Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

今年も連日の好天に恵まれています

2015-04-26 07:54:10 | 日記
 
4月25日

こうお天気が続くと、早くも夏の花を思い浮かべてしまいました。ハイビスカスではありませんが、家ではアマリリスが咲いています。このアマリリス、実は伯父が施設に入所したと聞い...
 

やはり好天が続いている時期です。

最近思ったこと、山菜の事です。
春の山菜、筍や蕨、ぜんまいもありますね。

特に今の時期の筍や蕨採りが好みだった両親。

最近も母から、父とよく採りに行った場所に筍を採りに行きたいといわれました。

よくお父さんと取りに行っていたから、と。

もちろん、ダメ出ししました。

「山菜取りは好みじゃないから」と。

冷たい娘に思われるでしょうね、皆さん。

実はこんな経緯があるのです。

その場所は、かなり昔に父が勤務先で一緒であった人の持ち山です。

採りに来てよいから、そう許可を得て、毎年母と筍堀に行くのが父の春、初夏の楽しみとなっていました。

そう聞いて、私も連れられ共に筍を掘ったことがあります。

そんな2、3度目の頃、帰ろうと列の最後に山道を歩いていると、すれ違った持ち主らしい人に声をかけられました。

「いくらいいと言ったからって、次の代の人にまで来てもらいたくない。」

そうですね、父の代だけの話だったんです。

こんな調子で代々筍掘りにに来る人が増えたら、山の資源枯渇につながろうというものです。大した大きさの山ではなかったし、その山の内の一部所有の人だったようですから。

その後も何回か父に誘われて断り切れず、親子、孫と連れだって言ったことがありますが、私にすると気兼ねなものでした。

自然誘われなくなり、それでも両親は春の習慣のように近年まで出かけていたものです。

父の認知症が出たころからいかなくなったようですから、もう7年くらいご無沙汰となったのでしょう。

思い出したように母のおねだりがあったわけです。

もちろん、私は行きません。細かい話は母にしてもしょうがないので、上記の理由付けとなったわけです。

それでなくても、父の友人知人からは、「父とは親しいけれどあなたとは親しくない」と、よく言われたものです。

息子だったら対応も違ったのかもしれませんが、跡取りといっても、娘の場合はこんな風な対応になるのかもしれません。

 

と、ここまで書いて後日譚、昨日私は筍の水煮を買ってきて、作ったことのない筍の若竹煮を作ったのでした。

最近レシピを見る機会があったので、それを思い出しながら昆布と鰹節でだしを取りコトコト。

誰でもない母の為に煮ておいたのでした。母がよく作った味噌味とは似ても似つかない味付け、刻み方です。

思い出のリンクは筍だけ。それでよいのかもしれません。

 

 

 

 

 


現在も

2015-04-21 23:13:26 | 日記
 
4月21日

雨が降ったり晴れたり、1日1日交互にお天気が違う数日です。今日は掃除をして、汗ばんだのでシャワーをして、部屋も自身もすっきりと綺麗にリフレッシュしました。そして、最...
 


 白髪染めについては、現在も進行中です。

前は黒べったりでしたが、あまりに黒々し過ぎていたので、一段軽い色にしました。

ほっとした感じです。天然色という感じです。

染めてから暫く経つので、そろそろ着色したいかなと感じています。

 染めていて気付いたのですが、昔銭湯で父がシャンプーをする時、くしで丁寧にシャンプーで泡立てた髪をすいていたのを思い出しました。

何故思い出したかというと、この泡立てた髪をくしで万遍なく空く動作こそ、染髪の動作そのものだったからです。

面白いものですね。

たぶん父のこの仕草は、染髪というより、男性特有の髪の油のべたつきを取るための念入りな染髪の動作であった、と取るべきでしょう。

染めて色を付けるにしろ、べたつく油を取るにしろ、髪一本一本に気を配るのは大変なことですね。

おかげで、美容院へ行っても髪型より、手入れしやすいヘアスタイルへと整えられてしまうのでした。

 


花に雨

2015-04-20 19:24:03 | 日記
 
4月20日

 今日は日曜日です。することはあるのですが、あれこれとしているようでしていなかったり、なんとなく気分の乗らない週末です。手早く片付けてしまいたい気...
 


今年は花に雨、嵐といってもよく、桜の木は風に倒されていました。

七転び八起き、3度倒れて3回起き直ししました。

こんな時は倒しておいた方が木が痛まないのですが、本当に花に嵐の日でした。

メイストリームに近いのかもしれません。何にでも邪魔はつきものですね。


楽しい時

2015-04-19 08:25:34 | 日記

 

 
4月18日

今日はやや涼しめの日だったかもしれない。 午前は家に、午後からは買いたい物があって出かけてきました。日用品です。 気にしない...
 

 昨年の今頃は買い物に出かけていたようです。

4月、下旬に入ろうとしています。沈みがちだった昨年の今頃に比べると、今年は一つの感情の思い出が甦ることがあり、書き出してみました。

過去を振り返ると、ある時、日常の家事の瞬間ですが、ある感情にふと捕らわれて、自分ながら不思議に感じ、それを不安とも思いながら、それでも憩う時の訪れ、人生の微睡のような時間がありました。

『幸せだな』

と思う瞬間です。

そして人生にすれば瞬間でも、その時は確かに時間という間でした、しばし憩う時間があるのです。

生活の中での憩は、稀にこのような幸福の時を送り込んでくれるようです。

家事の合間、一人家族の為にふんふんと立ち働く時、それは訪れたのでした。

朝の家事、布団をしまう時。昼の家事、子供の迎えを待ち、車上で寛ぐ時。

束の間の希少な価値としてそれは確かに訪れたのでした。

そして、自覚できたこの瞬間は、いずれ過去のものとなり今が一番幸せな時なのかもしれない。

初回はそう思ったものでした。

 2回目の訪問時は、厳しい未来があるとわかる先がありました。

当時予想できていた困難に、その訪れを前に今この幸せな時を充足したい、堪能しておくべきだと考えたりしました。

そして、3度目の「この時」を感じたのがつい昨日でした。

 今回はもう隠居に近い、家事というより自身の仕事の束の間にこの思いが訪れたのですから、やや不安でした。

過去を考えてみても、この時の訪れの後に確かな波乱の時があったのですから、今回はどんな怒涛に出会うのでしょうか?

そんな経験からの予想も訪れたのでした。

最初の時同様、先の読めない3度目の楽しい時。不安と共に去って

のんびりやって行きたい仕事と思っているのに、どんな嵐がやって来るというのか。

不安、楽しい時の後の未来、嵐の前の静けさ、楽あれば苦ありなのでしょうか。

楽しむというほどの憩でもない時なのに、と思ったことです。

 


安全センターの思い出

2015-04-04 13:19:47 | 日記

先日、姪が自動車運転教習場に通っていることを知って、よく言われる自動車学校ですが、運転免許を取りに行った日の事を思い出していました。

学校ではなく、県の運転安全センターでの1日の事です。自身の日や子供の日。

私の時は父が送ってくれました。帰りまで待っているのかと思っていましたが、試験や免許発行までに時間がかかることを知っていた父は、折を見て先に帰宅してしまいました。

帰る間際に、センターの前のバス停で乗るバスの説明をして、時間なども見てくれました。違うバスに乗らないように注意されて、内心まさかそんなことしないわと思い、それでも父が乗り違えやすいからと注意するので、一応心して父の言葉を聞くのでした。

さて、子の番になると、私が親の番です。私も子をセンターに送り、帰りまで待てないとセンターの前に子を呼び出し、バス時刻表の前で説明、「大丈夫だと思うけど乗り間違えないようにね。」と、注意したのでした。

私が乗り間違えなかったことを思いだし、あっさりとした注意に留めました。

そして、自分もおじいちゃん(父の事)に注意された話をし、おじいちゃんの注意がとても念入りだったことを話し、今から思うと、もしかしたらおじいちゃん自身が乗り間違えたのかもしれないと、付則。

父から私へ、私から子へと、安全センタ-の免許習得の日が引き継がれたのでした。

子の日には、自身の若かりし頃を懐かしく思い、父のやはり親として若かりし頃を思い出し、近年の父の老後の姿を思うと、人の人生の縮図、マップを見るような気がしたものです。子も自分の子の免許習得日には親然としてこんな注意をするのかしら、ふとそう思いながら、路線バスの将来やセンターの将来、未来図なども今とは違うかもしれないと思いを馳せたものでした。