今年の8月も、あと1日となりました。今日は今月最後の日曜日です。
今年の夏は忙しく過ごしましたが、それなりに休日もあり、楽しい夏であった気がします。
少しお別れもあり、寂しい気もする夏でもありました。
慣れない仕事、初めての事もあり、せっせと取り組んだものです。
まだまだ、学ぶ事は多くあり、する事も山のようにあります。
したい事に取り組むことも忘れてはいません。
そうですね、当初したかった事、どんどん取り組んでいく秋にしたいです。
今年の8月も、あと1日となりました。今日は今月最後の日曜日です。
今年の夏は忙しく過ごしましたが、それなりに休日もあり、楽しい夏であった気がします。
少しお別れもあり、寂しい気もする夏でもありました。
慣れない仕事、初めての事もあり、せっせと取り組んだものです。
まだまだ、学ぶ事は多くあり、する事も山のようにあります。
したい事に取り組むことも忘れてはいません。
そうですね、当初したかった事、どんどん取り組んでいく秋にしたいです。
記事を読んでみれば、
最近夢を見たことに思い当たりました。
でも、どんな夢だったか忘れてしまいました。
現実に近い、現実に沿った夢だったように思います。
暑さが引いてきたせいか、午後いつの間にかぐっすり眠っていることがあります。
おかげで疲れが取れたかというと、夜もぐっすり眠ってしまいます。
年なんですね、笑ってしまいました。
昨日から気づいていましたが、玄関に活けてある花に虫がいるようです。
昨晩は花瓶の前に数個落ちていた黒い丸いものが、今朝は数を増していました。
花の葉も軸だけになっているところが増え、姿はうまく隠していますが、青虫の類がいることがわかります。
殺虫剤が切れているなぁと、薬を撒くことを考えた今朝です。
ところで、昨日の続き。
やはり母が帰ってこなかったところをみると、子の言うように月曜日の今日帰宅するのでしょう。
今朝は静かに過ごせ、ゴミ出し、水遣りと済ませ、落ち着いて出来る事をしておこうかと思います。
普段でもする事はあるのですが、緊急の度合いによって先送りされてしまうので、この機会に少し進めておきたいものです。
家事はそれなりに恒常的なものがあるし、掃除洗濯、炊事、間をおいて庭の手入れ、世話しだすと草むしり、殺虫殺菌と、なかなか仕事の準備にかかれなくなってしまいます。
こんな時に助手がいると便利で助かるんでしょうね。
…今まで母が手伝ってくれたのでは?
と聞かれれば、NOと言わざるおえません。
確かに、チラシ配りに1度駆り出したことがありますが、60パーセントほどの気の乗りようでした。
手持ちのチラシを一度に沢山、相手に渡したがってみたりと、商売屋の娘に育った割には商売べたな所があり、これは私も初めての発見でした。商売好きな人とばかり思ってきたからです。
そういえば、ポスティングも嫌がって1度、指示したのとは違う配り方をしてきたものです。その後は頑として行ってくれませんでした。「恥ずかしくて」などとも言っていましたっけ。55パーセント、50パーセント、あるいはもっと少ない商売っ気かもしれません。
話す事にかけては右に出るものがいないくらいのお喋りですが、仕事のためというより、自己満足の自分勝手なおしゃべり。相手が喜ぶなら家内の事でもペチャクチヤとプライバシーどころか、話す内容が、聞く相手に自分が優位な話に取られるようになってしまうのですから、不思議な会話術の持ち主といえるかもしれません。
被害を被った人は分かりますが、そうでない人からすると、母は可愛そうな弱者でしかありません。
が、これも若い頃の話です。
近年は、もう六と共に会話術も衰えが見え、カバーされた話も覆いが剥がれ気味で、かなりパタパタ裏を見せている感じになってきていました。
今日帰ってくるのだなあと、もう少しののんびりと、静けさを楽しむ…、前に少ししたいこと、しなければいけない事に勤しみたいです。同行者は大変だったことでしょう、そうでもなかったのかしら、同情した方がよいでしょうね。
母が土曜日から、甥の発表会に合わせて上京しました。
私は1泊2日と思っていたので、今日帰ってくるなぁと、
昼食時に子供に言おうと思っていました。『悲しいお知らせがあります…』
などというふざけた言い回しで話し始める事に決め、母の帰郷が今日だと言おうとして、
ふと
「おばあちゃ何時帰ってくると思う?」
と切り出してみると、
何と答えは「月曜日でしょ」でした。
あれ、っと思いながら、
「誰に聞いたの?」
というと、母だとか。
あれ、1泊2日という話じゃなかったかしら
、と思いつつ。
最初に言おうと思っていた言い出しの言葉がまだ頭に残っていた私は、
「それって嬉しいお知らせだね、お母さんにとってはそうよ。」
「今日帰ってくると思っていたのが1日延びたんだもの。」
という話になってしまいました。
当初予想していた、
「悲しいお知らせがあります。」
「お祖母ちゃんもう今日帰ってくるの。」
「えー、のんびりできると思っていたのに。」
の展開が、
私の描いていた、息子のがっかりの図予想から、
「えー、そうなの。」
「もう1日静かにのんびり過ごせるんだ。」
という、私の嬉しいサプライズに変わったという、今日の昼食の図になったのですから、
この年になると平々凡々で予期せぬ事は起こらないと思っていましたが、
起こるものだなぁと実感したことです。
ちょっとした感動でした。
今年の墓参りも、家族皆で出来たことが嬉しいことでした。
母曰く、来年は来れるかどうか、そういわれると、そうかもと思う私です
。
私だって来年は来れるかどうか、そう思ったことは内緒です
。今年の夏は、とにかくバテました。
暑いといえば暑さで、涼しくなったといえば涼しさで、暑さ涼しさの繰り返しでバテた、そんな感じがします。
父がなくなって3回目のお盆です。
毎年墓に家の水を備える母に、もうこれで水のお供えは止して来年から無しにしましょう
と言っておきました。
なぜなら、水を供えるコップ類を毎年忘れてくるからなんです。
やっぱり今年も忘れて、取りに行こうかと言ったりしましたが、もういいわという事で、
お供えするから忘れるのだと結論。供えなければ忘れないと、単純に3回供えたという切の良い数字でもあるし
、
今年まで、今年が最後、来年はなし、となったわけです。
父が良く水を飲みたがっていたからと、亡くなった後墓に詣でる時に、母が水のお供えを始めたので、母が忘れるたびに「お水は
」と準備するよう促してきましたが、
何と、
今年母が言うには、私が供えようと言い出した水を用意しないと、ですって。
びっくりでした、何回か促したことはありますが、水のお供えを始めたのは母
、こういったところでも、もう、もう、もう六。
という事で、来年はどうなっているのやら、そんなことを強く感じた今年のお盆となりました。
もう六、2016、オリンピックの年、どうなっているでしょうか。