Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

雨の日曜日

2025-04-13 07:48:41 | 日記
 もう雨が降り、折角の日曜日、万博開幕の日の会場も雨かしら?、と思ったりしています。肌寒い日になりそうです。
 さて、私のオルガンですが、壊れてしまうまで長く家にありました。レバーを引くと音量を大きくする事が出来る物で、音楽教室を止めてからも、父に所望され無い場合でも、私は時折このレバーを引くと大音量でガンガン演奏していました。何故なら私のオルガンは、私の怒りの吐口、憂さ晴らしの相手と化していたからでした。何かでカッカと来た時にはオルガンの前に座り、ガンガン、キーを打って不協和音の連打を始め、時にはその延長上で曲を弾いたかもしれません、が、キーっと高ぶる気持ちが収まると、慣れた曲をその日の気分に任せて弾いたり、ぷいと途中で止めたり、時にはオルガンの蓋をバーンと閉めてその場からサッサと離れたり、カバーの上からバンバン叩いたり、蹴飛ばしたりと、我が家のオルガンは私の気分次第、荒れた私からの危難続きでした。これのせいで泣かされた、嫌な思いをしたと、怒る度に私は当たり散らしていました。
 到頭、レバーを引かなくても大音量のままになったり、演奏中に蓋が閉まって来たりと、オルガンの逆襲?が始まり、電源は抜かれ放置状態となり、カバーは埃と汚れに塗れ、その存在は忘れ去られたかのようになって仕舞いました。
 それでも、その姿は私達親子の居間、寝所に長く姿を止め、遂にはゴミ出しされたのですが、それなりに新米パパママの夢を乗せ、子供の良い遊び相手、相談役にもなっていたようです。乱暴に扱うと痛い目に遭うという、良い教訓相手でもありましたね。

アレグラ

2025-04-12 09:51:44 | 日記
 柿に赤い花咲く…♪、と、これが昔私が習った、と或るオルガンの曲の歌詞です。当時は何かしら、思い出というような曲名でした。今日も引き続き私の手習いの話です。思い出しついでですね。後にこの曲はアレグラという曲である事を知りました。
 さて、本人は嫌気が差して不承不承で続けていたオルガンでしたが、中には易しく弾きやすい曲も有り、何となく続いて行った私でしたが、或る日到頭止めると言い出しました。面白く無いから止めるという、子供によく有るパターンです。すると、今迄あれこれと私を言いくるめて来た母にも、到頭限界が来たようでした。母は私とオルガンの側から去って行きました。何時もの微笑みはもう無く、言葉も無くといった感じでした。
 その時の私は、何時ものように自分の希望は通らないと思い、母の時間稼ぎに手持ち無沙汰、指で鍵盤を撫でたりしていました。母が間を置いて、また説得に来るだろうと思っていました。すると、やって来たのは父の方でした。どうしたんだという感じで、母がもう私の相手はし無いというような事を言っていたというので、私は、今迄自分の方が母の相手をしていたのに、と、意外に思いました。母が私にオルガンを習わせたいと思っているのだと、母の願いを汲んで渋々でも頑張って来たのだと、それ迄の私は思っていました。
 習うにもお金が掛かる、オルガンだって高い物だ、等々、それだけ親に負担を掛けているのだから、と、あれこれ説得されて、それも何もお前の為を思えばこそ、等、発表会の衣装に釣られたり、子供のお前が可愛いからだと絆されたり、親にしてもあの手この手だったのでしょうが、オルガンは全く私の食指に掛かりませんでした。
 父の言葉に唖然とした私でしたが、私にすると親というより母の為に習うオルガン、一方的な母の希望に添っているつもりでしたから、母が相手をし無いという言い分は納得出来かねました。むかっと怒りが爆発しかけた所で、父もそれまで私を育てた経験から、私の性格を把握していたのでしょう、その後父に、上手く弾けるようになった、とか、あの曲はお父さんが好きだから弾いてくれ、とか、あれこれ機嫌を取られて、私は幾つか父の好みの曲を弾いてみるのでした。
 結局、以降は父の聞きたい曲を演奏する、そんな私の遊びの一環としての演奏の合間に、新しい曲の練習をしましたが、以降の新しい曲には一向に気持ちが向かず、指にもさっぱり覚えがありません。オルガン教室は母の希望ではなかったのだ、そう分かった瞬間に、私は子としての義務から解放されたようです。音楽は父が好きでしたね。それ迄に習った数曲を、所望された時に父に弾いて聞かせた物でした。なのでその曲に関しては、指が長期に渡りよく覚えていた物でした。

和音

2025-04-11 09:59:29 | 日記
 昨日の題を反対に読んでわおん。漢字で連想したのが和音でした。私はあまり音楽的な素養が無いのですが、幼少の砌(難しい漢字ですね)、オルガンを習わせられていました。今思うと、ピアノで無くて何故オルガン?、と思ってしまいます。親が習わせるので、私にすると何時の間にか訳も分からず、母に連れられで通っていたという感じでした。なので親の意図は全く分かりません。当時の流行りだったのかもしれませんね。近所の親しい子は皆同じ音楽教室に母子連れで行っていました。発表日には他所行きの晴れ着を着せられ、これは嬉しかった覚えがあります。女の子はワンピース、男の子は半ズボンのスーツに蝶ネクタイ等していて、如何にもお坊ちゃんという出立ちでした。しかし演奏練習となると、結構子供の私には厄介な習い事でした。
 まず、通う内に段々と習う曲が長くなり、その練習が億劫でした。演奏に慣れれば指がそれなりに弾いてくれるのですが、新しい曲を覚える事が、幼い私には一苦労でした。それでも母の厳しい指導の元(母はオルガンは元よりピアノ等弾けません、多分。生涯彼女が演奏する姿を見た事がありません。)、翌週迄に何とか弾ける様になった新しい曲です。そうして、やって来ました教室練習日。
 さぁと、オルガンの先生の声の下、皆、部屋に並んだオルガンの前で一斉に曲を奏で始めました。揃っていたのは最初のフレーズのみ、段々と合奏の音は小さくなり、教室の中、曲を奏でるオルガンは一台のみになりました。誰あろう私でした。ほーっとかへーぇーっとか、同窓の子供達の溜息が洩れていました。
 そうして、その日の練習終了時、よく演奏できたね、上手だね等言われて、私は何人かの多くの子供達に取り囲まれて羨望の的になりました。この頃の子供はそう競争心が無いようです。へん!とか、ふん!とか、私はパッシングを受けた覚えがありません。中には初めて話をする子、顔を見る子もいて、私には新鮮な驚きでした。私の習い事はオルガンが初めてでした。
 その時の私は面映い気持ちでした。見知らない子から褒められて恥ずかしかったのと、他の子より抜きん出た演奏が自分1人だった事実に恐れ慄く気持ちが入り混じり、晴れやかな気分など到底持てず、只々謙遜する気分で一杯になっていました。
 それ迄の私の一週間の自宅練習は泣きの連続でした。実際、私が出来無いと言うと、いや出来る、と怖い顔で言う母。そうして、むくれて弾く手を止めた私の頬は、パシパシとビンタの応酬に合ったのでした。その結果、オルガンの前でワーンと大泣きする私。と、この何度かの繰り返しの後に、私はその日の立派なオルガン演奏に漕ぎ着けたのでした。
 「泣いたんだよ、お母さんに叩かれたんだよ、泣いて練習したんだよ。」、顔を顰めて、私は皆に私の練習法を話しました。皆シーンとして潮が引くように私から離れると、母親に手を引かれ静かに帰って行きました。当然、私がこの練習法の話を皆に向けて一際大きな声で話した裏には、スパルタ指導をした母への当てつけが含まれていました。そのお陰かどうか、翌週迄母の演奏指導は笑顔そのもの、彼女の手はピクリとも動かず、その翌週も、その又翌週もと、私の演奏技術は全く進歩せずに音楽教室へ通い、卒園と共に教室も卒業。短期に終える事となった私の初の習い事となりました。和音、そういえば、3本の指で同時に抑える和音を幾つか習いました。演奏の時、左手で右手の調べに合わせて鳴らす、そんな初歩的な曲を演奏しましたね。

温和

2025-04-10 09:13:28 | 日記
 日が翳ると、まだまだ肌寒く感じます。地域の入学式が済んだようで、真新しい制服姿が増えたようです。新しいランドセルには注意ですね。交通事故が多いのもこの年代だそうで、視野が狭くて横から来る車を認知していないそう、危ないですね。私の新入生の時期も、右見て左見てと、顔を左右に向けて安全確認するよう言われましたが、そんな遠い時期から子供の視野の狭さは察しられていた様子です。
 さて、私も車を運転するので、安全運転を心掛けていますが、流石にぶつかって来られる車は避けようが有りません。昔は人もぶつかってくる事件が有りました。最近も同じような事を聞きました。昔は当たり屋等言いましたが、今はどう言うのか、そういう事件に巻き込まれると困りますね。真似する人がい無いように、あまり表立って大々的には言わないのかもしれません。当たって来られた運転手、被害者は注意ですね。道路のあまり端を走らない、中央にも寄り過ぎない、車線の丁度真ん中を走る、等、昔聞いた覚えがあります。何に付けても中庸って理に適っていますね。
 

春描

2025-04-09 07:58:01 | 日記
 次の作品を書こうとして、トラブルで気乗りしなくなって数日。未だに気持ちが向かずにその儘です。
 昨日は暖かく、気が向いて花見に行って来ました。何時もは近くの公園まで行き、城跡なので太鼓橋や本丸広場、お堀に映る桜等、様々に歩き、花も人も鑑賞場所も多いのですが、今回はちょっと趣向を変えて、より季節の風物詩としての桜並木を感じられる場所へ行って来ました。行き交う人も途切れる事なく、それなりの交流で済ませられる感じでした。田園地帯に近く、絵になる場所に感じられ、思いっきり春の香を満喫して来ました。マスクに傷テープの薬の香、こういう私はその場に不向きなので浮いた感じでした。お散歩途中の犬にも嫌われた感じ、珍しく吠えられ、嫌がられていました。薬の香にお医者様や看護婦さんを連想したのでしょう。
 よく可も無く不可も無くと言いますが、ひっそりとしていても人の姿は絶えず有り、見通しも良く、花も満喫出来る。田園や鳥、川の流れ、開けた風景を堪能出来る。山や川の自然の風景は元より、建築物、舗装路、等、人工物も目にする事が出来る郊外の花見。加えていうと、ゴーっと新幹線の過ぎて行く音に、今あの架線路を新幹線が通ったのだと、頭上の新幹線用線路に気付いた私です。
 季節の風物詩、思いの丈を込めてのように、その並木道と春風を楽しむ姿。何人かの自転車の、女性陣の嬉しいペダルを踏む姿にも出会いました。まだ若い、と言える彼女達の清々しく風を切る姿は、往年の女学生時代を彷彿とさせ、去りゆく後ろ姿と桜の木々がマッチして、良い風景画の光景を描いてみせていました。