明日からお盆。
父が亡くなったのは、11年前の8月でした。
父のことを考えるたび、あの日の満開の百日紅の花を思い出します。
母が亡くなった日も、やはり百日紅が咲いていました。
ふたりとも、夏に逝ってしまったんだなと、百日紅の赤い花をみるたびに思います。
これからずっと、来る年も、来る年も、百日紅の花と共に、父を、そして母を思い出すことになるでしょう。
義父が亡くなったのは18年前の4月。桜が満開のころでした。
新宿区戸山にある国立東京第一病院の、父の病室からは満開の桜が美しく咲いているのが見えました。
「桜ですよ。満開です。とってもきれいですよ」
そういって義父に声をかけたことを、今でも思い出します。
義父の葬儀は、花吹雪が舞い散る満開の桜の下で行われました。
早稲田の地を愛した父を乗せた霊柩車が、母校である早稲田大学の大隈講堂の前で止まったときも、まるでボタン雪が舞うように花びらが車にふりそそいでいました。悲しく美しい光景でした。
花の季節とともに亡くなった人たちを思い出し、お墓参りをして静かな気持ちで亡くなった人たちと向き合う。
若いころは、そんなすべてを夢中でやり過ごしてきました。
でも年を重ねるごとに、それらすべてを慈しむように大切にしている自分がいることを、折々に気づかされています。
父が亡くなったのは、11年前の8月でした。
父のことを考えるたび、あの日の満開の百日紅の花を思い出します。
母が亡くなった日も、やはり百日紅が咲いていました。
ふたりとも、夏に逝ってしまったんだなと、百日紅の赤い花をみるたびに思います。
これからずっと、来る年も、来る年も、百日紅の花と共に、父を、そして母を思い出すことになるでしょう。
義父が亡くなったのは18年前の4月。桜が満開のころでした。
新宿区戸山にある国立東京第一病院の、父の病室からは満開の桜が美しく咲いているのが見えました。
「桜ですよ。満開です。とってもきれいですよ」
そういって義父に声をかけたことを、今でも思い出します。
義父の葬儀は、花吹雪が舞い散る満開の桜の下で行われました。
早稲田の地を愛した父を乗せた霊柩車が、母校である早稲田大学の大隈講堂の前で止まったときも、まるでボタン雪が舞うように花びらが車にふりそそいでいました。悲しく美しい光景でした。
花の季節とともに亡くなった人たちを思い出し、お墓参りをして静かな気持ちで亡くなった人たちと向き合う。
若いころは、そんなすべてを夢中でやり過ごしてきました。
でも年を重ねるごとに、それらすべてを慈しむように大切にしている自分がいることを、折々に気づかされています。