私はそんな彼女の逡巡として元気を無くした姿の向こう、壁に有るだろう、何時もそこに存在している筈の壁時計を見遣った。そこには機嫌を損じた彼女に対する私の出すべき答えが有るのだ。
玄関にいる訪問者の子供の視線に、この家の子の母は背後の時計を振り返った。彼女はおやっと思った。時間が…。そう呟いた彼女は店の時計が止まっていることに気付いた。時計の長針が先ほど見た時と寸分違わぬ同じ位置にあったからだ。じゃあ、彼女は思った。『この時計は違っているんだ。』。そう考えると、彼女はきちんとした答えの出せ無い問い掛けをこの他所の家の子にした事だと、俄に罪悪感さえ湧いて来た。如何しよう、こんな事問い掛けるのでは無かった。と後悔しても今更始まら無い彼女だった。
「口から出した言葉は戻ら無い。」
気不味くなったその場を取り繕う様に彼女は口にした。今迄自分が威勢よく話をしていた子供の顔さえまともに見られない。そんな彼女は目の前の子供から顔を背けると視線を外し、それを床に投げ掛けた。彼女はその儘ふらふらと店内を歩み出し、ぐるぐるふらふらと何歩か店先を回遊した。
彼女が臍を噛むような気持ちでいる間、玄関にいる子は時計に自分の視線を注ぎ何事か注力していた。短針と長針の位置、その指す数字と、だから何時何分だと時計の時刻を読み取ると、その後はそれでもと、何時に何分過ぎ何分前と答える方が良いのだろうか、と思い惑い始めた。自分が何時何分と得意気に言うと、母は時折仏頂面をして言葉を切った。
「こう言う時は、何分前とか後(ご)とか、後なら後(ご)と言うんだ。」
何分後だ。と教えられたが、その時自分が合点の行かない難しい顔をしていると、珍しく母は、「後(ご)が分からないんだね。」と、子供はそういうもんだ。私もそうだったらしいと言うと、『何分過ぎ』という別の言い方を伝授してくれた。これなら私にも容易に理解する事が出来た。
『おばさんは、何方の答え方を求めているのだろう?。』
私は煩悶した。
ズバリこちらだ。いや母の様に捻った言い方だろうか?。答えは相手の求める答え方でなくてはいけないのだ。人と人の問答ではそうなのだ。しかも素早い答え方が良いのだ。と、この頃こう思い込んでいた私は目の前の時計から視線を外し、自分が佇むこの家の玄関の限られた空間を見詰めると一心不乱、様々な思考に焦った。