散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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白紙課程、終止課程

2015-10-23 07:15:21 | 日記

2015年10月21日(水)

 単位認定試験事件、昨日の毎日新聞に続いて今朝は朝日新聞にも登場、読売からも取材があったそうだから明日あたりか、これでめでたく三大新聞の紙面を飾る。折よくというのか折あしくというべきか、今日は月に一度の会議日で、狙ったようなタイミング。終日この件が喧しく話題になったことは言うまでもない。

 各紙とも「現政権批判を含む部分を大学側が削除」といった具合に報じている。これは前述のとおりウソではないがきわめて誘導的で、小中学校の国語なら落第答案である。現政権批判を含む部分が削除されたのは事実だが、現政権批判を含む「から」削除されたのではない。批判だろうが賛美だろうが同じことで、日本美術史という科目の性質と、当該部分に続く出題の趣旨に照らして、必要のない記述であるというのが「削除」の理由である。褒めてくれた(らしい)産経新聞も、明に暗に非難している(らしい)他の各紙もこの点を一様に誤解しているが、そんなに難しい話でもないのでたぶんわざと誤解のふりをしているんだろう。

 もうひとつ、「削除」というが出題そのものから削除されたわけではない。試験は当該部分を含む形で実施済みである。放送大学は毎回の試験終了後に、試験問題を web 上で公開している。公開にあたって当該部分を伏せたというのが「削除」の意味である。

 いずれに関しても当然僕なりの意見があるが、もちろんここでは何も書かない。おかげで教授会が無用に長くなり、大いに迷惑したとだけ記しておく。

 それよりも、最近着任された他コースの先生の挨拶が良かった。御自身のキャリアを簡単に紹介する中で、「一から出直しの気持ちで白紙(博士)課程に進み、これでもうおしまいということで終止(修士)課程を手伝うことになりました」という具合に、軽くユーモラスな仕掛けあり。これだけのことでずいぶん空気が和む。教員も本当にさまざまなのだ。

 そしてこの日、僕にとっていちばんの眼目は教授会でもなければ新聞報道でもなく、31年ぶりの友人との再会だった。


悪妻の真実/山本山の海苔/単位認定試験事件

2015-10-21 07:41:51 | 日記

2015年10月20日(火)

 この秋は書かなければならない原稿がてんこ盛りにたまっている。いずれも書きたいものばかりだから、幸せはこの上もないが、思うように進まないのは非才の辛いところである。

 突然ですが、「悪妻」といえばクサンティッペ(ソクラテス)、コンスタンツェ(モーツァルト)、ソフィア(トルストイ)、もちろん話にされているだけで、実像がどうだったかは分からない。仮に事実彼女らが悪妻だったとして、それは夫らの驚くべき創造性とどういう関わりがあったのだろう?「にもかかわらず」なのか、「それゆえに」なのか。

 善意が善果を結ぶとは限らず、悪意の矢が思いがけない果報をもたらすことが珍しくない。さてさてどうなる?

***

 ブログもほったらかしで朝から原稿いじっていたら、知人から贈り物が届いた。山本山の海苔!さっそくメールで御礼を書いたら(ぞんざいみたいだが、先方の挨拶状もメールだったから、これはこれで良いのだ)、「今でもお弁当だったら、合うかと思って」と嬉しい御配慮。

 御賢察通り、今でもお弁当である。これまでのところ、生涯にわたってほとんど切れ目なくお弁当をもたせてもらった。希有の幸せである。

 山本山の包装紙の裏面がしゃれていて、江戸の古地図に今の電車の線路や駅名を重ねている。膝を打つ思い、これが東京の正しい楽しみ方なのだ。う~ん、写真がちょっと苦しいな。何が何だか分からないよね。溜池山王あたりに実際に溜め池があったことも、よく見るとちゃんと分かるんだが。

 山本山の創業は元禄3年(1690年)とある。お見事!

   

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 午後になって卒研生からメールあり、毎日新聞に放送大学の単位認定試験の一件が大きく報道されているという。

 さっそくネットで見てみた。まあ予想通り、苦笑を禁じ得ないというところである。嘘(事実に積極的に反すること)は書いてないが、中立公平な報道を心がけているとは言えそうもない。多くの「事実」の中から、読み手が色めき立つであろうことを選択的に抜き出し、ある色合いのもとに配列している。嘘ではないから責任は問われない。まあ手練れ(てだれ)の技と拍手を送っておこう。

 書きたいこと、書けることはたくさんあるけれども、この件ばかりは「あとは沈黙」である。一教員の私的なコメントが暴走して、大学全体に迷惑をかけることがあってはいけない。「大学全体」という時に僕の念頭にあるのは、何よりもまず9万人の学生のことである。その多くは放送大学に所属することを誇りともし、名誉とも思っている。上記の卒研生も、ことが放送大学の名誉を損なうのではないかと心から案じて、急ぎ一報してきたのだ。愛知県在住の70代男性、精神障害者家族の立場から一念発起し、精神疾患の病名変更について見事な卒業研究を仕上げつつある。

 彼らのためにこそ、事態が適切・迅速に収拾されることを望みたい。そういう配慮を報道関係者にも少しは共有してもらいたいが、犬に吠えるなというようなもんだろうな。

 ついでながら某有名私大の名誉教授が、放送大学の姿勢に対して別のところで激烈な批判を述べている。これなどはまったくの事実誤認に基づいたもので、つくづく考えさせられる。これからしばらく、この件をめぐっていろいろ勉強できそうだ。人がいかに真実に関心をもたず、自分の言いたいことだけを言いつのるか、そうしたことの連鎖が雪だるま式にどれほどの愚行を生み出しうるか、そこから誰がどのような利益を得るか、そして「責任」という言葉がいかに空しいものであるか・・・気の重いことだ。

【記事】

<放送大学>政権批判の問題文削除 単位認定試験「不適切」

 今年7月に出された放送大学の単位認定試験問題を巡り、大学側が「現政権への批判が書かれていて不適切」として、試験後に学内サイトで問題を公開する際、該当部分を削除していたことが分かった。この部分は安全保障関連法案を念頭に置いたもので、当時は国会審議中だった。一般的に担当教員の裁量があるとされる単位認定試験に対し、今回の大学側の対応は論議を呼びそうだ。

(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151020-00000010-mai-soci)


「いぶき」と「いびき」

2015-10-19 13:52:18 | 日記

2015年10月19日(月)

 「いぶき」という言葉は響きがよく、語源と思われる「息吹」の連想は力強い。いろんな字の当て方もあって、人名にもときどき使わる。男女どちらにも使えるということもあるかな、知人に一人(男の子)、親族に一人(女の子)この名がある。字の当て方はまったく違っている。

 うっかり「いびき」って言い間違えたら大変だねと冗談を言って、ふと思った。「いびき」も「息」に関係するのだから、もともと近い関係の言葉なのかもしれない。調べてみると案の定で、「いびき」は「鼾」の字を当てるけれど、もともと「息引き」の意と思われる由、大辞林その他にある。確かに鼾は、呼気よりも吸気の際のひっかかりとして起きることが多い。いっぽう「息吹き」はその字の通り、吹く息すなわち呼気の勢いが原義である。してみると、

 いびき = 息引き = 吸気

 いぶき = 息吹き = 呼気

 あらましそういう関係になるのだろう。

 長男が誕生して家に帰ってきたとき、すやすやと寝息を立てる音が静かな部屋の中で思いのほか大きく響いた。それを聞いていて、確かに新しい命がこの家に与えられたのだと、強く実感したことを思い出す。生きるとは、たえず息することに違いない。息苦しいのは生き苦しいことである。


三里塚詣で

2015-10-19 12:36:59 | 日記

2015年10月18日(日)

 土曜の晩に絵を見てオペラを見て、さっさと休んで日曜は早起きし、三里塚教会へ。日暮里から京成線に乗るのが安くて簡便、ただ成田空港へ向かう特急で、それほど混んでいるわけではないのに何となく落ち着かない。旅行を終えて帰る外国人観光客、これから出かける邦人旅行者、それぞれの緊張やら疲労やらが伝わってくるようである。そう、情緒や気分は如実に伝わるのだ。

 窓から入る日光は明るく、千葉の空は広い。日暮里から京成成田は62分かかる。佐倉を過ぎての駅名に昨年のことを思い出した。佐倉、大佐倉、酒々井、宗吾参道、公津の杜・・・成田山へ徐々に近づくのが駅名から分かる。酒々井(しすい)は教わらなければ読めない地名で、親孝行息子の井戸から酒が湧いたという伝説にちなむのだという。

・・・その昔、老いた父親と孝行息子がいた。 息子は、父親に好きな酒を飲ませたいと、毎日せっせと働いた。 ある日、仕事にあぶれて金がなく、酒を買えなかった。 肩を落とした帰り道、ふと道端の井戸から酒の香りが漂ってきた。 見ると井戸から酒が湧き、息子はそれから毎日、父親に酒を飲ませることができたという。伝説の井戸は、鎮守・麻賀多神社(佐倉)の御神酒を造っていた円福院神宮寺の井戸とされている。 寺は江戸期に衰退し井戸も埋まり、傍らの板碑(板石塔婆)だけが残っている。

(ぐるり房総>房総のまち>酒々井町 http://homepage3.nifty.com/f-shima/bouso/sisui.html)

 ということは、江戸時代よりはだいぶ古い伝説の由来なんだね。美談ではあるけれど、この孝行息子はアルコール依存症である父の enabler とも見ることができる。それはともかく、成田山へ徒歩で向かう人々は、道々こんなことも語りかわしながら参詣の気分を高めていったのだろう。

 

 

  などとありがたく借景しつつ、僕の詣でる先は成田山新勝寺ではない、日本基督教団三里塚教会である。前回と同じく、駅までWさんがわざわざ出迎えてくださった。

  礼拝には幼稚園児の母父ら20人ほどが出席、明らかに外国人と分かる人が父母一人ずつ。「子どもを招く主イエス・キリスト」と題して30分ほど話をし、大多数は真剣に聞き入ってくれた。終了後に幼稚園の園舎で心のこもったおもてなしをいただき、まったくもって遠足気分である。

 野村先生御夫妻とテンマくんの元気な姿を確かめ、秋の三里塚詣ではめでたく終了した。ああ、美味しかった!

    


Le nozze di Figaro

2015-10-19 11:44:47 | 日記

2015年10月17日(土)

 歌劇は『フィガロの結婚』、これは文句なく楽しかった。この序曲を初めて聞いたのは小4の時で、内中原小学校が昭和41年の松江市内の音楽コンクールで銀賞になった時、優勝校が演奏したのがそれだった。優勝校の名前は忘れたが、太田定明先生のバイオリン教室で同門だった小野さんと栂(とが)さんがメンバーにあり、この人たちの確かな演奏のおかげでテンポの速いあの序曲が見事こなせたのである。こちらは確か、『水上の音楽』だったかな。

 4幕ものの全体を通して聞くのが、実は初めてだった。ただ、これも30年近く前に映画『アマデウス』を見たとき、サリエリの葛藤を決定的に深めるきっかけとしてこの作品が扱われ、むしろそのことが印象に残っていた。そのためクライマックスについては、少々勘違いをしていたらしい。ビデオ版の字幕でサリエリの語るところは、「大団円間近の場面で、伯爵夫人は小間使いに変奏して夫の逢い引きの場に出かけ、年来聞くことのなかった夫の愛の言葉を身代わりとして聞き、涙にくれる」という風に読めた。僕の記憶違いかもしれないが、それならそれで捨てたものではない。これほど痛ましく、しかも甘美な涙があるだろうかと思われる。

 実際は少しだけ違っていて、伯爵夫人の涙はさほどの注目を与えられずに場面が展開する。ここに巧みな鏡像関係があって、伯爵は夫人とフィガロが逢い引きしていると思い込み復讐の怒りで一杯になるのだが、夫人と見えたのが実は衣装を取り替えたフィガロの新妻スザンナ、つまり自分が誘惑しようとしていた「小間使い」であることを知る。そのとき伯爵は自分の企ての愚かしさと罪深さを思い知り、伯爵夫人に赦しを請う。

 "Contessa, perdono"

 寛容なる伯爵夫人が、赦しを与える。

 "Dico di si."

 悔い改めと赦しが大団円を飾る、この場面を指してサリエリが「赦しが満場を満たす」と悔しながらに絶賛したのだ。これで腑に落ちました。

***

 何でと訊かれると困るが、好きなオペラを挙げろと言われたらワーグナーものは番外の別格として(好きかどうかは微妙だが別格の凄まじさで、学生時代むやみに聞いた)、『カルメン』と『フィガロ』が外せない。

 『フィガロ』の原作と台本にも敬意を表する必要がある。

 原作はボーマルシェ(Beaumarchais)こと本名ピエール=オーギュスタン・カロン(Pierre-Augustin Caron)の戯曲『たわけた一日、あるいはフィガロの結婚』。彼は『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』『罪ある母』のフィガロ三部作で有名なんだそうだ。イタリア語の台本を書いたのはロレンツォ・ダ・ポンテとある。

 音楽は聴くものだ。