昨年は母の初盆ということもあり、何かと気忙しく過ぎたお盆でしたが、今年は気持ちも落ち着き、極めて冷静に過ごせたお盆でした。外出も墓参り以外、特筆するような外出先は無く、大抵は家にいて過ごしました。そうして両親は素より、自身の先祖に思いを馳せた1週間でした。
と、そうこうする内に、私は家の近所におられた自称「お姉さん」、の事を思い出しました。私がその方におばさんと言うと、「未だ嫁に行っていないからお姉さんです、私のことはお姉さんと呼びなさい。」と言われたものです。私は面白がって、この方とその遣り取りを数回行ったものです。そうこうする内に、その方はその家の近所界隈の皆さんの祝福を受けて、幸福そうにお嫁に行かれました。
さて、この方の事を思い出したのは、父に思いを馳せていた時でした。私に作家にならないかと言い出した父、最初に父からこの言葉を聞いた私は、あれっ!と思ったものでした。その後、また突拍子もない事を父は言い出したものだと、私は不思議を通り越して不審に思ったものでした。この言葉は、つい前日かその前日に、先のお姉さんから私が言われた言葉でも有ったからでした。「あんた作家になりなさい。」、とお姉さんは言ったのでした。
思い出せば、父の言葉も、「お前作家になるのか?。」が第一声でした。こう問われても、そんな職業を知らなかった当時の私には、皆目意味不明です。答えようも有りませんでした。只々、直近で父とお姉さんの発した単語の、不思議な一致に驚いていただけです。
当時の私は「偶然」という事、言葉を知っていたのですが、そんな偶然が有る筈無い、という事には全く考えは至らず、ただ妙な事だとのみ一片、脳裏に奇妙に感じ取るばかりでした。
人生百年時代を通り越して百二十年時代と言われるようになった近頃、そう思うと現在は丁度人生道半ば程、まだ先は長いのかと悠長に達観すると、私は妙に欲を出しているではないか、と笑ってしまうのでした。
さて、乱筆蛇足ですが、「あんた作家になりなさい。」云云と、ある日お姉さんは窓辺から顔を出して、如何にも私を待ち構えていた風情でこう私に言いました。彼女は一人頷くように続けると、「あんたの話し方をみていたら、そこに向いている、そうしなさい。」と、最後にはこれが留め、決定です。と言わんばかりで、私は判決同様に申し渡されたのでした。
この時の私は、作家なるもの、この世に存在しているという知識等皆無、職業への知識等も殆ど持ち合わせてい無かったのですから、何それ?という、虚をつかれた状態で立ち竦み、パタンと締められた白い障子戸を見詰め、ポカンとしていた様に思います。相当昔の事なのでこの時の記憶は曖昧です。
その後の私は、近所とはいえ、他家のお姉さんに自分の将来云々を決定された事に反感すると、それと無く反発したりしたものでした。ぶうぶう文句を言った事も有ったと思います。その方の言葉に言い返したりもしました。そんな私に、それそれ、その物言いだから作家に向いていると、お姉さんは言うのでした。また、私は別の面でもその道に進むようにと勧められたものでした。今から思うと、確かに後者は当たっていたと苦笑する私です。
さて、細かくはもう忘れました。数回このようなやり取りをして、お姉さんは私に帳面の様な物とペンを示して、もう書いたから。ほれこの閻魔帳に書いておいた。もう決定したからこの話はお仕舞いだ。そんな一方的な言葉、態度で話は終わり。窓辺にこの方を見る機会はそれ以上無かったと記憶しています。思い出したついでに、私は還暦の記念に出した私の本を、記念品としてプレゼントしたのでした。存命であれば、そのお家の見知っている姉弟の方は、共に百歳前後になられるのではと思います。なので2冊の記念品を包装、贈呈致しました。