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戦争と平和 発売日:2002-10-29 |
お世話になります
ザ・フォーク・クルセダーズ 2002年のアルバム「戦争と平和」に「芸術家、科学者、そして宗教家」という曲があります
作詞:きたやまおさむ
作曲:加藤和彦
ああ人間たちよ 元気でいるかい
そうさ芸術家 今だ科学者
そして宗教家 地図のないまま
そうさ芸術家 今だ科学者
そして宗教家 知恵を合せて
「今だ科学者」というフレーズが印象的です
前回「科学者が人間であること」中村桂子 著のことを取上げます と予告していたのですが まずは 現状確認と問題提議ということで 目次とメモを
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科学者が人間であること (岩波新書) 価格:¥ 840(税込) 発売日:2013-08-22 |
まとまっていなくてすいません
お時間のある時にでも眺めて頂ければ幸いです
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■Ⅰ.「生きものである」ことを忘れた人間
◆1.「生きものである」とはどういうことか
「人間は生きものであり自然のなかにある」これは誰しもわかっていること しかし 現代社会はこれを基盤としてできている訳ではない
人間は生きものであり自然の中にいる ということを忘れたと言わざるを得ない社会をつくり営んでいる
鼻や舌などの感覚で判断することは非科学的で 数字で表す 白黒はっきりさせることが良しとされる風潮
人間は一つの祖先から生まれた仲間であること 三十八億年という時間を体の中に持つという二つの性質を他の生き物と共有している
◆2.「ヒト」の特徴を考える
家族は人間独自のものであるがその芽生えは類人猿でもみられる 母親は完全に生物学的存在 父親は文化的存在であり これが生まれたことで家族が生まれた
ヒトゲノム、つまり私たちの細胞核の中にある全DNAにはATGCという四種の物質が三二億個ほど並んでおり、その配列は解読されている 実はチンパンジーもほぼ同じ大きさで その配列を比較すると違いは1.2%ほどしかないとか
●私たちが生きる近代文明を「生きものとしての眼」で見たとき何が問題なのか?
◆3.近代文明とはなんだったか 「生命」の視点から
●早く出来る、手が抜ける、思い通りに出来る。
日常生活にはとても有難いことであるが これはいずれも生きものには合わない!
生きるということは時間を紡ぐことであり、時間を飛ばすことは全く無意味むしろ生きることの否定になる!
野菜作りを趣味にしているある会社の社長さんが「肥料じゃないんだよ。毎朝ご機嫌はどうかと声をかけてやれば美味しいトマトができるんだ。」
と話す時の顔は、経営について語る時のそれとは違い、何とも柔和、日常は厳しいけれど、その底には生きものへの眼があるんですね
●一極集中と多様性
大きな問題を抱えている↓
利便性の追求、人工環境を良しとする価値観の追求 東京圏への一極集中であり、この異常と言える一極集中社会は生物が生きる場としては大きな問題
本来「多様」なものであるのに、この社会は均一性を求めている
●日本は豊かな自然資源を持っている国
日本は世界六位の海岸線の長さを持ち、富士山は3776mの高さ、日本海溝は8020mの深さがあり、南北だけではなく高低でも多様な自然がある
日本の近代化は西欧からの「科学を主とする知」や「社会制度の導入」で始まった
それを日本人は真面目に追及し 多様性を蔑ろにした 気が付けば食糧も自給していない
近代化の先生であるヨーロッパなどのいわゆる先進国 実は分散型であり食料の自給もしている なぜそこまで真似しない?
世界では人口増加による食糧難が心配される? 日本の現状は先進国と言えない!
●アダム・スミズ
人間は利己的なものとしても 本性の中に明らかに別の原理があり 他人の幸福を 自分にとって必要なものだと感じるのである
最低水準の富は必要だが それ以上の富の追加が幸せと比例すると考えるのは私たちの中の“弱さ”である
「財産への道」と「徳の道」が矛盾した時は徳の道を優先させれば 社会の秩序は維持され繁栄する
●科学技術についても 否定するのではなく「人間の側から」考え直すことが必要
■Ⅱ. 「専門家」を問う 社会とどう関わるか
◆1.大森荘蔵が描く「近代」
求めるべき世界観
「科学が作ってきた世界観を問い直すことから始めなさい」
大森荘蔵
●選択肢1
悪者は科学だから離れよう 私たちは日本の自然の中で生命に向き合う文化を作り上げてきた 神道や仏教のように総合的に自然・生命に向き合ってきた東洋古来の思想に目を向け 新しい社会を組み立てる道
●選択肢2
科学には問題点があるが蓄積された“知”を無視することは出来ない 科学を見直し問題点を検討し 科学を踏まえた“新しい知”を探索しようという道
●後者を選ぼう 二者択一ではなく“生きもの視点”で“新しい知の世界観”
◆2.専門家のありようを見直す
●原発事故後 専門家の考え方や行動が一般社会からかけ離れているのでは?
専門家の言うことは信じられないという空気が生まれてしまった
「専門家」たちが 自らも社会の中に生きる一人の「生活者」であるという感覚を失い 閉じられた集団の価値観だけを指針に行動しているのだ という事実が一連の説明を通じて伝わってしまった
●役に立つ
「社会の役に立つ」という言葉が重要になり威力を発揮しだした 本当に人々の為になるか否かではなく 経済的な利益に結び付くかどうかを意味していた そしてさらに 実際に経済的利益つながるか否かよりも 「つながるかの如く見せる」ことが大事になってきた
“ムラ”を守るために 目的・意義よりその研究が「役に立つ」ことをアピールし巨額の予算を獲得すること自体が専門家たちの至上命題になってしまった
◆3.社会に対する「表現」
●安全神話
「大丈夫だろう」 著者自身もそう思っていた
神話を信じてはいなくても甘かった これは日本人の文化?
谷川俊太郎さん作詞の「鉄腕アトム」
手塚マンガの根底にあるのは 生命の視点から科学技術を考えるということ しかし アトムは子供たちに夢を与えることが求められたので どうしても 「ラララ 科学の子」 になる
一方 イギリスの「機関車トーマス」のテーマソングの一つに 「じこがほら おきるよ」という一節がある
これは人間の問題 科学・科学者のありようは社会の価値観や文化に影響される 社会から夢の技術などと期待されると専門家はついその気になってしまう
●ベートーヴェンがすばらしいと思えるのは 様々な演奏家という「専門家」による表現があるから 演奏家は音楽と同時に自分を表現する
コミュニケーターではなく表現者 しかも作曲家が演奏するシンガーソングライターが原点 科学者もそうあるべき
◆4.生活者として、思想家としての科学者
●鴎外の不安
「自然科学のうちで最も自然科学らしい医学をしてゐて、exact な学問といふことを性命にしてゐるのに、なんとなく心の飢えを感じて来る。生といふものを考える。自分のしてゐる事が、その生の内容を充たすに足るかどうだかと思ふ」
これはドイツ留学時の森鴎外の言葉です
「研究」以前のごく日常的な面と「研究」を超えて哲学に近づく面とがあるのに「研究」という言葉にはこの両方がはみ出してしまう
●新しい「研究」の意味を
日常と思想を含んだ探究という意味を「研究」に含めてはどうか
学問はどんどん専門化し細分化してきた 本来科学は自然と向き合うもの科学者自身が生活者としての感覚を持って自然と向き合わなければならない
自然と向き合うという姿勢が生まれることが 近代が依拠してきた世界観の見直しという 大きな問題につながるハズ
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ということでした
あれ 中途半端ですか そうですね
読み込んでメモしてると一冊全部書き写してしまいそうで 力尽きました
次回は この続き
■Ⅲ.「機械論」から「生命論」へ 「重ね描き」の提案
■Ⅳ.「重ね描き」の実践に向けて 日本人の自然観から
■Ⅴ. 新しい知への道 人間である科学者がつくる
ということで ではまた
1981年 Redwood