3月、春のお彼岸になりました。お昼少し庭の片付けをして、草や古い鉢の整理をしました。庭の門は年々幅が狭まり扉が閉まらなくなり、今では鎖で縛り開くのを防いでいます。今日改めて見直してみると、より一層幅が狭まり、この先どうなって行くのかと、門の両側に在る支柱を眺めていました。傾いているのだろうと思い、家の壁と見比べると、やはり両者は全くの平行に並んでいない、壁と門の支柱でした。この家が建ってから四半世紀が過ぎました。家も古くなったのだなぁと思います。
今日は思い切って、庭に長年存在していた水仙を抜きました。水仙は母が好きで、人から貰った球根を植えていたのですが、ある年から植えられていた場所の、庭の反対方向へ引っ越しをし始め、徐々に違う株の水仙も混在し始め、母は不審がっていました。
「お前が植え替えたの?。」
と、私は母から問われた事で、そういった庭の事情に気付きました。勿論、私は母の花の嗜好についてノータッチでした。自分のしている事にあれこれ手を加えられる事が、その人にとって不愉快な出来事だと知っていますからね。また、新顔の水仙が、母の嗜好から外れ、好ましく無いのだとも聞いていました。
さて、この家から母が去って、毎春茎折れし、その先に小さな花をぽろんと咲かせる水仙を、ここ数年私は何と思う事無く放置して来ました。一般的な水仙の花というものが、私の母の好きな花だったからです。しかし、母が去る以前から、何年か一般的な容姿の水仙が庭に咲くのを見たことが無く、私自身も庭の水仙について不審に思い始めました。元々の、母が貰って来て植えた水仙は、皆どこへ行ってしまったものか。それらは中心部がオレンジであったり、縁の花弁が白っぽかったりと、普通の咲き様で趣のある花々だったのですが、花茎ばかりが妙に長く、途中で折れ込み、その先に小さな花を複数チョロンと咲かせるという、そんな奇妙な水仙ばかりが庭に存在しているのです。
そこで、思い切って今年は球根ごと抜き取る事にしました。水仙には毒があるそうです。それを知ったので尚更に我が家から排除と決めました。昨秋の除草剤が効かなかった様ですし、今年からは、芽生えたら即座に球根ごと排除です。きっと母も納得してくれることでしょう。何故なら、コロナ渦以前の春、母の好きな水仙が咲いたからと、私は母の施設にこの花を数本持って行きました。すると私から花を受け取った母は微笑むと、水仙は好きだけどこの花は母の好きな水仙じゃない、と答えていました。やはりね、と私は思ったものです。その当時も、この妙な咲き様の水仙を、母が好きな方の種類の水仙では無いと、私は何回か抜いていたのですが、毎年絶えずに春になると生えているのでした。それで昨年は目先を変えて除草剤を撒いておきました。冬には緑の芽吹きが無く、薬剤が効いた様だと思っていました。
それが数日前、沢山の緑の流線と、茎折れした先に咲く小花の花を庭の片隅に見て、まぁと驚いたものです。実は私は母と嗜好が違い、水仙はあまり好きではありません。普通の水仙といっても特に愛でたい花では無いし、庭から削除決定です。これはやはり根気良く球根から抜き取り、綺麗さっぱり除草ですね。手を振り、さようならと、水仙です。