Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

遠い道のり

2016-06-22 21:47:28 | 日記

 今朝夢を見ました。

遠い道のりです。

目的地はよく知っている場所なのに、どこを通ると近道か判断できないでいる、そんな夢でした。

迷って道を歩いていると、同じ目的地に行く人に出会いました。

私もそこへ行くところだといい、その人達が誰かに教えてもらって、今から行くところだという道より、私の行こうとしている道の方が近いと誘って同行する、自分では近いといいながらその実、本当に近道かどうか自分でも判断できないと危惧している自分に不安を抱えて歩いている。そんな夢でした。

何故判断できないのだろうか?よく行った場所なのに、よく知っている道なのに、自分でもすっきりしない思考や、判断が付かない状態に困惑する中、何時しか目が覚めていました。

 起きてからも、気になってもう一度近い道を考えていました。

起きてみると地形がすっきりと思い浮かび、どの道がどうと判断できたのでほっとしました。夢というのはまどろっこしいものですね。そして、考えてみて気が付きましたが、どの道をどう選んでも、行こうとしていた目的地まではほぼ距離が同じことに気付きました。

そんな物かしら、改めてもう一度あの道この道と思い浮かべて距離を量ってみて、どうやらあそこを通ってあそこへ行くと一番近いと判断できるルートが決まりました。

幼い頃から通いなれた道、よく見知った地形、勝手の分からない場所ではないのにこんなこともあるのだと、夢のおかげで郷土について見直す機会を持った、今日の一つの出来事でした。


一期一会

2016-06-15 18:02:37 | 日記

よく聞く言葉です。よく見る言葉というべきかもしれません。

色紙などでよく目にする四時熟語です。私も色紙で見たのが初めてだったように思います。

茶道の言葉とか、一回一回を大切にとか、この人と会うのがこれ切りかもしれないと思って接するとか聞きました。

特に重要に感じるとでもなく、好きな言葉に選ぶ人が多いなと思っていただけでしたが、昨日からふとこの言葉が思い出されて、考えてしまいました。

それで今朝から検索して意味合いなどきちんと調べていました。

やはり茶道の言葉でした。新しく目にしたところでは、一回一回の場で出会う人と対する時、この出会いの場と同じ場は2度とは無いから、お互いに誠意をもって相手に対するというところでしょうか。

時間でいえばその時、その場での対応と思っていましたが、一度会った人とのつながりは以降延々と続くものですね、そういう人がいます。

つまり、人との出会い、その後の付き合いも大切なのかなと、人との出会いを大切にするという事は延々続くものだと感じたことです。

思い出してみると、この言葉に造詣の深いらしい人とのつながりは絶えることがなく、かなり長く続いています。お互いに大切に思う事、このお互いというのが無いと付き合いは途切れてしまうものです。

そんなことを思い、過去に出会った人々を思い起こすと、お互いに誠意を持って付き合っている人というのはいるものだと感じることです。

そして、自分はどうだったろうかと半生を反省してみたりしたものです。思ったり、頼ったりしてくれた人を無碍にしてしまったのではないか、自分の力足らずのせいにしてしまったのではないか、そんなことを反省してみたのでした。

 


齟齬をきたす

2016-06-13 14:47:44 | 日記

齟齬をきたす」そごをきたすと読むのですが、上下の歯がかみ合わない事だそうです。

予想外、期待外れ、というような意味で、一言で言い表せる言葉はないかと検索していて見つけました。

難しい漢字に他の意味などを見ると、想定外や当て外れ、見通しを誤る、目算が狂うなどありました。

そうだなぁと、最初の頃を思いだして、最初の頃、起点というべきですね、まで遡って、確かに、皆の予想に反して、裏切ってという感じでしたね。

もしかしたら、そのことを折に触れてしばしば言ったのが現在まで響いているのかもしれません。または、皆の期待を外すよう暗示にかけてしまったのかもしれません。

でも、誰かこのことが想像通り、目算通りだった人間がいるのかもしれません。複数かも。

 何回期待外れだったのだろうかと、思い返してみて、起点、……てんてん、中には予想通りで期待外れ(私にとっては)だったこともありました。予想外で期待外れだったのが近年。こんな調子で続くと、予想通りでも、予想外でも共通するのは「期待外れ」の言葉です。

 そうだなぁと、どんな期待外れが待っているのかと思うと不安です。予想外で嬉しいことなんてあるかしら?

想像もつきませんが、予想できない事柄には期待も持てないと考えてくると、予想しなければ期待外れもできないわけだと、これを書いていて思ったことです。

 今までこんな予想外で皆の期待に反したことはなかった、それほどびっくりだったことの起点、こんなの初めてと思ったものです。そうではなかった人がいたのだとしたら、そこに合わせた起点だったわけです。

思うのですが、何時までもそこに合わせたままでよいのでしょうか?段々そこに合わせた人生になっているのに構わないのかしら?