昔の幼児番組で出てきた困ったちゃん。
本来は悪い子みたいな意味だったようですが、私の場合、心配事があって困ったという意味でよく使っていました。
「困った、困った」よく口にしていたのでしょう、実際、自分でも振り返ってみるとよく口にしていたと思い当たった物です。
「○○さん、困ったちゃんだね」そう言われて、そんなに言っていたかなと思ったものです。
それ以降、気に留めて言わないようにしていましたが、最近この言葉を連発しています。
それだけ困った心配事があるわけですが、結論を急いだほうが良いのか、このまま様子見をしたほうが良いのか、
その意味でも困っています。
判断しなくてはいけないのですが、昨年末もう判断して一応の結論は出したのですが、
その後私なりに努力もしてきたので、周囲の様子を見ながら継続してきました
しかし、一人のことではない世の中、十人十色、どの道が良いか思案に暮れる内に困った、困ったと、
結論を打診される向きもあり、困った困ったと
いわゆる皆それぞれに長所短所がある、苦あれば楽あり、楽あれば苦ありと、激動期、変換期にある現在は
本当に結論を出しにくく、困ってしまうのでした。
実際、最初の第一印象が止めたほうが良いのでは、であり、次の結論が辞めます、そして止めましょうと来てそれもねぇと責任や価値を慮ったり。
少しは大人の社会的な思慮が身についたのかもしれないと思うのです。
しかし、止めるべきだというのが良識的かなと思います。私的ですが。