チェコの文豪、チャペックの名作『長い長いお医者さんの話』(岩波書店)をもじり、今日は長い長い姓名判断のおはなしを。
いま娘夫婦は楽しみながら、産まれてくる赤ちゃんの名前を考えているようです。性別はすでにエコー診断で告げられているそうです。
名前の画数が何画で、名字とあわせると総画は何画。また外運、人運、地運などといった画数もあわせて調べ、そのすべてが良いと思える名前を選ばなければなりません。
名前というのは、その人の「人と成り」を表すいわば記号のようなものです。ですからとても大切なものです。できれば悪い画数より良い画数をと願うのは人情というものです。
そうやって娘夫婦は、すでに10個以上の名前を考えだしていました。
「どれがいいか、Tさんに聞いてもらえない?」
ある日、娘がそう言って、私にメールで名前のリストを送ってきました。
Tさんというのは私の友人です。
彼女のおかあさまという方は、長いこと関西の政財界にメンタル面で強い影響力を与えていた人です。
彼女と私が友だちになったときも、そのおかあさまが、私という人間についてさまざまに分析してくださりその結果を友人から教えてもらったことがあります。
現在はそのおかあさまも他界され、しかし「門前の小僧なんとやら」で、子どもの頃からおかあさまの影響下で育った彼女は、姓名判断などのすべてを知り尽くしているのです。
漢字一字の持つ意味。他の漢字との組み合わせや関係性などについてを。
なにかで悩んだりしたときTさんに相談したりすると、それに対する彼女の返答に思わず笑ってしまうことがあります。
「あなたって、ほんとうはその人のことを、すごくよく知っているんじゃないの?」
それくらい彼女の分析は的確で、見ず知らずのひとの人物像をずばっと言い当てるのです。
彼女は別段、占い師でもなんでもありません。フツーの主婦です。数年前お仕事をリタイヤされたご主人と、ひと月近くもヨーロッパの町で過ごしたり、一年の四分の一近くは海外のどこかの国で暮らしています。見るのも聞くのも羨ましいくらい優雅に。
さっそく私は、くだんのTさんにそれをFAXで送りました。送信からモノの五分とおかず、電話がかかってきました。
「よー、調べてはるわね。画数は見事なもんやわ。R子ちゃんいう子の性格が見えてくるわ。Tさんのおばちゃまが、偉いいうて褒めてたとR子ちゃんにゆうといて」
東京に住んで長いことたつのに、彼女はいまだ関西弁がぬけません。ですから彼女と話すときは、関西とは縁もゆかりもない私の方がそのパワーにつられて、エセ関西弁になっているのです。
「あきまへんか?」
「はい、あきまへん。これじゃ、この子を育てるのにごっつ苦労するわ。名前いうのんは相性が大事なんや。字画だけで考えられへんから、やっかいなものなんや。文字一字が持つ意味いうんがあって、たとえばこういう漢字。名前にこんな漢字を使こうたらあかん。大事なんは、漢字と漢字の関係性や相性や。親や子との関係性や」
こういった話は、彼女から何度も聞いていますが、奥が深すぎてむずかしくて覚えられません。
だから結局、「困ったときのTさん頼み」ということになっては、彼女にSOS を出す羽目になってしまうのですが。
結局、娘夫婦が考えた名前で、かろうじて彼女から及第点をもらえたのは、10個中1個でした。命名いうのんは、なんて難しいのでしょう。
日ごろは私たちは、いつも姓名判断の話題を口にしているわけではありません。いえ、むしろ滅多に話題にあがりません。
しかし、なにげない話の中で感じる彼女の人生を見つめる視点の確かさや、人間を見つめる目の温かさと鋭さには、いつも感嘆しています。
「ずっと主婦だけの人生で、外にもでたことがなくて世間なんか知らないくせに、あなたはほんとに人間をよう知ってるわ」
私が、そういって笑うと、
「下手に世間なんか知らなくて、よろしぃ。相手の気持ちをしっかり考える想像力さえもってれば、きっとだいじょうぶやから。あなたかて世間知らずや。お人好しやし、隙さえあれば騙されやすいし。でもそこが好きなんや。そのまっすぐなところが」
そういって彼女は、笑います。ちょっとじんとしながら、私も一緒に笑います。
彼女と話していると、姓名判断というのは画数云々といった小手先のものではなく、人間を知るための、すごく奥深いものなのだということを、いつも教えてもらっているような気がします。
さて、命名です。
彼女から、かろうじて及第点をもらったその名前で決定してしまうのは、あまりにも安易すぎるので、(おまけに、「このなかでは、これしかあらへん」というレベルだったので)娘たちはもう一度考え直すと言っています。
そして友人のTさんがローマから帰国したら、もう一度相談にのってもらう約束になっています。
それまでに娘夫婦は、いったいどんな名前を選び出してくるでしょうか。楽しみです。
いま娘夫婦は楽しみながら、産まれてくる赤ちゃんの名前を考えているようです。性別はすでにエコー診断で告げられているそうです。
名前の画数が何画で、名字とあわせると総画は何画。また外運、人運、地運などといった画数もあわせて調べ、そのすべてが良いと思える名前を選ばなければなりません。
名前というのは、その人の「人と成り」を表すいわば記号のようなものです。ですからとても大切なものです。できれば悪い画数より良い画数をと願うのは人情というものです。
そうやって娘夫婦は、すでに10個以上の名前を考えだしていました。
「どれがいいか、Tさんに聞いてもらえない?」
ある日、娘がそう言って、私にメールで名前のリストを送ってきました。
Tさんというのは私の友人です。
彼女のおかあさまという方は、長いこと関西の政財界にメンタル面で強い影響力を与えていた人です。
彼女と私が友だちになったときも、そのおかあさまが、私という人間についてさまざまに分析してくださりその結果を友人から教えてもらったことがあります。
現在はそのおかあさまも他界され、しかし「門前の小僧なんとやら」で、子どもの頃からおかあさまの影響下で育った彼女は、姓名判断などのすべてを知り尽くしているのです。
漢字一字の持つ意味。他の漢字との組み合わせや関係性などについてを。
なにかで悩んだりしたときTさんに相談したりすると、それに対する彼女の返答に思わず笑ってしまうことがあります。
「あなたって、ほんとうはその人のことを、すごくよく知っているんじゃないの?」
それくらい彼女の分析は的確で、見ず知らずのひとの人物像をずばっと言い当てるのです。
彼女は別段、占い師でもなんでもありません。フツーの主婦です。数年前お仕事をリタイヤされたご主人と、ひと月近くもヨーロッパの町で過ごしたり、一年の四分の一近くは海外のどこかの国で暮らしています。見るのも聞くのも羨ましいくらい優雅に。
さっそく私は、くだんのTさんにそれをFAXで送りました。送信からモノの五分とおかず、電話がかかってきました。
「よー、調べてはるわね。画数は見事なもんやわ。R子ちゃんいう子の性格が見えてくるわ。Tさんのおばちゃまが、偉いいうて褒めてたとR子ちゃんにゆうといて」
東京に住んで長いことたつのに、彼女はいまだ関西弁がぬけません。ですから彼女と話すときは、関西とは縁もゆかりもない私の方がそのパワーにつられて、エセ関西弁になっているのです。
「あきまへんか?」
「はい、あきまへん。これじゃ、この子を育てるのにごっつ苦労するわ。名前いうのんは相性が大事なんや。字画だけで考えられへんから、やっかいなものなんや。文字一字が持つ意味いうんがあって、たとえばこういう漢字。名前にこんな漢字を使こうたらあかん。大事なんは、漢字と漢字の関係性や相性や。親や子との関係性や」
こういった話は、彼女から何度も聞いていますが、奥が深すぎてむずかしくて覚えられません。
だから結局、「困ったときのTさん頼み」ということになっては、彼女にSOS を出す羽目になってしまうのですが。
結局、娘夫婦が考えた名前で、かろうじて彼女から及第点をもらえたのは、10個中1個でした。命名いうのんは、なんて難しいのでしょう。
日ごろは私たちは、いつも姓名判断の話題を口にしているわけではありません。いえ、むしろ滅多に話題にあがりません。
しかし、なにげない話の中で感じる彼女の人生を見つめる視点の確かさや、人間を見つめる目の温かさと鋭さには、いつも感嘆しています。
「ずっと主婦だけの人生で、外にもでたことがなくて世間なんか知らないくせに、あなたはほんとに人間をよう知ってるわ」
私が、そういって笑うと、
「下手に世間なんか知らなくて、よろしぃ。相手の気持ちをしっかり考える想像力さえもってれば、きっとだいじょうぶやから。あなたかて世間知らずや。お人好しやし、隙さえあれば騙されやすいし。でもそこが好きなんや。そのまっすぐなところが」
そういって彼女は、笑います。ちょっとじんとしながら、私も一緒に笑います。
彼女と話していると、姓名判断というのは画数云々といった小手先のものではなく、人間を知るための、すごく奥深いものなのだということを、いつも教えてもらっているような気がします。
さて、命名です。
彼女から、かろうじて及第点をもらったその名前で決定してしまうのは、あまりにも安易すぎるので、(おまけに、「このなかでは、これしかあらへん」というレベルだったので)娘たちはもう一度考え直すと言っています。
そして友人のTさんがローマから帰国したら、もう一度相談にのってもらう約束になっています。
それまでに娘夫婦は、いったいどんな名前を選び出してくるでしょうか。楽しみです。