ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

天狗の話(6)

2005-10-19 20:13:49 | 四方山話
もう一つ同じ名前のピーク「天狗の頭」が、奥穂~西穂の
縦走路中にあります。
上高地河童橋から見あげると角帽の形に見えると先輩から
教えられました。飛騨側には天狗尾根を派生し、北側には
天狗のコルがあります。また岳沢に向けて天狗沢が落ち込
んでいます。
65年夏、義弟と奥穂から西穂へ縦走の途中、ここで一回目
の昼食を取りました。
「立派な避難小屋がある」と山日記に書いています。



天狗原は槍穂縦走路中の、中岳東尾根と横尾尾根に抱かれる
小さなカールです。巨きな岩の重なりの中に槍ヶ岳の影を落
とす天狗の池があり、氷河公園と親しまれています。
何故かこれまで機会がなく、二人の長年の夢だったこの場所
に、今年初めて足を踏み入れました。
しかし、無情にも小雨と霧に煙り、槍の姿はおろか近くの山
肌もおぼろに霞んでいました。
70歳と65歳の二人に再度この幽邃境を訪れる機会は来るので
しょうか…



天狗の話(5)

2005-10-18 19:54:39 | 四方山話
「天狗平」は立山・天狗山の北側に拡がっています。
天狗山には天狗がすんでいて、悪心を抱く者が登ってくると
石を投げ落とすのだそうです。
初めて剣岳に登った40数年前はバス終点は弥陀ヶ原で、雨の
中を重いザックを背にこの天狗原を通りました。
昼食予定の天狗小屋は満員で入れず、恨めしげに眺めて通り
過ぎました。
それから40年が過ぎて98年秋に剣岳に登った帰り、室堂から
天狗平まで歩きました。殆ど歩かれていない荒れた道を、昔
を懐かしみながら下ると、立派な高原ホテルが建っていて、
ここで一泊しました。翌朝、剣岳が美しく見えました。



八ヶ岳にある「天狗岳」もペンギン夫婦にはお馴染みの
山です。この山は東西に分かれていて、西が主峰(標高2646m)
なのですが、縦走路の通っているのは東天狗岳です。
写真は61年5月初旬、稜線からの西天狗岳、人物は山仲間です。



その2年後、「天狗のお庭」で。
鉢巻きが♂、♀ペンは顔を半分出しています。



「天狗の頭」は後立山縦走路中に白馬岳の南にあり、
ここから天狗の大下りを経て唐松岳に向かいます。
ここは若い頃に二人別々に通っています。
♀ペンは同じ山の会ですが、私とは別のリーダーで
白馬~唐松岳の縦走。
私は別の年(1963)、長い後立山縦走の休養日に天狗
の池畔でテントを張りました。
そのとき生徒だった女性は、今も私たち夫婦とは妹の
ように仲良しで、一緒に山を歩いています。


秋の大峰(2004.10.17)

2005-10-17 09:09:06 | 過去の今日
去年(2004)の今日、大峰におりました。JACの友人
たちと5人での個人山行です。前日、行者還トンネル西口
から登り、快晴の弥山で大展望を楽しみました。



弥山小屋で一泊したこの朝は頂仙岳に向かいました。実は
この山行は「奈良80山」の著者、森沢義信さん(JAC会員
上の写真の左から二人目)からお誘い頂いて、ご一緒した
ものです。

『弥山から出発することを弥山駈出という』(奈良80山)。現在のように弥山から八経ヶ岳へ直接登る道が開かれたのは明治になってからで、それまで『山伏は午前4時に駈出し、弥山から狼平に下って頂仙岳に登り、次の古今宿を経て八経ヶ岳へのぼったという』

トウヒ、ツガ、シャクナゲなどの密生する斜面を、かすかな
踏み跡を辿り登り着いた山頂には三角点が埋まっていました。
林に囲まれ無展望で、下り道で少し迷いそうになりました。



明星ヶ岳へは地元の人が通っていた古い道ですが、この年の
春、弥山小屋の西岡さんらの手で立派に修復され歩きやすい
道になりました。
ふわふわした土の感触を味わいながら明星ヶ岳に登りました。
周辺はトウヒやシラビソに覆われ、「仏教ヶ岳原生林」として
国の天然記念物指定を受けています。



露岩の散らばる明るい稜線の奥駈道を北へ、近畿の最高峰・
八経ヶ岳(1915m)に立ちました。大小50座に及ぶ大峰山脈
主峰からの眺めは、申し分なく雄大なものでした。






秋の花

2005-10-15 19:17:19 | 矢田だより
今日(土曜日)は雨と言うことで、昨日夕方遅くから急いで
矢田丘陵を歩いてきました。
至る処にオオイヌタデが咲いていました。



国見台の傍らにナワシログミの花がありました。しかし、果実は見た
ことがありません。




ユウガギクもあちこちで見ました。
形から「優雅」菊だと思いこんでいましたが、柚子の香りが
する「柚香」菊だと知りました。



キセルアザミは一カ所で群生して咲いていました。




平ヶ岳 (2001.10.14)

2005-10-14 10:39:30 | 過去の今日
2001年の今日は、上越国境の最高峰・標高2139.6mの平ヶ岳に
居りました。午前4時、銀山平をマイクロバスで出発、中ノ岐
林道終点を出発したのは5時30分でした。



急坂の連続する登りを3時間(途中、45分の朝食)、美しい
笹原の高原に出ました。卵形の丸い花崗岩が二つ重なった玉子石。
青い小さな池が散らばり、遠くに数え切れぬほどの山々…
苗場山、巻機山、中ノ岳、越後駒ヶ岳、その右に飯豊連峰が浮か
んでいました。




「伝之助(小屋)さんから中ノ岐川、二岐沢を遡り、二日がかり
の藪漕ぎを終えて登りついた所がここ池ノ岳でした。パット展望
が開けると、踏み跡も塵一つもなく、たいへん感激しました」
私たちを先導して下さった櫻井昭吉さん(JAC越後支部)は、
「日本百名山」の深田久弥さんを案内した時の様子を、こう話し
て下さいました。



展望台からの眺め。燧ヶ岳の向こうに日光の山々。左から女峰山、
太郎山、男体山、日光白根山。



深田さんと櫻井さんは、三日間の苦闘の末辿り着いた山頂で、更に
幕営して二日間かけて下山されるのだが、私たちは実働僅か3時間
少し、労なくして山頂を踏むことができました。
赤いバンダナが変愚院。その左、しゃがんでおられるのが櫻井さん。
素晴らしい山行でした。



ホトトギスと柿

2005-10-13 09:15:14 | 矢田だより
我が家の狭い庭で、ホトトギスは今、花盛りです。
花の内側に紅紫の斑点がたくさんあるのが、時鳥の
胸の毛にある模様に似ているので付けられた名だと
いいます。
花は秋ですが、鳥の方は夏の季語ですね。



今年は柿がたくさん実をつけました。摘果を怠った
ので小粒ですが、地面に付くほどの多さです。
子規の「柿くへば…」の句は有名ですが、芭蕉にも
「里ふりて柿の木もたぬ家もなし」
の句があります。
「…柿八年」の諺がありますが、矢田の里に来て
もう40年近くが夢のように過ぎました。



天狗の話(4)

2005-10-12 10:46:15 | 四方山話
「天狗」のついた山、谷、岩などは日本各地に驚くほどたくさん
ありますが、ここではペンギンが足跡を残した所をあげてみます。

 今年(2005)6月、大峰奥駈道の途中、釈迦ヶ岳の先で「天狗山
(1537m)」を通りました。
シャクナゲの咲き乱れる石楠花岳から静かなブナ林の中を行くと、
稜線から少し離れた笹原の中にありました。名前に似ず、穏やかな
印象の山でした。



高見山から北に延びる尾根の上にある「天狗山(993m)」に登った
のは97年のことです。高角神社から登ってこの山から黒石山へ
周回しました。
途中の大天狗岩の巖頭からの高見山北面、三峰山につづく眺めが
素晴らしかったと記憶しています。



 四国の高知・愛媛にまたがる一大カルスト台地「天狗高原」に
遊んだのは、かなり昔です(少なくとも30年前)。大阪の高校で
踏査部(もとは探検部)というクラブの顧問をしていたとき、
夏合宿で行きました。
民宿の窓から下の小川に米粒をつけた糸を垂らすだけで、小魚が
釣れました。
天誅組の吉村寅太郎生家なども訪ねたように覚えています。(続く)

天狗の話(3)

2005-10-11 17:30:00 | 四方山話
(承前)これは北斎描く天狗です。(やっぱり鳥だあ!)



天狗が今のような山伏姿に変化したのは、修験道が隆盛した鎌倉時代以降と思われます。
元は非道の仏法者が死ぬと天狗になる、そして成仏できないと云われていたのが、その頃には「仏法の守護者」として大きな法力を持つ者に変身します。 

 すでに太平記では山伏姿で描かれていまうが、江戸時代には赤い顔に高い鼻、頭巾(ときん)、鈴掛姿に太刀を持ち、羽団扇(はねうちわ)を持つて一本歯の高下駄をはいたお馴染みの姿で登場することが多くなります。これは山岳修行者である山伏修験たちが、自らの姿になぞらえて次第に天狗の格を高め、同時に修験者自らの地位を高めてきた結果と考えます。

五来重先生によれば、近畿地方にはすでに平安初期に「七高山阿闍莉(あじゃり)」という修験道の名山があったといいます。
美濃・伊吹山、近江・比叡山、比良山、山城・愛宕山、摂津・神峰山、大和・金峰山、葛木山がそれです。

 更に修験者は自らが天狗に近づくために、峻険な山に籠もり修行を重ねることによって法力を得ようとします。そのため日本各地の有名な山岳に天狗が住むという伝説が生まれます。中でも有名なのが、愛宕山(太郎坊)、鞍馬山(僧正坊)、比良山(次郎坊)、飯縄山(三郎坊)、大山(伯耆坊)、英彦山(豊前坊)、大峰山(善鬼)、白峰(相模坊)で、これを日本八大天狗というそうです。

 また修験者たちが目指した山に「日本九峰」があって、これは時代が少し下がるようですが、やはり天狗の住んでいそうな山ばかりです。
大峰(吉野~熊野、いわゆる奥駈道)、出羽三山、日光山、富士山、立山、白山、伯耆大山、石鎚山、英彦山。

 こうして天狗の活躍の場が、まずは京の都の近くの山から次第に遠方の山へと拡がっていくのは、都人の山に対する地理的な知識とともに、修験道の勢力範囲が拡大して行く現れではないかと想像するのです。

 これらの山のうち、まだ未登の出羽三山と英彦山へも是非お参りしたいと思っているペンギン夫婦です。
(決して登った山の数を自慢して、天狗になりたいためではありません)

「日本一低い」中央分水界

2005-10-10 10:20:43 | 山日記
10月9日、JAC関西支部主催で「本州最低標高の分水嶺」
を歩く行事がありました。
これはJAC創立100周年記念行事として、全国の各支部が
各地域を分担して、同時進行で行っている「中央分水嶺踏査」
の、関西支部分担区間終了の記念山行ともなりました。



午前10時、丹波市氷上町の石生駅に24名のメンバーが集合、
水分かれ公園を通り抜けて、谷中最低分水界始点から向山に
登りました。
この日は「いそ(山偏に石)部神社」の祭礼の日にあたり、
公園周辺はお祭りの準備で忙しい様子でした。
(お祭りの様子は「丹波のたぬき」さんのページをどうぞ)


登山口から急登で尾根に出て、あとは小さなピークを連ねる稜線を
辿ります。一ヶ月以上も山から遠ざかっていた♀ペンも元気に頂上
に立ちました。
去年、地元の丹波のたぬきさんと島田さんの案内で歩いていますの
で、私たちにとって懐かしい頂上でした。


分水嶺稜線を南西に歩き、途中の清水山への分岐から再び急坂を
下って分水界の起点(東端)に降り立ちました。
時計回りにぐるりと歩いてきたことになります。
ここから「日本一低い中央分水界」(谷中分水界)を西端の石生
交差点まで1.25㎞歩きました。
この写真の辺りが最低標高点のようです。

写真撮影地点の大師堂には、「谷中分水界ここに終わる。これより
山に登る」という標識がありました。