Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

久しぶりに来てみると

2014-05-28 09:19:47 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりにブログ人に来ました。
何でも移り変わっていくのが人の世の常というものなのでしょう。
ブログ人が終了するという案内に気付きました。
ビックリしました。
この記事は消えてしまうのかという驚きが1番、
どうしましょうとおろおろ、
そして案内を詳しく読んで、
移転について考えるのでした。
もうしばらく余裕があるようなので、じっくり考えてみます。
記事が続けられるようなので嬉しいです。
さて、
ずいぶん日が空いたように思いましたが、2週間くらいでしたね、母の日以来のようです。
カレンダーに予定が入っていたので、何をしていたか思い出していました。
思い出しました。御移徒ですね。
その後は親戚に案内状作成、
送付、
お墓の写真撮りと、
結構忙しく先週までバタバタ、
他にも私用であれこれと、
5月後半はあっという間に過ぎた気がします。
久しぶりにカメラを手にパシャパシャ、
日光の向きや、ピントなど、
天候から時刻
空色と気を遣うカメラマンになりました。
昔はよく花の写真を撮ったものです。
風景も好きで、動物も好きで、様々にプリントアウトされた写真を愛でたものです。
何時の頃からか遠のいていた写真。
ブログにも、インターネットにも載せていたのに
熱が冷めてしまってから久しいものです。
多分、家事に忙しかったからですね、
家庭の事情が込み合っていた7年くらい、思えばあっという間に過ぎた年月です。
でも、あっというほど早くなく、込み合った様々な記憶が交差する年月でした。
一つの事に関わっていただけでなく、重複する問題にそれなりに対処してきた、そんな年月でした。
家族は一人じゃない、しみじみと共同体の複雑さ、いわゆる人の柵を感じます。
案外自由に人生を歩んで来た私の、制約のあるここ7年程の生活、
十人十色迄はいかないはずの家族でさえ、様々に考えの違いがあると思うことです。     

5月第2日曜日は

2014-05-11 16:12:37 | 日記・エッセイ・コラム
 
もちろん、当然母の日です。
 
そして、今日の我が家はお墓改築後の御移徒法要の日でした。
 
昨日、せっせとお供えの品を選んで、季節の果物で目についたのが桜ん坊です。
 
実は私の好物です。
 
奮発して国内産の物を選んでしまいました。
 
さて、さまざまな山海農実を並べ立てて、籠に盛り、よくよく見ればリボンの文字が
 
THANKYOU MOTHERSDAY
 
でした。
 
少々困りました。
 
でも、とてもしゃれた容器に入り、可愛い桜ん坊、祖母の顔を思い浮かべながら籠盛り、そのままに加えておきました。
 
そして、読経の後、やはり好物のこと、私が頂いてきました。
 
母の日、母の日、祖母も、私も、母も、妹も、みな母の日。
 
今日この日に先祖代々の墓の開眼式が行えたのは、母系家族なんでしょうか、父はよくこの言葉を口にしていたものです。
 
日本の家族は母系家族、母方の親戚の方が近しく付き合いがある、親しい繋がりがある、そんな意味合いのある言葉です。
 
男尊女卑というように、どちらかというと男性優位の社会できた日本ですが、家族の行事というと女性陣が立ち働かないと回らない、そんなものなのかもしれません。
 
本当に、母の日はのんびりとしたかった今日ですが、桜ん坊 THANK YOU です。自分にご褒美、嬉しいです、好物ありがとうございます。

5月8日

2014-05-08 14:17:00 | アート・文化

今日は外出先からです。 母とお風呂に来ています。 休憩室から窓外を眺めると緑が青空に映えて美しいです。 車のボディが光輝いて目映く、初夏の風光は心も洗濯してくれています。 芝、生垣、白いガードレール、水田に張られた水、畦道、白い柵。 どれも目の前に風光のグラデーションを塗り重ねて、 ふと、気が付く動きがセキレイのモノクロ。 ピーヒョロロン いかにも、のこの声はテレビからと 現実の喧騒に引きもどされる休憩室という共同空間にいます。 水平な道路に車が走ると、左から右、右から左と自動車がコロコロと滑らかに移動するようです。 面白く眺めていると、玩具遊びした頃の童心が呼び覚まされるような感覚です。


5月

2014-05-02 09:21:57 | インポート
 今日は五月晴れです。
昨日は祭礼でした。
そのせいではないのですが、このページにアクセスしない内に、2、3日過ごしてしまいました。
やはり、世界的なOSの問題発生があったためです。
不便なものですね。


今朝は良いお天気で、今日からの好天気を予感させる五月晴れの日々の幕開けにふさわしい朝です。
さて、
今日は父の月命日、そして、祖父の命日の日でもあります。
2人共、2日の日に亡くなりました。
気分の良い五月晴れの日に、何故人の亡くなった話をとお思いでしょうね。
ピンポン

「ちょうどインターホンが鳴ったのは、お寺さんが来たからです。
本当は私もお参りすべき仏壇の前にいるべきですが、このまま書き進めます。」

昨年からそれとなく気づいていたのですが、今日改めてこの事実をはっきりと認識した、そんな今朝であったからこの話題になってしまいました。

ぷるるるる!
ここで電話、携帯番号です。
誰でしょうか?ひょっとして息子から?
と、出ると、こちらは石材店さん。
お墓の工事の日取りの話です。
重なるものですね、
命日と、お寺さん訪問と、石材店さんの電話。
先勝ちの日ですか、話題にふさわしい日になっているのかもしれません。
先に逝った祖父の導きで、父が逝ったのかもしれない日と書こうと思っていました。
お墓もまた、先に逝った人々が祭ってある所、墓標、標識と思うと、何かしらこの地域の祭りの次の日、今日の話題にあっていたのかもしれません。
祭りの次の日は、特に朝は物寂しく清々しい、そんな若葉の季節であるのかもしれません。
次の世代に引き継がれていく、若い芽の薫風の季節の始まり。
父とのことは、1年過ぎた今になると夢の世界のように感じます。祖父母とのことになると、夢のまた夢、そんな気がしていた今朝です。
お前ももう来たら、そんな風に言われた気がした朝。
ここで、お茶だけでも出そうかと出ていったところ、仏間はもぬけの殻、電気だけが厳かに点いていました。
こんなものですね、私がいなくても事足りるという具合です。
さて、
不思議なものです。
昔の話ですが、祖父は宗教や仏にあまり興味がない人でした。
祖父母はよくお寺へ説教を聞きに行っていましたが、主に祖母の意向だったようです。
なぜなら、私は説教通いに行く祖父の方にこう言ったことがあるからです。
「お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも、お寺や仏さまが好きなんだね、良く説教を聞きに行くもの。」と
その時祖父は私にこう言いました
「お祖父ちゃんはそう好きというか、…こういう事に興味はないけど、お祖母ちゃんが好きだから」と、
この会話を覚えているので、祖父が宗教に対してあまり興味がなかったのだと私は思っているのです。
反対に、父は若い頃からよく寺へ行き、お経を読み、読経を日課とした程に宗教が大好きな人でした。
愛用の数珠と経本があり、経本は年代を経てばさばさ、いかにも使い込まれたものとなっていました。
この経本で墓前の経を唱えていた姿が恒例でした、これもまた夢の世界のような一コマです。

こうやって思いやってみると、親と子というのは反対のものなのかもしれません。
熱心な信者と、特に宗教には興味のない信者。祖父は現実的な人であったのかもしれません。
とはいえ、時に仏像など買ってきたくらいですから、そこそこに信仰心はあったのかもしれません。
「あの子に買ってきた仏像なのに」
「返してきたがや」
祖父のこの言葉を追い出すと、買ってきた仏像も祖父の信仰からというより、家族への思いやりから、今目の前に現実にいる者達への配慮から、そうなのかもしれません。
やはり祖父は現実的な人であった、なかなかの人物であったのでしょう。
父の前の祖先。