思春期が済んで青年期に入ると、思春期時代の友人達は地域的にも皆分散してしまい、暇な時に集うという其々に落ち着いた懐かしい顔ぶれのグループに変わりました。社会人になると尚更です。皆それぞれの生活の中で思春期、青春期時代の友人達は結婚と共に消えていきました。地域が近くないと交際も出来ない友人・友情です。その後環境が違ってくると尚更の事になりました。
社会の最小単位が家族と定義されるように、皆自身の家庭が大切であり、社会的付き合いも家族ぐるみとなって行くのが普通でした。私も私事では子供関係の付き合いが主となりました。しかしひとり親家庭の分、ほぼ子供同士の付き合いだけに限られてしまいました。私自身の社会的な付き合いと言えば趣味の部分でしたが、この部分で出来た友人は前述した通り長続きしませんでした。私には個人的な付き合いのある親しい友人というものが無いままで長く来ました。時に幼馴染と会う機会もありましたが、場所が近く学校が同じという共通点が無くなると、時間的にも長く離れていた事から話題も無くなり、次第に沈黙が続き一緒にいるのが気詰まりになりました。長い付き合いの友人でも、気が付くと性格の不一致や相性の合う合わないが出てくる物です。改めて其々の趣味や個性の違いに気付いたりします。
また、過去には宗教団体に入ってそちらで友人が出来たからと離れて行った友人もいました。宗教関係で結婚した友人もいます。時に友情にも恋愛と同じく邪魔が入って来るのは確かな事です。宗教で友人を作る人もいれば、宗教で友人を失う人もいる、そういった事も世の中にはあるのだと知っておくとよいでしょう。異性が友情の邪魔になる事もあれば、社会にある団体が邪魔になる事もある、個人の自由が認められているのですから世の中全く個々人の自由です。それは確かな事ですね。そう思うと降って湧いたように、また徐々に人間関係が壊れるかもしれないという事はまま有り、心構えして置いた方が良いように思えます。人との付き合いや期待感が希薄になってしまうのは否めません。
こうやって考えてくると、人生観、性格、そう言った諸々の物で相性の合う相手が良い友人なのだろうと思えます。その様な人に時を同じくして出会えたなら、お互いにゆとりがあり付き合いを長く続ける事が出来れば、それが生涯の友人になるのかもしれません。
傘の思い出2 終