(承前)これは北斎描く天狗です。(やっぱり鳥だあ!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/81/0b74540becc76f80affe8bd1f53f8e45.jpg)
天狗が今のような山伏姿に変化したのは、修験道が隆盛した鎌倉時代以降と思われます。
元は非道の仏法者が死ぬと天狗になる、そして成仏できないと云われていたのが、その頃には「仏法の守護者」として大きな法力を持つ者に変身します。
すでに太平記では山伏姿で描かれていまうが、江戸時代には赤い顔に高い鼻、頭巾(ときん)、鈴掛姿に太刀を持ち、羽団扇(はねうちわ)を持つて一本歯の高下駄をはいたお馴染みの姿で登場することが多くなります。これは山岳修行者である山伏修験たちが、自らの姿になぞらえて次第に天狗の格を高め、同時に修験者自らの地位を高めてきた結果と考えます。
五来重先生によれば、近畿地方にはすでに平安初期に「七高山阿闍莉(あじゃり)」という修験道の名山があったといいます。
美濃・伊吹山、近江・比叡山、比良山、山城・愛宕山、摂津・神峰山、大和・金峰山、葛木山がそれです。
更に修験者は自らが天狗に近づくために、峻険な山に籠もり修行を重ねることによって法力を得ようとします。そのため日本各地の有名な山岳に天狗が住むという伝説が生まれます。中でも有名なのが、愛宕山(太郎坊)、鞍馬山(僧正坊)、比良山(次郎坊)、飯縄山(三郎坊)、大山(伯耆坊)、英彦山(豊前坊)、大峰山(善鬼)、白峰(相模坊)で、これを日本八大天狗というそうです。
また修験者たちが目指した山に「日本九峰」があって、これは時代が少し下がるようですが、やはり天狗の住んでいそうな山ばかりです。
大峰(吉野~熊野、いわゆる奥駈道)、出羽三山、日光山、富士山、立山、白山、伯耆大山、石鎚山、英彦山。
こうして天狗の活躍の場が、まずは京の都の近くの山から次第に遠方の山へと拡がっていくのは、都人の山に対する地理的な知識とともに、修験道の勢力範囲が拡大して行く現れではないかと想像するのです。
これらの山のうち、まだ未登の出羽三山と英彦山へも是非お参りしたいと思っているペンギン夫婦です。
(決して登った山の数を自慢して、天狗になりたいためではありません)
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天狗が今のような山伏姿に変化したのは、修験道が隆盛した鎌倉時代以降と思われます。
元は非道の仏法者が死ぬと天狗になる、そして成仏できないと云われていたのが、その頃には「仏法の守護者」として大きな法力を持つ者に変身します。
すでに太平記では山伏姿で描かれていまうが、江戸時代には赤い顔に高い鼻、頭巾(ときん)、鈴掛姿に太刀を持ち、羽団扇(はねうちわ)を持つて一本歯の高下駄をはいたお馴染みの姿で登場することが多くなります。これは山岳修行者である山伏修験たちが、自らの姿になぞらえて次第に天狗の格を高め、同時に修験者自らの地位を高めてきた結果と考えます。
五来重先生によれば、近畿地方にはすでに平安初期に「七高山阿闍莉(あじゃり)」という修験道の名山があったといいます。
美濃・伊吹山、近江・比叡山、比良山、山城・愛宕山、摂津・神峰山、大和・金峰山、葛木山がそれです。
更に修験者は自らが天狗に近づくために、峻険な山に籠もり修行を重ねることによって法力を得ようとします。そのため日本各地の有名な山岳に天狗が住むという伝説が生まれます。中でも有名なのが、愛宕山(太郎坊)、鞍馬山(僧正坊)、比良山(次郎坊)、飯縄山(三郎坊)、大山(伯耆坊)、英彦山(豊前坊)、大峰山(善鬼)、白峰(相模坊)で、これを日本八大天狗というそうです。
また修験者たちが目指した山に「日本九峰」があって、これは時代が少し下がるようですが、やはり天狗の住んでいそうな山ばかりです。
大峰(吉野~熊野、いわゆる奥駈道)、出羽三山、日光山、富士山、立山、白山、伯耆大山、石鎚山、英彦山。
こうして天狗の活躍の場が、まずは京の都の近くの山から次第に遠方の山へと拡がっていくのは、都人の山に対する地理的な知識とともに、修験道の勢力範囲が拡大して行く現れではないかと想像するのです。
これらの山のうち、まだ未登の出羽三山と英彦山へも是非お参りしたいと思っているペンギン夫婦です。
(決して登った山の数を自慢して、天狗になりたいためではありません)