恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

筑波山&加波山ツーリング

2006年08月18日 | 二輪/四輪車とか
過去の日記というのは結構便利なもんで、
あそこへ行った時にはどれぐらい時間がかかったかなんてのを、
自分の経験をすぐに書き起こしたものから知ることができます。
昼近くまで寝てた今日もどこへ走りに行くか、
時間的にも距離的にも適当な所を自分の日記でリサーチ。
千葉はいい加減行き飽きていたので、茨城辺りを…と考えて調べると、
ありました。一年半前の年始、私は筑波山へ行ってました。
距離的には遠そうなのですが、この日も昼出発で何とかなってるので、
ということで茨城方面へ出発です。

本日は茨城方面へのアクセスのメインルートではなく、新4号バイパスで。
埼玉を北上し、途中で東へ進路をとるというルートです。
バイパスも新道とはいえ、途中までは単調な一車線で退屈なのですが、
125号線に入って筑波山が近づくと道も面白味を増していきます。
ますは前回と同様に筑波山スカイラインで頂上方面へ。
最近になってここの通行料金が無料になったらしく、
料金所が撤去されていました。お、ラッキーと思って上に進んでいくと、
どういうわけか前回は必要なかった駐車料金が徴収されるらしく、
上るだけ上ってさっさと降りてきちゃいました。
どっちにしろ金がかかることには変わりないんですね。なんか変なの。

筑波山を降りた後は地図にあった地名がぱっと目に入り、
加波山神社を目指すことに。いやー、あの加波山事件の加波山ですよ。
日本史好きにはたまらないポイントだと思います。
二学期にはここも授業で触れるので、話題づくりの一環として行ってみることに。
ただ、ここに至るまでのルート選択を誤ってしまったために、えらい目に。
せっかくだから峠道っぽいところをということで安易に道を選んだら、
もうそこはバイクや車が通るのは不可能なんじゃないかと思えるような狭路。
ところどころ舗装ははげてるわ、路肩は崩落してるわ、
木々があまりにも鬱蒼としていて夕方になると夜のような暗さだわ。
オフ車ならいいんでしょうが、私のバイクじゃ荷が重過ぎます。
おまけにこの道を辿って加波山神社へ行くまでの20km近く、
誰一人としてすれ違う車がなかったので久々に心細くなっちまいました。

おかげで神社を参拝して来た道を降りてきたら周りは真っ暗。
街灯がひとつもないような道で、自分がどこにいるのかわからなくなり、
帰りがけにガソリンスタンドのおじさんに道を聞いて命からがら常磐道へ。
千代田石岡インターから大急ぎで東京方面へと向かい、
高速を120キロ巡航し、1時間弱で帰宅いたしました。
7時前には帰ってくるはずの予定が、9時前になってしまいました。
ま、こんな予想外のミスも日帰り旅行ならではですかね。
久々にロングツーリングでした。

恐懼再拝。

《Study:加波山事件》
自由民権運動末期におこった激化事件の一つ。1884年(明治17),栃木・茨城両県の急進的自由党員と福島事件の政府弾圧に憤激した福島自由党員が結合し,栃木県庁開庁式に参列する政府高官と県令として赴任して来た三島通庸を暗殺し,革命的挙兵を行おうと企てたが,失敗。茨城県下館に走り,計16名がやむなく蜂起加波山にたてこもったが,間もなく捕えられ,7名の死刑をはじめ全員が重刑に処せられた。彼らは,全国的革命運動の口火となろうとし,農民の決起も期待して,農民側にも支援の動きがみられたが,結局,結合・組織化には成功せず,孤立した決起に終わった。この事件は,「専制政府転覆・自由立憲政体造出」を掲げた最初の決起であり,秩父事件への高まりを醸成したが,同時に,自由党指導者を驚愕させることともなり,1884年10月,自由党解散へとむかわせた。また,初めて爆裂弾が使用されたということで,当局はこののち,爆発物取締罰則を制定した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする