Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

27日

2013-03-27 22:03:31 | 日記・エッセイ・コラム
もう少しすると、こちらでも桜が咲きはじめるのですが、まだ蕾は固いようです。
梅はもう終わりに近付いたとか、春一番の花は梅という人もいますね。
今日病院へ行った所、父はますますか細くなったようで、本当に骨の上に皮がついている感じになっていました。撫でてみると、…骨を撫でているみたいでした。
思わず、ヘンゼルとグレーテルを思い出してしまいました。魔女のおばあさんに食べ終えた骨を見せて、その場をしのいで食べられるのを防いでいたという、あの話を思いだす所でした。今思い出しています。
確かに、感触よくありません、父の手足でも。
どのくらい持つのでしょうか?昨日、転院先が決まってほっとしたものの、いつまで?と思うと、早いようなまだ先のような、延命措置をとるべきかなとも迷いました。
どちらがよいか、父の希望はと考えたりしました。
今日病院から帰る時、いつに無く父は頭を上げてジーっとみているので、何か言いたい事があるのかとベッドまで戻り、「どうかした?」「なぁに?」と聞いてみましたが、
だるいとか、何も、というので、やはりだるいのだという風に感じました。
何時もと同じなのだと歩去り、帰り掛けると、再び頭を上げてジーっと目で追ってくるのです。
やっぱり何か言いたい事があるのでは?
延命措置をしてもらいたいと目で言っているのかな、とも感じました。
こんな感じでしたね父の目穏やかな静かな目では無かったです。
まだ生に執着がある。そう思えた私は、昨日、転院先の方に延命措置について妹と相談したかどうか聞かれたのを思い出し、妹の意向も確かめてみました。
やはり、父が苦しくないように、と、母と私に合わせてくれました。
あとは父の寿命任せといった意向です。安らかに、心穏やかに、安心して入院生活を謳歌(無理かしら?)して欲しいと願っています。
     「梅が過ぎ桜は
 桜咲くのを待ちくたびれるのは
今年の開花を待つ期間の長いのは
1日1日が鮮明で暦めくるような日々のおかげ
人々のおかげで今日までと
細々と細々と腕に足に
刻まれている日々命の残り火
皺とも皮膚とも張り付くような骨の硬さを
撫でてみればもういいと
言いつつ延々ともの言いたげに
長く長く後引く視線のもの言いたげに

25日

2013-03-25 14:23:15 | 日記・エッセイ・コラム
この地方は花冷えとはいえませんが、少し寒いです。桜の開花は来月です。
さて、転院のため、母は走り回っています。
私はというと、予定通りの病院に紹介状を出しておいたら、と、いたってのん気。落ち着いているのかもしれません。
昨晩は私の方が焦り気味だったのに、それは、朝からある延命治療を聞いたり、父の容態を考え合わせたりしたからかも知れません。
細々ながら、父はそれなりに元気そうです。病院が落ち着くのでしょう、どちらかというと家には帰りたくないように思われます。
加えて、まだ生きていたい、そんな心境の変化もあったように思います。同じ年代、同じような状態の患者さんを同室で見ているからかもしれません。
皆さんチューブが付いているような感じです。
自分も…、そんな気持ちが起きたのかもしれません。
私は決めかねるのですが、今のところはこのまま、細々とでしょうか。
親戚にもぽつぽつとお手紙を書いてみたりしました。


それでも

2013-03-22 15:20:48 | インポート
なんだかんだ書きましたが、
子供はカメラや、ビデオが嫌いでしぶしぶ我慢して撮らせてくれました。
食事前におめでとうというと、ちゃんとありがとうと答えてくれました。
相当な被写体になるのを嫌う子です。区切りだからと何とかせっせと写真撮りしました。
私の慣れないデジカメ腕前では、うまく撮れなくて時間がかかりましたから、段々不機嫌になり、ありがとうが言えなくなってしまったようです。
だから、動画の方は「ありがとうが言えません
で、映っています。どうするんでしょう。絶対に取り直させてくれませんね。


22日

2013-03-22 15:06:26 | 日記・エッセイ・コラム
よいお天気の今日、卒業式でした。
こんな時、仕事が夕方から勤務なのは甚だ便利です。
勤務変更しなくても、子供の行事に付き合うことが出来ます。仕事も休まなくてよいし。
実を言うと、昨晩お祝いを済ませてしまいました。スパークリングワインやケーキなど揃えました。
久ぶりに海苔巻きも作り、結構ご馳走が並んだ食卓になりました。
小学1年が就学なら、卒業は修学、長の年月よく頑張りました、と子供をねぎらってやりました。
現在ありがとうと素直に言えない子供ですが(今の若い人は皆そうなのかも、と思っています)、今後どのように変化していくのだろうかと注目しています。
私は最終学校の卒業式に出なかったのですが、出られなかったというべきかもしれません。
そんな話を朝、式前に話していました。
なにしろ、母ときたら学生割引で安くなるからと、私の卒業時の3月、自動車学校の申し込みに学生で登録したのです。
確かに3月までは学生でしたが、卒業式に出るといいがたくなってしまい、しかも教習予定日が卒業式と確りと重なり、用があるから休みますというと、
確りと「教習を日延べして遅れると、運転試験の検定日も遅れる、自動車学校の卒業も遅くなるよ。早く卒業したいと聞いているから。」と、だめ出しされてしまいました。
後に、友人には「卒業式に来なかった」「久しぶりに会えるのを楽しみにしていたのに、会えなかった
と不満たらたら、いやみっぽく言われたり、後輩や、その他、会いたい人とお別れも言えず(県外の学校でしたから)、卒業式に行かないのはとても残念な事と、現在になっても悔恨の情が絶えません。(……)
そんな私でしたから、卒業生の座席の空いている予定席の書類、白い長方形の連なりがとても残念であり、気の毒に思えました。
どのような事情か分かりませんが、来たかった事でしょう。仕事の研修かもしれません。まさか、私と同じような理由とか?
ありえませんね、私の場合は相当特殊な例というべきでしょう。
袴等、貸衣装や美容院の予約など、皆キャンセル、こちらも苦情や嫌味を言われたとか、
「他の貸衣装屋さんで借りられたのよね
「あなた達、もう一人、予約人数が足りないわね」(予約人数を間違えたと美容院の人に言われたとか。
確りして無い風に言われたのよと一言は言いたかった友人達。)
私の卒業式は、嘘やごまかしが出来なかった私のせいかもしれませんが、散々に過ぎてしまいました。
だから、子供にはきちんとした区切りとして過ごしてもらいたい1日です。

月曜日

2013-03-19 12:15:56 | 日記・エッセイ・コラム
 先週末より、お腹の具合が悪い私です。懐具合が悪い、なんて書いてもそう違っていない現状ですが、
今日は母を送って病院まで行ってきました。
父の今後の介護をどうするか、そういった話し合いが介護の方達と母の間であったからです。
父を見舞って、帰って来ました。
父の様子を見てみると、垂れ下がっていた皮膚はますますシェイプアップされてなめされ、やや粉ふき板風になっていたようでした。
そして、なんだかんだ言いながらも、父の意識は割合確りしているように思えました。
認知症とはいえ、一時ほどには私に頼りたがらない様子は、元気だった頃の不仲な父が帰ってきたような気配でもありました。
私の方でも、父の介護についてあれこれと先週から考えていました。
父自身の本心は、私と一緒に暮らしたく無いのですよね。
前夫の縁談を私に持って来た時も、嫁に出る話だったということや、離婚して家に帰ってきてからも、再三出て行くように言っていた言動や、それらを合わせて考えてみると、私に家に居てもらいたくないのだと考えているように思えます。
加えて、前夫が遺伝的な病気を持っていたこと、それを頼むといわれて引き受けたらしい事、私に知らせなかった事、私自身結婚前に病気について聞いても、きちんと理解できなかっただろうに、子供の世話については父自身かなり無頓着な態度だった事など。
大体、父が子の保証人になるとすぐに認知症になった事は、父の無責任な態度と関係がないと私には思えないくらいでした。
父は気がおかしいのでは?
とさえ私は考え、相当劣悪な父娘間の状態でした。
近年、私の方で思って来た事は、
憎まれているのかしら?
どうも嫌われているみたい
私に世話をしてもらいたくない
そう思っているのかしら?
私がいない方が全て丸く収まる、そんな風に周りが出来上がっているのではないか苦笑い
私自身も様々に思って来ました。
自然介護も母任せで手を出さずにいました。
しかし、普通、弱っている人間を放置できないのは人として当たり前のこと。
ですよね。
結局、総合病院に行って診断していただき、結果は今の状態になっているわけです。
母を送って病院まで行った私でしたが、今までのように考えて来た私は、介護の方達の話に加わる気になれず、そのまま母を置いて帰ってきました。
月曜日は勤務日でした。すぐに時間も詰まってしまいます。
さて、その後仕事に出て記事を中断し、書かない内に1日は過ぎ去り、再び書き出した今は火曜日となりました。
雨か曇りか、今朝から母も父の退院時の話をしに来ます。
話では父は一旦自宅に戻り、訪問介護を受けるようです。話の中に往診は無いので、転院先の病院に空きが出来るまで自宅療養になったようです。
空きが出来るのかしら?
それまで父は持つかしら?
でも、私が父用に備えた設備は役立ちそうです。光テレビをほとんど見ないで入院した父です。
また、携帯を持っていない父は家族と絶縁したままで寂しい入院生活をしていました。ははは、何となく笑います。
やっぱり携帯くらい持たせておかないと。
使い方が分からないかもしれませんが、必要ですね、
父にとって家族は意味が無いかもしれませんが。
それにしても、妹は母に携帯を持たせていましたが、父には手配さえしていなかった事から、どうも父は私同様、妹の機嫌も何かで損ねたようです。
妹の建て前では母が持っていれば父の分も見てもらえる。でした。分かるかも
自宅療養か父は喜ぶかしら?
さてねあの様子では、私のいる家に帰ってくるのを父は喜ぶかしら?
私のせいで家に帰ることになった、(機嫌を損ねながら)そんな風に思っているのではないかしら。何でも私のせいにして