最近でもないのですが、毎日のように一人暮らしの伯父から電話が来るようになって、その話というのも暇潰しの憂さ晴らし風なので、聞くのも嫌になります。
両親の相手+伯父というのは手に余るので、伯父の相手まで出来ない、こんな電話は受けられないと断っておきました。
この断りにほとんど動じなかった伯父は、すぐにまた毎日の電話かけをずーっと続けて来たのですが、ここ何日かは
「援助して欲しいなら、出そうか?」
「何か援助して欲しい事無い?」
という言葉を口にするようになったようです。
(伯父の電話は母任せ。私はシャットアウトにしています。電話には全く出ません。)
このブログで以前書いた出版の話でも、伯父は何処かから聞いたのでしょうか?
伯父にぽんと2百万くらい出してもらって、本にするのは簡単かもしれません。
しかも、援助というからには返済しなくてよいのでしょう。
でも、一見とてもよい話にみえても、なんとなく「援助」という言葉に妙な気持ちがする私です。
母ときたら、昨日は受話器を手に
子供の車でも買ってもらおうか、
などと口走る始末。
親戚のお古の車を貰うなら世間でよくある話ですが、わざわざ買ってもらうなんて
なんだか引っ掛かりを覚えます。
しかも伯父がそんなにお金持ちかというと、自営業の一人暮らしで末も近いという…
そんな意味での余裕というお金です。
安易に車が手に入るのも、子供のためによいこととは思えない。
私の本の話にしても、簡単に1人の人のお金で出版して、売れるものでしょうか?
売る必要が無い、欲しい人がいない、そんな本を出版する事に意味が無いように思います。
私の作品が好きだから、本になったものを買いたいから、そんな気持ちの集まりで本に出来たら、そう思って出版の話を以前書きました。
私の作品を世に発表するだけなら、このブログで十分過ぎるほどの役割を果たしてくれています。よね。
口幅ったくなってしまいました。
難しい事を言いたいわけではなく、広く沢山の人の意思で本に出来たら理想的です。夢があります。