散日拾遺

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二十四節気 処暑

2023-08-23 07:33:01 | 日記
2023年8月23日(水)

処暑 旧暦七月中気(新暦8月23日頃)
 処暑とは「暑さが止む」という意味です。この頃から暑さも少しおさまりはじめ、涼やかな初秋の風もちらほらと感じられる日が出てきます。
 また、この日は雑節の二百十日とともに、台風の被害が多い特異日とされています。農作物などの実りの時期でもあり、暴風雨への注意が必要です。
(『和の暦手帖』P.70-71)

 暑さもおさまりはじめる時期とは、残念ながら昨今は言えそうもない。あいも変わらず全国的な猛暑、とりわけ札幌で36℃には驚いた。強いて言うなら、用事があってひと駅分ほど歩いたこの午後のこと、午後三時前に出る時にはひたすら暑さに圧し拉がれていたのが、小一時間後に戻る道ではあたりを見回すゆとりがあった。確かにピークは過ぎているのであろう。この花はルリマツリというものらしい。




七十二候
 処暑初候 綿柎開 (わたのはなしべらく)  新暦8月23日~27日
 処暑次候 天地始粛(てんちはじめてさむし) 新暦8月28日~9月1日
 処暑末候 禾乃登 (こくものすなわちみのる)新暦9月2日~7日

 「柎」はここでは花の萼(がく)の意だそうで「はなしべ」と読ませるようだが、萼なら「おしべ/めしべ(雄蕊/雌蕊)」などの蕊とは別の器官であり、混同が起きているようでもある。他に「いかだ」「うてな」「つ(ける)」などの読みがあがっており、そうした形に由来する言葉なのだろう。
 「禾」は「のぎ」と読むことが多いのだと思うが、ここでは「こくもの」、とりわけ稲のことだそうだ。綿が開花し稲が実り始める、秋はすでに始まっている。
 ついでながら旧暦八月一日(朔日)の「八朔」は処暑に属す。早稲の初穂を恩人などに贈る「田実の節(たのみのせち)」の風習が武家にあり、家康の江戸入城の日とも重なって、江戸幕府の重要な式日であったという(上掲書)。田舎の自慢のハッサクは、この時期に食べ始めるところからその名が付いたというが、まるで季節がずれている。そもそも同じ植物であったのかどうか。
***
 外出の間に高校野球の決勝が終わり、慶応が107年ぶりとやらの優勝を果たした。のびのびとよく打つ好チームで、選手らに賞賛を惜しむものではないが、一方その大応援団の応援ぶりが物議を醸している。
 高校野球の季節には仕事をすべて断り、ひきこもって全試合を見たという阿久悠先生には及ばないが、かつてはそれに近いぐらいの熱烈なファンだった。いつの頃からかすっかり興が冷めたのは、愛媛代表がめっきり弱くなったことばかりが原因ではない。強豪校が有力な選手を全国から集めることが常態になり、地域代表の実質が大きく減じたことが一つ、もう一つが応援の煩わしさである。「相手の失策を喜ぶ」といったマナーの問題はそれぞれ自戒すべきところだが、中立の立場にある人々の身勝手な「判官贔屓」もこれに劣らず疎ましく、時にはひどく残酷ですらある。古代ローマの闘技場の観客と、心理的現実はさほど離れていないのではあるまいか。
 一方のチームに肩入れして野次り倒すのでなく、選手らのひたむきな戦いに対して左右の別なく拍手を送る、テニスなどではしっかり守られている涼やかな応援の態度が、甲子園でも期待できないものだろうか。
 ちなみに「音がすごすぎる」は顰蹙ではなく、賞賛の表現なんですね…

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