散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

ヘクソカズラ

2023-08-20 23:11:17 | 花鳥風月
2023年8月14日(月)
 名前で損をする花について、「ママコノシリヌグイとオオイヌノフグリが双璧」と以前書いた。この両横綱に続く大関を挙げておく。


 ヘクソカズラ(屁糞葛 Paederia scandens)、アカネ科ヘクソカズラ属の蔓性多年草。ほったらかしのツツジの上に白い花が星屑のように散っている。「やぶや道端など、至るところに生える雑草」と Wiki にあるが、姿を愛でてわざわざ育てる人もあるぐらいで、ツツジの樹冠とともに剪定してしまうのが惜しい気がした。
 ただ、ありがたくない命名には実は理由があり、葉などをつぶすと強い悪臭を放つのだという。ヘクソカズラ(屁糞葛)はヘクサカズラ(屁臭葛)の転訛とあるが、「どちらにしても」だ。万葉集ではクソカズラ(屎葛)だという。
 花の可愛らしさや田植え女の笠に似た形に注目してサオトメバナ(早乙女花)、サオトメカズラ(早乙女蔓)、灸に似た形や灸をすえた跡の連想からヤイトバナ(やいと花・灸花)などの別名もある由。
 しかし英語ではスカンク・ヴァイン(Skunk vine)、スティンク・ヴァイン(Stink vine)、中国語では鶏屎藤(けいしとう)など、どこまでも悪臭の風評が付きまとう。ウマクワズ(馬食わず)も同様か。
 悪臭の成分ははメチルメルカプタン(別名:メタンチオール)で、食害を受ける害虫などから身を守るためのもの(アレロパシー)らしい。ヘクソカズラヒゲナガアブラムシという昆虫は、ヘクソカズラの悪臭成分を体内に取り込んで、外敵から身を守っているという。生き物の工夫は実にさまざまである。
 花言葉は「人嫌い」「意外性のある」だそうだ。意外性…なるほど。

 以下、Wikipedia から「文化」関連事項をコピペ:

【短歌】
  • そうきょうに 延(は)ひおほとれる屎葛(くそかずら)絶ゆることなく 宮仕えせむ
高宮王『万葉集』(巻十六、3855)
 そうきょう(皂莢、ジャケツイバラ)に絡みながら延びてゆくクソカズラ、その蔓のように絶えることなくいつまでも宮仕えしたいものだ…といった意味で、高宮王が奈良時代の公務員の宮仕えに関する決意表明を歌に表したものとされる。

【俳句】夏の季語
  • 名をへくそ かづらとぞいふ 花盛り
 高浜虚子、1940年作。詞書には「九月二十九日 日本探勝会。上野、寛永寺。」とある。『五百五十句』(櫻井書店、1943年)所収。

【諺】
  • 屁糞葛も花盛り
 いやなにおいがあってあまり好かれない屁糞葛でも、愛らしい花をつける時期があるように、不器量な娘でも年頃になればそれなりに魅力があるということ。類語に「鬼も十八 番茶も出花」がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%A9

Ω




自己神化

2023-08-20 12:12:19 | 日記
2023年7月30日(日)

 人は神には決してなれません。ところが人は神のように振る舞おうとします。
久多良木 和夫 牧師『平和の実現を』 ~ 「教会婦人」2023年8月号

 自分こそが正しいと正義を振りかざすこと、自分の正義でもって他の人、他の国を支配しようとすること、それらに焦点を合わせて師は上のように書く。
 こうした人のありようを「自己神化」と見たてることが、思考とモラルにもたらす利益は甚大だが、残念なのは「神」という言葉を見た途端に、多くの人々が目を背けてしまうであろうことだ。自分は神など信じておらず、あるいは神などとうの昔に死に絶えたのだから、この種の言あげは自分には関係ないという次第。
 神を信じないのは自由だが、その代わりに自分を神にしてしまうなら滑稽でしかない。無自覚のうちにそのように振る舞っていながら、「神」と無関係な自分は自己神化とも無縁なりと素朴に思い込むなら、滑稽を超えて悲劇的である。

 高校の男子便所の壁に落書きがあった。抜き書きである。
 「あなたの思想の中でわからないのはですね、なぜ『神がいないならあなた自身が神にならねばならない』ということになるのですか?」
 落書きの主は親切にも出典を明示してくれており、おかげで数年後にめでたくネタ元に出会うことができた。
 ドストエフスキー『悪霊』に描かれた、無神論者キリーロフに対する問いがそれである。問うているのは全編の狂言回しの役を担うピョートル・ヴェルホーヴェンスキー。善良で純粋なキリーロフはやがて痛ましい死を遂げるが、彼が体現してみせた危険は生き残る者たちにまとわりつき、呪いの雨のように降り注ぎ続ける。



Ω