Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

雨が上がると

2016-07-28 15:54:14 | 日記

 昨日は良いお天気になり暑くなって来た中、午前はある研修に出かけ、午後は涼を求めてショッピングモールで費やしてきました。

費やする、本当に浪費してきてしまいました。買う気のなかった衣類を3点も買ってしまい、「今年の夏はもう着るものを買わないわ」と苦笑いです。

さすがに3点目になると、「お金があるなら(買ってもいけど)」と言われてぐさり!

 その通り、収入が殆ど無い私なので、今回ももちろん支払いは母任せでした。

でも、モールで涼をとるだけの気持ちだった私、夕飯の買い物があれば買おうかな程度の気持ちしかなかった私に、のんびり椅子に腰かけて涼んでいた私に、

「あの店で着るものでも買ったら、ズボンとかスカートとか、欲しいんでしょ。」

と言ったのは母。

 涼んでいるのに、歩くだけで暑くなるのにと苦情を言い、気乗りしないまま母が勧めたお店で最初の1点目を見て回りつい購入、もう一つ涼しそうなパンツかスカートでもと波に乗りはじめ見て回る内に。そうそう、ヘアアクセサリーもいいのがないかな、普通のアクセサリーもステキなのがないかな、などなど、見出すとあちらこちら物色して回ってしまうという、昨日はバイタリティがありました。

そして、遂にパンツ2点目を選択、色違いで迷う内、試着してみたり、母の目の前で2点を合わせてみたり、相談してみたりしていたのですが、値段を見て1点目の約半額の商品であったことから、そろそろ2点から1点の選択が面倒になってきた私はレジにいた店員さんに相談です。

 「こちらの方が来た感じ少し緩めで、何時頃まで着れる商品でしょうか、冬はダメですよね。」

などなど話しながら、迷っている、などなどほとんど一人で話しながら、相談するでもなく

「2点とももらいます。」

で、いきなり相談完了。

店員さんにびっくりされました。

やはり、同じ商品の色違いを2点買っていく人珍しいのでしょうね。それに迷っていたのに両方買うなんて、流れからいっても1点売れ残る気配を見せていたのに。

 ただ、私のこの傾向、近年結構することなんですよね。

迷う内に面倒になってしまう、それもありますが、近年の商品が割安でかなり安価であったり、昔ほどに私の倹約精神が強くないせいもあるんです。昔は相当けちけち倹約家だったものです。

年のせいでしょうか、何だか何でも面倒になってしまって。

人中に出て話すのも面倒になってしまって、年と共に変化って色々ありますね。

暑くなったので、外出も億劫になってきました。


今日は雨

2016-07-26 13:38:02 | 日記

 今日は朝から雨が降り、庭に落ちる雨音のパツパツという音に涼しさを感じていました。

庭に雑草シートを敷いたので、雨音が明快に大きくなりました。シートは人工、雨音は天然と、眺めていると不思議な気がします。

 さて、午前買い物に出かけたので、お昼を食べてパソコンに向かうと自然に瞼が落ちてきます。我慢できなくなると寝てしまうと思いますが、それもよいかなと涼しい午後に思います。

 やはり書いていることが支離滅裂になってきました、眠いせいですね、これを書きだしたのも考えがまとまらない内にアクセスしてしまったせいです。いつもは書きたいことがあるとログインするのですが、今日は書きたかったことが何なのか思い出せません。

 買い物は大きな衝動買いが日よけパラソル。アウトドアコーナーにあり目についたものです。大きいので、自転車も駐輪しておけそうです。UVカット効果もあり、通気の良いメッシュシートも側面についていて、丁度良い手ごろなグッズに見えました。

 これから連想する話ではなさそうです。

お昼の惣菜でもなさそうだし、医薬品関係でもない、ひまわり、その他植物、園芸関係でもなし、あ、そうです、衣料間係かな。

そうでした。 

 、今日はかなり古いブラウスを着ていましたが、これがうっかり着て出たら、途中、古かっただけに内着にしていた物だと気付きました。

一度とれたボタンを付け直す時に、共の糸がなくて色違いの糸で直してある所が1か所あったんです。外出中に気づきました。しょうがないので、バッグやカートなどでそれとなく隠していましたが、目ざとい人には気づかれてしまうだろうとひやひやでした。

 そこで思い浮かんだのが子供の衣類、洗濯物を取り込んでたたむ時に、糸の解れや綻びを見つけると修繕しておきました。我ながら豆です。今どき衣類の修繕をする人がいるかしら?寸法直しなどはあるでしょうが、と、内心あれこれ修繕したことを思い浮かべて苦笑いしてしまいました。

 要するに暇なんですね、暇がなければこんなにちょこちょこ修繕する気も起きない、昔なんて、忙しさに焦り、学業に、子育てに焦燥感が付きまとっていたものですが、子育て中は案外針仕事をしたものです。

自分の時には物憂くてしなかった修繕などの針仕事、家庭科の作品さえ嫌々だったものが、年齢を重ねたせいか経験を重ねたせいか、一寸座って針仕事、の時間的感覚が把握できたせいか、今ではあまり億劫ではなくなりました。

 今日思ったことです。布の綻びをふさいでおいたけれど、あそこにアップリケかステッチか飾りでもつければよいかな、という事でした。

他にも大作を作成しようかなと、手芸コーナーで生地なども物色して、必要量を算出してから、でも、気に入った生地がない、などなど、いつもと違う出だしだと、回ってきたコーナーも違っていたことでした。少し休みます、午睡。

 


降りそうで降らない

2016-07-25 16:59:25 | 日記

 今日はそういった曇り空になりました。

朝は雨が降ったりしたので、結構不安定な大気の日です。

一昨日は飛行機雲をよく見ました。遠出して買い物に行ったので、縦横無尽にいたるところで飛行機雲を目にしたと思ったのですが、

空にしてみれば1つの事、同じ飛行機雲を見ていたのかもしれません。

それにしても直線の雲が多かった日でした。大きなスイカも目にして、観賞用の黒いスイカや四角いスイカを見ました。なんだか買いたくなりました。

 さて、今日も買い物に行き、出がけや帰宅時に鉢土の様子を見ると、白っぽく乾燥気味でした。空の具合を見ると一部黒雲が見え、雨が降るかなと思いましたが、降らなかった時のことを考えてさっと水やりすることにしました。

水をまきながら鉢物の葉の様子を見ると、枯れている新芽があり私の水遣りの不適切を感じ、もっと水遣りしておけばよかったと思ったのですが、家に入って空具合を見ると今にも降りそうな暗雲が立ち込めてきました。

『また無駄なことをしてしまった!』

と私は思い、少々落ち込んでいました。

 最近は、近年はというべきかもしれません、自分のしていることが無駄になってしまうと思う事が多々あり、水遣りもそうですが、水をやった後に雨が降るという事も度々あり、水遣りの感覚に対する判断が衰えてきていたのですが、何だか間が悪いという運の悪さというものを感じていました。

多分、年齢からくる適正な判断のずれがあったのでしょう。

年を取ると運も悪くなるのかな?そんな風に思っていました。

 帰宅してから1時間ほど、降りそうだった空が降らずに持ち越して行きそうです。

元々地域的にここら辺は他の場所より雨が降らない方です。ほんの1、2キロ先の郊外で雨が降っていても、こちらの地域に入ると止んでいたり、地面の濡れ具合でここは降らなかったと分かったりしたことがありました。母から聞いた話ではこんなものがありました。

 母が留守番をしていた時、郊外の寺に祖父母が説経を聞きに行っていました。帰宅した祖母が洗濯物が干したままになっているのを見て、あんなに酷い雨だったのに片付けなかったのかと留守番の不手際を責めたそうです。

母曰く、全然雨が降らなかったのに、そういって嫁いびりされたのだというのです。

あの祖母が?私にすると祖母には結構やんちゃを働いたものですが、ほとんど叱られたことがないという優しい祖母でした。それで、嫁いびりなどするかしら?と疑問に思っていました。

 車を運転するようになって短時間に移動できるようになると、母の話を思いだし、雨の通り道、雨の地位的な降り具合の違いを益々はっきり感じるようになりました。元々、経験的に場所によって雨の降り方が違うのではないかと考えていた私の推察が当たっていると分かりました。

 母にそう話、実際に車で出かけた時に雨に当たった時は、道の濡れ具合を見て話し、実際に見て納得してもらったものです。

嫁姑、いろんな誤解があったのでしょう。

 文化の進歩と共に皆人も老いていくのかな、人も自然の一部なのだなと、判断力の衰えを老化の生理現象として感じたりしています。

 

 

 


昨日、梅雨明けしました

2016-07-23 16:37:16 | 日記
 
梅雨明けの後の

 海の日 夏休み全開な今日は海の日、家にいてさえ海浜の爽快な空気が漂っているような元気な朝です。 特に昨日から乾燥した空気がからっとした気候...>続きを読む......
 

今年の海の日は18日でした。

今日はもう23日になりました。今年は22日が梅雨明けという事で、暑い日が続きそうです。今からが海水浴本番です。

 先日のブログ、海の水を浴びると風邪をひかないで、過去を振り返って考えてみました。

不思議なことに、まいとし2、3回は風邪をひいていた私ですが、子育て中海に入れないこともあり、そんな年はどうであったかというと、

全然風邪をひかず元気、だったような気がしました。

毎年2回は必ず風邪にかかると思っていただけに、風邪をひかないありがたさが嬉しかったり不思議だったりした年です。

そこで、また過去を翻ってみると、やはり海水浴に行かなかった年は酷い風邪にもかからず元気、だったように思います。

あれ?

という事で、近年全く海水浴に行くことがない、ほとんど風邪をひかず、3年くらいのサイクルでインフルエンザにかかったかな、という感じです。

あれれ?

と、すると、海水浴に行かなかった方が風邪もひかず元気という事に。 

 夏の暑い時期に、反対に水浴びして極端に体の環境を変えるのは返って体には酷なことになっているのではと思いました。

何でも極端、無理なことはしない方がよいようですね。私の経験から来た結論でした。

 

 

 


今日は海の日

2016-07-18 20:10:51 | 日記

 今日は海の日ですね。

こちらはあまりぱっとしたお天気ではなかったように思います。

雨こそ降りませんでしたが、どんよりと梅雨の蒸し暑さを感じる気候でした

東海地方は梅雨明けしたそうですから、こちらももう少しかなと思うと、空梅雨という声もちらりほらり聞こえる今年です。

 この連休は久しぶりにせっせと読書、本の虫と化していました。読書はよくしたほうですから、学校時代が懐かしく思われました。

図書館で借りてきた本をすべて読み終えて、連休も終わり、梅雨も終わり、いろんなものが終わる、そんなことを感じる夏の初めです。

 海水浴の思い出の話でした。

父はよく夏になると海水浴に連れていってくれました。だから父のイメージは海が強く、頭に手ぬぐいを縛り、遠泳をしていた姿が思い浮びます。

父は冬生まれでしたから、夏の暑さには弱かったのでしょう、暑い時期体の冷える海、海水浴、しかも海の家にさえ入らなければ無料という手軽さは大いに父好みであったといえるでしょう。父は自他共に認める倹約家でした。

 亡くなる2年ほど前から、2月末、3月のはじめ頃になると、

「また暑い時期が来るのか」

というので、私はまだ冬は終わったばかりなのに気の早い、呆けていても冬の寒さが緩んだばかりよと飽きれたものでしたが、

「あんな暑い時期が又来るのか」

と再び言うので、近年の猛暑、酷暑を覚えているのかしらと訝った物でした。

 父の物忘れの度合いというと、覚えていない事はほんの2、3分前の事、言った傍から聞き返すこともあったのに、一年、半年前の夏の暑さを覚えているのかしら?と訝ったわけです。

もしかすると呆けてないのかな?そんなことを思ったりしましたが、やはり認知症は認知症だったのでしょう。

冬の寒さが緩むと夏の暑さを気に病むという慣例を、口に出さずに長年来たものが、年のせいで愚痴るまでになっていたのかもしれません。

それで、夏の海水浴が好きだったことと関連付いて、父には夏の暑さが相当のダメージを与えていたのだろうと今になって思うのです。

 海水浴の思い出、近くの島までよく遠泳した父に、私と母は

「危ないから止めたら、遠い島までの途中何かあってもすぐに助けられないから。」

と、よく止めましたが、父は毎年の夏の恒例のように、必ず1回は島までの遠泳を欠かしませんでした。

その間、母と私は浜辺で遠くなる父の白い手ぬぐいを目印に、あそこまで泳いだとか、あんな所でひと休みしている(疲れると立ち泳ぎして休むそうでした)とか、青い波のまにまに動いていく白い点を気遣って心配しながら見守っているのでした。

往復には2時間はたっぷりかかるので、母と私は所在無さや、何時までも心配するという不安から逃れるためにも、海水浴に、砂遊びに気を紛らわしながら、それでも時折沖の白い点を探すという父の遠泳に、私は気遣いの精神的なバランスをとるのに努力して、その内慣れてしまったものでした。

 母はというと、自分が見ているからと、私には遊んでくるように言いながら浜辺に立っていたものでした。

私は母が見ているからと安心して海水浴を楽しみましたが、2、3回ほど父が見えなくなったと母が騒いだことがあり、

その都度大丈夫だったようですが、父は時には人に付き添われて浜に上がって来たことがありました。

「大丈夫だから」とにこやかでしたが、今から考えると実際はどうであったのか不明です。

思えば家族泣かせな父であったことです。

 海水浴にはおにぎりと漬物、水筒にお番茶、ゆで卵など、シンプルなお弁当でした。1日がかりの行楽で日焼けして真っ赤、2、3日後には真っ黒、皮がむけてむけてなど言ってぽろぽろの顔や肌をしていたものです。

父は「海水を浴びてくると風邪をひかないで1年元気だ」などいい、これで大丈夫と上機嫌でした。

しかし、実際には私はよく風邪をひく方でした。1シーズンに3回は風邪を引いたので、海水浴の効果は私には皆無だったようです。