昨日付けの「しんぶん赤旗日曜版」です。
白蓮の娘 ・ 宮崎蕗苳(みやざきふき)さん88歳と花子の孫 ・ 村岡恵理さん46歳が
語る「花子とアン」の時代の話です。白蓮の恋と平和運動。 2014-07-15
にも「花子とアン」に関して白蓮の短歌を紹介してありますが、蕗苳さんがここで紹介して
いるものを記しておきます。
≪1945年9月6日に、電報で兄の戦死を知らされました。学徒出陣で終戦の4日前
の死でした。母は涙も出ないほどぼうぜんとしていたのを覚えています。≫と語ったあと
焼跡に芽ぶく木のありかくのごと/吾子の命のかへらぬものか
≪戦後は平和な世界を願って全国を講演して歩きました。≫と語り次の歌を、
われらが住むここは一つの星ぞとよ/一つの国とうたはざらめや
蕗苳さんは母の一生を 『娘が語る白蓮』 に書きました。
≪母はおよそ人生の最初と最後が違いますよね。華族に生まれ、最後は一人の人間と
して生がいのある人生を成就しました。時々の境遇の中で、自分の人生をつくりあげて
いったのは立派だったと思います。≫
下は、「白蓮さんと生後3カ月の蕗苳さん]です、1925年。
村岡恵理さんが 「平凡な日常こそ一番尊い」 と言われているのは、
花子が 『赤毛のアン』 の原書を訳すことを通じて、そこに描かれている平凡な日常
の美しさこそ、当時の戦時下ではユーモアや笑い、喜びは戦争と対極のものでした。
≪戦時下だからこそ、平凡な日常が人間にとって一番尊いものだと感じたのでは
ないでしょうか。
私たちは祖母の世代の人たちの経験を負の歴史も含めて引き継いでいかなければ、
と思っています。≫
この写真は1919年頃の花子さんです。1893年生まれですから26歳くらいでしょう。
この頃の女性たちにとってのキーワードは、“婦人参政権(婦選)と自由” です。
写真の説明 「婦人参政権の実現を求め国会傍聴に詰めかける女性たち=1929年2月」
同じころの写真です。(「毎日新聞社 1億人の昭和史 15」より)
説明 「(1929年)2月8日民政党の内閣打倒民衆大会(東京)」
この女性たちの生き生きとした顔顔、そして顔!
年表を追って行きますと、
「3月5日 旧労働農民党の代議士山本宣治、東京神田表神保町の旅館光栄館で七生
団員黒田保久二に刺殺される」がありました。
そして、「4月16日 共産党員全国的大検挙、ついで市川正一、鍋山貞親らも検挙、党
組織壊滅的打撃をうける」とあります。
「赤旗」紙面では「その時、共産党は」として、
≪1922年創立された日本共産党。主権在民、侵略戦争反対の旗を掲げて、綱領草案
で 「18歳以上のすべて男女にたいする普通選挙権」を求めました。侵略戦争推進で他
の党が解党したのに対し、日本共産党は一貫して反対、多くの党員が投獄・迫害されな
がらも信念を貫きました。≫