20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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再会の場所

2008年08月04日 | Weblog
 母の葬儀に際しては、ほんとうに遠くから叔父叔母そして従兄弟たちや又従兄弟たち、たくさんのなつかしい人たちにお越しいただきました。
 
 幼なじみというのは不思議なものです。
 会ったとたん、○○ちゃんと、「ちゃん」づけでお互いを呼び合っているのですから。
 客観的にみれば、みんなもう、ずいぶんいい年です。
 けれど心の中は、あの頃のまま。
 そう、子ども時代の、あの頃のままなのです。
 叔父や叔母の印象はさすがに年月を重ねられたという実感を抱きましたが。でも従兄弟たちや又従兄弟たちは、年齢が近いということもあり、顔を見たとたん
「あっ!」と指さし会って、あとはおしゃべりに花が咲きます。
 なのに、ひとりだけ、どうしてもわからない人がいました。
 親しそうに肩をたたかれたのですが、私は怪訝そうな顔をして首をかしげると、夫や子どもたちや母方の従姉妹に、小声で、
「あの人、だれ?」
 そんなふうに聞くだけ。
「ほんとに、わからないの?」
 シビレを切らしたように、彼が言いました。
「うん」とうなずくと、「オレだよ、オレ!」
 でも、わかりません・・・。
「だれだっけ?」
「ひでえなぁ。Y家のKだよ」
「うそ!そんな顔してた?」
「してたよ」
 実は彼は、私の父方の祖母の年の離れた長姉の曾孫にあたる人だったのです。
 Y家というのは、いわば祖母にとっては実家のような場所だったので、よく彼の家でみんなで集まってお正月のお餅つきをしたり、小さかった私は祖母に手をひかれ、お釈迦さまの甘茶を飲みにいき、その帰りに決まってY家に立ち寄ったことを覚えています。
 また彼のお父さまは、私の中学の数学の先生でもありました。そして私は、彼のお母さまが経営していらしたピアノ教室でピアノを教えていたこともあるのです。
 ですから、とても近いところにいた人なのです。それなのにすっかり顔を忘れてしまったなんて!
 
 Kちゃん、このblog、読んくださってます?ごめんね。ぜんぜんわからなかった。あの秀才の美少年があんな風にバイタリティーに溢れた大人になるとは思ってもみなかったので。
 
 そういえば、お通夜の前に喪服姿で、夫と私と子どもたち夫婦、6人で秩父神社にお参りをしようと道を横切ったところで、目の前を通りかかった車の窓が突如、開いて、
「ジュンコちゃ~ん」
 女の人が、にこっと、顔を覗かせました。
 だれだろう・・・。だれだかわかりません。信号がかわって車が発進し始めました。焦って私は、
「だ~れ?」
 思わず車に向かって叫びました。
「T」
「えっT? T○子ちゃん?」
 言ってはみたもの、咄嗟に下の名前を間違えて呼んでいました。小学生のころからの同級生でした。
 Y家のKちゃんのことといい、Tさんのことといい、まったく、ボケてるとしか言い様がありません。
 そんな自分をにやにやしながら眺め、なんだかすごくうれしくなっていくのがわかりました。顔をすっかり忘れてしまうくらいなつかしい人たちと、こんなふうに再会できたことに。

 葬儀というのは、別れと共に、日ごろご無沙汰して遠くなってしまった親戚の人たちや、なつかしい人たちに、ふたたび巡り合わせてくれる場所なのかもしれません。
 原点を思い出せ、とでも、言われるみたいに。
コメント
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