20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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存在理由

2008年08月17日 | Weblog
 今年の夏はどこにも出かけず、家で過ごしています。
 今日は真夏の暑さがエアーポケットにでも入り込んでしまったように涼しい一日ですが、いつもはエアコンの効いた部屋で、お気に入りの音楽を聴きながら原稿に向かっています。
 そして一日一回は、炎天下を買い物がてら日傘をさして歩いてきます。
 そんな日常が、とても充実していて気持ちいいのです。
 
 作品を書くということは、身を削るような大変さを引き受けることに他なりません。
 でもそれをやり続けているのは、書く楽しみ、表現する喜びを私たちは充分に知り尽くしてしまっているからです。無論、楽しさだけで物語が作り上がられるものではなく、人の心をゆさぶる作品、共感してもらえる作品とはなんぞやと、日々私たちは格闘しているわけです。
 なかでも大切な言葉を中村光夫は『小説入門』(新潮文庫)の「小説の美学」の中でこう語っています。

 書こうとする<嘘>をどうしたら小説のなかで真実に転化できるか。
 それには、制作の動機をもっと深く振り返って見なければなりません。

 書く動機。この突き動かされるような思いがあってはじめて、人の心をゆさぶり、共感してもらえる作品が生まれるのかも知れません。 
 作品を書き上げるということは生半可なことではありません。身を削るような困難さと大変さをともなっている作業です。
 それでも、書くこと、表現することをやめられないのは、大仰ないい方をすれば、もはやそれが自分自身の血や肉と化し、生きるための存在理由になってしまっているからかも知れません。
 
 ともあれ、ベートーヴェンの交響曲5番を聴いていると、そんな気持ちを力強くあと押ししてくれるような気がしてきます。

コメント
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