りですが、それなら記紀万葉だって大差ありませんよ。多くの人にとって、英語の方が日本の古語より心理的な距離は近いでしょうし、他ならぬ文科省がこの傾向をでっかいウチワで煽る体勢に入ってるんですから。

 面白いことに、キラキラネームのネーミングには万葉仮名への先祖返りが現れていて、何が継承され何が捨てられるか簡単ではない。藤井聡太氏のコメントや相撲取りの口上にしばしば荘重な漢語が登場することなど、まだまだ今後が楽しみではあります。

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 あとは、そうですね、一部の野党議員などと同様に「令和の令は、命令の令か」と一瞬イヤな感じがしました。その後、私なりに意味づけしてみたのは、「令和の令は、律令の令」というのです。日本史で教わったとおり、古代律令の「律」は刑法、「令」は行政法に概ね相当しました。それを踏まえ、「令」を行政法的なルールとモラルをめぐる、コンプライアンスと考えたらどうか。

 いまや、社会のあらゆる場面でずたぼろ状態ですからね。それを回復することによって日々の平和がもたらされるなら、まことに令和の御代こそ言祝ぐべけれ。

 これら一連のことについて、柳父章先生(1928-2018)と語らってみたかったのにと、心から残念に思います。

Ω


コメント御礼:新元号

2019-04-02 09:26:29 | 日記
2019年4月2日(火)
 いつもながら、コメントありがとうございます。見たところ、森鷗外に『元号通覧』という著書があるようですね、私はこっちを読んでみようかな。
 「天皇の交代を一つの時代の区切りとする」考え方そのものには、とりたてて異論はないのですよ。ただ、改元の根拠をもっぱら天皇の交代のみに限定することが、感覚的にイヤだと言ってるのです。

 昭和天皇や平成天皇に対して、最近は御指摘のような肯定的な評価が主流ではないでしょうか。というより、象徴天皇に対してとりたてて評価でもなかろうという空気が支配的になってきており、一見自然とも見えるその流れから抜け目なく利得を稼ぐ者があるという、新しくもない構図に戻っているようです。立場が立場ですから、通常の「政治家」と同じ手続きでの評価になじまないのは当然ですけれど。

 とりわけ昭和天皇の事績に関して私自身はかなり複雑な思いがあり、そうやすやすと評価する気にはなれませんが、少なくとも二つの逸話について人としての真率な苦悩を感じます。
 その一つは、対米開戦直前に詠まれたという歌:

  四方の海みな同胞(はらから)と思ふ世になぜ波風の立ち騒ぐらむ

 もう一つは、東京空襲の立案および実行の責任者であるルメイへの叙勲(!)に際して、きわめて例外的にも親授を拒んだと伝えられること。
 同胞殺戮の実行犯への叙勲を決定推進したのは、初の戦後生まれ首相と縁浅からぬ、ノーベル賞受賞総理大臣であったと考えられます。
                                        
 
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・コメントが届いた記事: 年度かわり元号あらたまる
・コメントを書いた人: 勝沼
・タイトル: 元号と天皇
・コメント
 私は新元号は喜栄と予想してましたが、かすりもしませんでしたね。
 石丸先生のご指名でさっそく『元号 年号から読み解く日本史』を図書館に予約しましたが、実は私はあまり元号自体には興味がなく、天皇という存在にとても興味があり、そういう意味で天皇の交代を一つの時代の区切りとするのは考え方としては賛成なのです(法制化は反対)。
 昭和天皇の実録の関連本や『象徴天皇の旅: 平成に築かれた国民との絆』などを読んでると、昭和天皇と平成天皇は広義の意味での戦後日本を代表する優れた政治家だったのではないかと考えています。
 新元号で沸いていますが、一番重要なことは、初めての戦後生まれの天皇が誕生することなのだと思っています。初めての戦後生まれの総理は散々でしたからね。。。

Ω