移動教室から帰って着たら東京は梅雨明けしてました。
おかげさまで毎日暑い日が続いております。
そんなときに日本で古来より続くしきたりとして暑中見舞いってのがあります。
年賀状ほどメジャーじゃないものの、ビジネスマナーとしては抑えておきたいところ。
一般教養の教育もしっかり行なっている私の学校では生徒が、
任意で世話になった先生に夏休み中に暑中見舞いを出す、ってのがあるんですが、
ここ一週間ぐらいでちょくちょく来始めるようになりました。
さすがに担任はやっていないので、そこまで膨大な量ってわけじゃありませんが、
10数通は届いております。
課題として出されたものながら、やはり葉書で季節の便りが来ると嬉しいものです。
宛名のところの敬称が「~先生」とついているのも少々恥ずかしく感じますが。
一応、来たものに関しては全て手書きで返事をしていて、
その文面も全て違ったものにしているので、大変ではあるのですが、
これも一種の「嬉しい悲鳴」なのかもしれません。
これまた教師冥利に尽きる、ということなのでしょうかね。
しかし、顧問をしている野球部の生徒から一枚も来ないのはなぜだ…。
恐懼再拝。
おかげさまで毎日暑い日が続いております。
そんなときに日本で古来より続くしきたりとして暑中見舞いってのがあります。
年賀状ほどメジャーじゃないものの、ビジネスマナーとしては抑えておきたいところ。
一般教養の教育もしっかり行なっている私の学校では生徒が、
任意で世話になった先生に夏休み中に暑中見舞いを出す、ってのがあるんですが、
ここ一週間ぐらいでちょくちょく来始めるようになりました。
さすがに担任はやっていないので、そこまで膨大な量ってわけじゃありませんが、
10数通は届いております。
課題として出されたものながら、やはり葉書で季節の便りが来ると嬉しいものです。
宛名のところの敬称が「~先生」とついているのも少々恥ずかしく感じますが。
一応、来たものに関しては全て手書きで返事をしていて、
その文面も全て違ったものにしているので、大変ではあるのですが、
これも一種の「嬉しい悲鳴」なのかもしれません。
これまた教師冥利に尽きる、ということなのでしょうかね。
しかし、顧問をしている野球部の生徒から一枚も来ないのはなぜだ…。
恐懼再拝。