縁側という言葉から光景を浮かべられる人の数も少なくなってきていると思
います。 今日の「てんがらもん」のゲスト、鹿児島国際大学教授・蓑毛良助さ
んのお話の最後にでた話題が縁側でした。
そして、今日のお話をふり返った時、この言葉が心に残っていました。ところ
が、どういう話の続きから縁側に至ったのかが分からなくなっていました。
そこで、終わりの部分を聞き直しています。
http://www.ustream.tv/recorded/52529195 の最終部分です。
それはこういうことでした。
認知症の高齢者の暮らしを地域で支える力について語り合っているなかで、蓑
毛さんがいい風景だ、と紹介されたのが地元の老人クラブの一光景です。その会
では地域のゴミ拾いをしたあと、すこし大きな家の縁側でお茶を飲みます。その光
景は、蓑毛さんの子どもの頃の祖父の家の囲炉裏を囲んで語りあっていた光景と
つがるのです。
日本の家屋のもっている人と人のつながりを生みだし保つ造りについて、縁側の
役割を強調されていました。家の中まで入らない、庭と家と接点の縁側は、家の人
と周辺の人との接点でもあったのです。
今日のお話は心理学を研究されてきた経験から、発声と言葉と身体の関係、高
齢者の趣味と子供の頃の体験、「命の電話」の通じて聴くことの大切さ、役割は人
を変えるなどなど、聴けば役立つ2時間といえます。
さて、縁側の代わりに地域ではそれぞれの対応があろうかと思います。合せて
インターネット時代の「縁側」として、ブログに集うというのもひとつのあり方では
ないでしょうか、すくなくてもその可能性のひとつとして考えてもいいでしょう。