ここ何十年か、お盆の墓参りで他の檀家の方と関わりあう事等殆ど無い我が家です。因縁を付けられる事も無く来ていました。何だろうかと私は思いました。近付いて来るその人の、さり気ない顔を判別した私は、「あら、今日は。」、何ちゃんとその人の名を呼び挨拶しました。「珍しい、墓参りで出会うなんて。」と。向こうは吃驚した様子でしたが、直ぐにあら、何ちゃんだったのと私の名を挙げました。従姉妹同士ですもの、親戚です、ちゃん付けです。
さて、従姉妹は驚いた様に普段と違う服装、化粧もでしょうね、私とは気付かなかった様子でしたが、如何したのかという様な事を尋ねて来ます。
「ああ、今年還暦なので、赤い服にしようと思ったんですが、」、と、赤は似合わないからオレンジでと、私はいけしゃあしゃあと答えてすれ違ったという様な出来事がありました。
にこやかに挨拶して、互いにすれ違って歩き出してから、私も内心驚いていました。何方かというと何時もにこやかで愛想の良い従姉妹でした。私は彼女の、今迄嫌な顔さえ見た事がありません。この時の彼女の瞳、ギランとした敵意ある視線の光は、私は過去に見た事のある視線の光でした。そう、小学校で待ち合わせしていた友人の瞳から発せられていた物と同じギラつきでした。その時並んで歩いていた子供も、従姉妹が何だか妙な感じじゃなかったかと私に尋ねてきます。そうね、私は内心思いながら、まぁ、今日のお母さんはこの服だし、歳に合わない服装だからという様な事で、吃驚されたんでしょうと言葉を濁しておきました。
お寺の駐車場に差し掛かると、子供も考えていたのでしょう。今日のお母さん、化粧が派手、目の上光ってるし、と言うので、これはラメよ、派手にしてみたの。派手過ぎたかもと、一応反省してみるのでした。
さてさて、この様に、赤い服、それでなくても朱色という明るく派手やかな赤系統の色は、何かしら同性の女性が身につけると、我々女性の心情に波紋を投げかける物のようです。それは怖い光を含む心情であり、燃え上がるジェラシーの文字通りの赤、朱色の光の様でもあるようです。そして、私もその例外では無い事を私も確り知っています。それなので、赤い服を着る事を躊躇い、又迷うのでした。外で着る事無いかもしれませんね、この調子では。(終わり)