夏も過ぎたなぁ、と思うこの頃。ふいと、今夏思い出した事を書いて置こうかなと思いました。書き物をしているせいですね。題材にとアイデアを得た訳です。
それは、私の町内の夏祭りでした。それはかつては質素でしめやか、慎ましく奥床しい、等、と評されていた物です。夏の宵祭りであり、私達の町内の子供達だけで行うという提灯行列でした。当番の婦人が取り仕切り付き添うので、「女子供の祭り」等言われた物でした。
行列には町内の婦人役員、それぞれの子供達の母親等が付き添っていた物です。それから、町内の役員らしい男性も数人付き添っていました。氏神様が祀られている土地の神社迄行われる女子供の行列の、中に混じる男衆は大抵は2人程でしょうか、彼等は不承不承の体でいる事も多かった様子でした。行列の途中で、目的地の神社迄、ほぼ中間程の地点に差し掛かると、「付き合い切れない」等声がして、彼等は大きく袖を振りさっと向きを変えると、スタスタと自分達の町へ向かい、訳の分からぬ幼い子らが唖然とする目の前を通り、踵を返して帰って行ったものでした。今から思うとそう言う申し合わせ、そうする風習だったのかもしれません。
町内の子供達の健やかな成長と安全を願って、守り神としての姫神様を迎える為に、土地の神社に向かいそこで祝詞を奉じ、姫神様の形代を頂き自身の町内迄運んで来る。その儘姫神様に町内の当番の家で一晩お泊まり頂き、翌日はまた提灯を灯して姫神様を神社まで送って行く、その往復の行列が私達の町の宵祭りで有り、私の住む自治体の夏の行事、婦人と子供達の提灯行列なのでした。
女子供だけでは不用心、という事なのでしょう、町内の男衆も付き添う。けれどこの区域は江戸初期から続く古い町々が続く通り。私の子供時代はもう昭和でしたから、男尊女卑と迄行かなくても、他の同年代の並びの町に対して、女子供の祭りに付き添うなど男の沽券に関わる、と言う様な面目が有ったのでしょうか。彼等は、(まぁ、私達は町内の何処そこのおじさんと評したものですが、)俄然格式張ってみせ、伝統的な江戸期から続く町衆の並びに住んでいるという、男衆としての威厳を示す必要があったのかもしれません。時には威勢よく風を切って進んでいくおじさんに、子供の誰それから「カッコいい!」との声が上がる事が有ったのも、この祭りの確かな風景の一コマでした。