2022年5月3日(火)
Kさん:
久々のご連絡、嬉しく拝見しました。返信にさっそくご指摘ありがとう。そうですね、末尾は私の誤記で、今日は建国記念日ではなく憲法記念日なのでした。
でも、あながち無意味な間違いでもないのです。憲法は国のあり方を定める基本法であり、理屈としては国があって憲法があるのではなく、憲法にもとづいて国がつくられるのです。もちろん、その憲法を定める権威や権力 〜 憲法制定議会なり英明な君主なり 〜 が先在しているわけですからニワトリとタマゴみたいな話ですが、いずれにせよ現行の国のあり方は基本法としての憲法に規定されるわけで、そのように考えれば「憲法記念日こそ建国記念日である」という主張があったとしても、ちっともおかしくはありません。
実際にこれに近い行き方をしているのがアメリカやフランスで、アメリカは7月4日の独立記念日、フランスは7月14日の革命記念日が事実上の建国記念日であり、それがどれほど盛大に祝われるかは貴方の方がよくご存知でしょう。アメリカの場合はあらゆる意味で若い国ですし、7月4日の意味するところも明らかですが、フランス(France)はその気になればフランク王国(Francs)まで易々と遡れる老舗ですから、1789年のできごとを国の基としているのは興味深いところです。逆にこのことからフランス人が自分の国というものをどう考えているか、知ることができるでしょう。
そこで我が方を振り返る時、明治維新の指導者たちが討幕や新政府樹立の成った時点を「建国」の日とするのでなく、古事記・日本書紀の記す神武天皇の即位に「建国」の根拠を求めたことは、これまた深く示唆的です。私たちの国づくりの根拠は、近代的な理念や前向きの決断のうちにではなく、古来脈々と(実際には細々と)続いてきた連続性の中に求められたのでした。まさしく王政「復古」です。
紀元節が定められたのは1873年(明治6年)でした。ちょうど『明六雑誌』創刊の年ですね。敗戦後にGHQ 指令で廃止されましたが、1966年(昭和41年)に「建国記念の日」として復活しています。書きながら気づいたのですが 〜 これが文通の良さでしょう、「文通」なんて既に死語? 〜 復活にあたって選ばれた「建国記念」というネーミングは、実によく考えたものでした。ここでも私たちの「建国」の根拠は、装いを新たに船出した今のこの国やその憲法ではなく、紀元前660年に措定される初代天皇の即位に求められたのです。
そのことの当否を論じるつもりはありません。ただ、別の選択肢もあった中で現にそのように行われたという「事実」は、よくよく知っておく必要があります。意識すると否とにかかわらず、私たちはその延長上に敷かれた線路の上を走る電車に乗っているのですから。
「建国記念日」を疑問視する声も、そうした声に居丈高に反発する叫びも、最近はずいぶん静かになったようですが、問題が消えてなくなったわけではありません。それどころか、グローバリゼーションと難民多発のこの時代にあって、いずれたいへんな火種になりかねない問題が依然としてそこにあります。誰も言わないようですけれど、記紀万葉とはまったく別の伝統によって何世紀も暮らしてきた挙句、150年前に突如として新生大日本帝国に一方的に編入された琉球文化圏の事情を完璧に無視しているだけでも、私には落ち着かないところがあります。
念のために言いますが、貴方もよくご存知の通り、私自身は記紀万葉を深く愛し誇りともするクラシックな日本人です。ただ、国を営む原理をどこに求めるかは別の話であり、違う伝統を奉じてきた人々への配慮を示しつつ、そうした人々と共有できる価値を根拠とするのでなければ、一つの国の民としてまとまることはできないと思うのですよ。貴方はどうお考えですか?
さてさてKさん、いつになく踏み込んできますね。できれば私、政治の話には触れたくないのです。こんな泡沫ブログでも、時折は通りすがりに暴力的な書き込みを放り込んでいく手合いがあり、言いがかりをつけられて不愉快な思いをすることは避けたいですから。「そんなことが起きたら、それをまたネタにすれば良いじゃないですか」ですって?勘違いしていらっしゃいますね。どう見えるか知りませんが、私そんなに神経が太くはないのですよ。
改憲論議、わかりました、端的にいくつかお答えします。
貴方のおっしゃる「押しつけられた憲法」という点は、確かに看過できないポイントかもしれません。かなりの数の人々がそのように感じているというだけでも、放っておくべきではないでしょう。
これについては、いずれ行われる国民投票の際に(あるいは別にでもかまいませんが)、「改正論議を経て修正された(あるいはされなかった)条文を、あらためて私たち自身の憲法として承認するかどうか」を問う投票を行ったらどうでしょうか。実際にはいろいろと厄介な問題があり、「そもそも成立過程に反対」という票と「個別の条文について反対」という票をどう区別するのか、個別条文について意見が通らない場合に「そもそも反対」に流れる票があるのではないか等々、頭の痛いことは承知しています。とはいえそれらは技術的な問題ですよね。技術的な難しさを警戒してこうした大事な論点に触れずにいるほうが、よほど不健全ではないでしょうか。
そして9条問題です。「自衛権明記」については特に異論ありませんが、これについては以前、内田樹氏の書いておられたことが印象に残っています。(最近あまりお名前を聞きませんが、お元気なのでしょうか?合気道にうちこんでいらっしゃるのかな?)
氏の論の要点は、警察予備隊を経て自衛隊が創設される過程と日本国憲法の成立過程とをたどれば明瞭なように、憲法9条は自衛隊の存在を事実上の前提としており、その使い方に周到な注文をつけたものである、ということでした。「9条取説」説とでも言っておきましょうか。これがすっきり腑に落ちました。何で初めから、そのように明快に説明してくれなかったかなと恨めしい感じがしたものです。昭和30年代生まれのマジメな子どにとっては、相当悩ましい問題でしたからね。
そういうこともあるのだから、わかりきったことでも明記しておこうというなら、それはそれで結構かなと思います。「戦力の不保持」や「交戦権の放棄」は確かに誤解のもとだったかもしれません。
ただ、一つだけどうしても外してほしくない一文があります。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
これです。これって要するに「プーチンのようなことは絶対にしない」と宣言してるわけでしょう。ウクライナとの間の「紛争」を解決する手段として威嚇と武力行使をフル活用しているのが、現在進行中のプーチンの戦争です。そしてこれからも、随時必要に応じて実行するというのです。これはウチは未来永劫いたしませんよと。
「そんなこと明言しなくたってあたりまえだし、わざわざ明記してもインパクトが薄いでしょう」とは言えないことを、プーチン氏が鮮やかに示してくれました。プーチンの手法が通用するかどうか、固唾を飲んで見守っている独裁者たちがあることを思えば、これこそ今、明言するに値することで、この一文がこれまでになく輝いて見えます。
先見の明とはよく言ったもので、この点を明言することが国際社会の基本ルールになる日がいずれは来るでしょう。私たちが目前のこの危機を乗り切ることができたならば、ですが。
ついでながら、この文言はただ抱えているだけではなく、世界に向けて発信していくべきものです。防衛力というものの裾野が途方もなく広がっている今日の「戦争と平和」の現実の中で、こうした一文は現実の力となり得るし、そのような「戦力」として活用すべきだと私は思っています。
以上、お返事になったでしょうか?
Kさんはいつだったか、戦史や軍事に対する私の関心が妙に深いことに気づき、私の全般的な思考/志向に照らして「不思議」と表現なさったことがありましたね。
少しも不思議ではないのですよ。私にとって、戦争ぐらい嫌なもの、避けたいものはありません。父方の祖父は召集されて10年の長きにわたる軍務で寿命を縮め、父は陸軍幼年学校を経て士官学校に進んだため戦後非常に苦労し、それらはまだしも幸いなこと、母方の伯父はやはり召集され23歳の若さでサイパン島に没しました。戦争は父祖の仇であり家の敵なのです。まして同胞らの、悲惨などという言葉で表しきれないすさまじい苦難を思えば、これほど憎いものはありません。
だからこそ関心を持たざるを得ませんよね。田舎の草刈りではマムシに咬まれないよう用心が必要ですが、そのためにはまずマムシの生態をよく知らなければなりませんから。
遠からずお目にかかれますよう祈りつつ
2022年 憲法記念日
Ω