散日拾遺

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死生観の由来

2021-02-09 07:19:44 | 日記
2021年2月9日(火)
 韓流ドラマの中で、養い娘の不運を母親が嘆く場面がある。例によって言葉も感情表出も激しいのだが、それより驚くのはその言い条である。
 ~ 何て倖の薄い子、いったい前世で何をしたの?親を殺したの?国を売ったの?どんな悪事の報いで、今こんな目に遭わなければいけないの?ああ可哀想な子・・・

 この養母は食堂を経営しながら女手一つで娘三人を育て上げた苦労人で、気っぷがよく心温かい反面、敵役の義妹から「無教養」と嘲られるようなつらさがある。裏返せばその言葉は、韓国の庶民の中にある通俗的な信念をよく映すものとして、脚本に織り込まれているのだろう。
 もっとも、いかにも迷信じみて聞こえるものの、この反応自体は決して「無教養」なものではない。前世と今生が因果応報で連結するという考え方は、本朝では『平家物語』や『太平記』を貫く根本思想、その登場人物の口に入れるならぴったりの、素性も由緒も正しい伝統的見識である。
 ただ、この思想は仏教由来のもののはずだ。少し丁寧に言えば、仏教が克服の対象とするインド古来の世界観であり、キリスト教と抱き合わせに旧約思想が伝わったのと同じく、解脱の福音の前提として仏教とともに伝来したものと理解している。仏教もまた中国から半島を経て本朝に伝わったが、当地で仏教が大いに栄え浸透したのと対照的に、半島では儒教の影響が圧倒的に強いと聞く、そのことが驚きの背景なのだった。怪力乱神を語らず、知り得ぬ彼岸に関して沈黙するのが儒教の面目のはずである。
 
 実際、儒教道徳を象徴する長幼のけじめはドラマでも至る所に顔を出し、幅をきかしている。子の親に対する、弟妹の兄姉に対する、義弟妹の義兄姉に対する、後輩の先輩に対する崇敬は、内心はともかく礼節の規範として圧倒的な力をもつようだ。そういえばセントルイス時代、僕という日本人を通じて知り合った二人の韓国人男性が、当初はタメ口をきいていたのに実はソウルの高校で一年違いの先輩後輩とわかった瞬間、双方の挙措動作も語り口も一変して驚かされたことがあった。
 近くて遠いというのはこういうことで、儒教的伝統の浸透度もこれに対する忠誠度も天地雲泥の差と実感したのだが、どんな文化も一つの尺度で一元的に説明できるほど単純でありはしない。
 韓国版肝っ玉母さんの輪廻転生型死生観の由来、一方、中世文学ではあれほど確固として見える本朝のそれが、その後どんな経緯をたどって今はどうなっているのだか等々、まことに興味津々。

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