散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

碁敵から返信のないこと

2019-12-06 07:39:13 | 日記
2019年12月6日(金)
 セキネさん(仮名)は、大事な碁敵(ごがたき)である。
 一回り上の酉年でいらせられ、自由ヶ丘の教室で出会った頃は彼が4段、僕3段。従って初対局はこちらの先、じたばた余計なことをして盤面5目負かされたのを今でも覚えている。
 その後こちらの技量が上がって彼が4段、僕5段。いくらか押し気味の対戦成績になったが、所詮ドングリの背比べ。それに碁というやつは案外マナーの問題があり、碁笥の中で石をガシャガシャかき混ぜるのやら、口の悪いのやら、負けっぷりの汚いのやらいろいろで、気もちよく打てる相手は必ずしも多くない。その点セキネさんは常に温厚で礼儀正しく、投了の際に「負けました」と胸を張るのが潔い。江戸時代の古棋譜に関心あるのも気が揃い、こんな碁敵はなかなか得難いものである。
 近所の商店街にあった碁会所が、おかみさんの急な病没で閉じたのが三年前。そのお嬢さんがそれまで囲碁に関心もなかったのを、亡母の遺志を継ぎたい一心であれこれ画策し、私鉄3駅離れたところに囲碁カフェを開いた。これがなかなかの繁盛である。都合がつくとここで落ちあい、2〜3局打っては感想戦に花を咲かせるのが最近の貴重なストレス解消になっていた。

 ところが、

 先週来、そのセキネさんと連絡がとれない。何度メールを送っても、とんと返信がないのである。知っているのは携帯のメールアドレスだけで、電話番号も住所も分からないから打つ手がない。年賀状のために住所を請うたことがあったが、そういう俗な習慣はとっくに卒業済みとのこと、メールへの返信はいつも早くて確実なので油断していたが、こうなるとお手上げである。
 こちらの対局態度などにお気に召さないことがあり、それで見限られたのなら致し方ないが、70代単身で持病もあるようだから急な入院でもなさったのではないか、それだって軽症なら病院からでも返信しそうなもの、とてもとっても心配なのだ。
 今は固定電話をもたず、携帯/スマホ一つで世を渡る人が少なくない。いざとなったら電話番号を変えさえすれば、わずらわしい人間関係をリセットできるのが快適だし、そうまでせずとも着信拒否なり未読/既読スルーなりで安直に関係を整理できるという平成発のライフスタイル。それとは縁遠い律儀な昭和の御仁であることを、よくよく知っているだけに。
 セキネさん、どうか御無事で!
Ω