橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #366 ≪与太郎的こころ≫

2019年03月18日 | EHAGAKI

お世話になります

図書館で文藝別冊「立川談志」というムック本を借りました
2013年の発行です

その中で、まるでこの3月に入ってからの話題に対する
コメントの様な文章がありました
また、前回の「#365 虚構の中の現実」にも
通づる話題でもありました

ということで今回のお題は、
立川談志師匠1992年のエッセイ
「敢えて、与太郎興国論」をご紹介させて頂きます
またも少々長いですが


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

常識には不愉快な部分がある
その不愉快な部分を解決するために、落語が必要

落語は常識のほころびを直す役割も果たすが、根本的には、
常識を否定している 兄弟仲良くとか、隣人を愛せよなんて言わない

芸人なんてのは、常識の世界からドロップアウトした非常識な連中

ところが、ちゃんとやれないはずの芸人が、今は市民権を持っちまった
これはいけません
だから、ポケットにコカインを入れたら怒られるんですよ

芸人というのは、そんな非常識なものをやっていく稼業なんですよ、
まぁ、社会ルールに反したら、一応ペナルティは払いますが、
それだけで、あとはまたそのことを喋り、
同じことをやって捕まればいいだけなんです

そのはぐれ者の文化を、桂三枝とか春風亭小朝みたいな常識人が
とり入れようとしている
ビートたけし、上岡龍太郎、山城新伍しかりね

それが、今のテレビを中心とするお笑いの世界なんですよ

テレビは基本的には非常識に憧れているんだけど、それが出来ない 
テレビはあくまで常識サイドにある

落語は非常識の視点から常識サイドを見てる

「おれは人にものを教わるのが嫌いだ」
「私が教えてもか」
「おめえは別だい。何かあったら言ってくれよ」
「でも、怒りそう……」
「怒らねえッつってるじゃねえか」

「じゃ、言うけど、おまえが二服目の煙草をはたいた時、
火の玉が煙草盆に入えらねえでおまえの袂へ入えった。
見ているうちに、煙が出たよ。大丈夫かと思って。
今、燃え出したけど、ことによると消したほうがいい 」

「この野郎ツ、早く教えろツ、バカヤロウ」
「ほらみろ、だから怒るから教えねえほうがよかった」 

こういうのが落語

落語の基本には、
「文明というのはそんなにいいものではない」というのがある

つまり
不快感を自分の納得できる方法で解消するのが「文化」
納得はしてないんだけど便利だというので、いっちゃうのを「文明」

俺は「文明」に委ねてきた自分を今、こんな 形で謝罪している
もっと言うと、ボケ問題だろうが、覚醒剤の問題だろうが、
もともとあれが本質なんでね

たしか岸田秀先生が、「人間というのは本能が壊れている」 
とおっしゃったけど、たしかに本能がずれてると考えたほうがいい
だから、放っとくと人間は死んじゃうから

知性をつくってきた  その力がだめになったときにボケるのであって、
やっぱりあっちが本物なんじゃないのか

してみりゃ、幻覚剤、覚醒剤、と、あっちが本当で、
それを正常ってやつがストップさせてるだけで、
いつかはあっちへかえりたい、幻想とか非日常とか

 落語は、それを知ってて、「文明」というやつを笑っている
「文明」というのは、一口に言っちゃうと、全部便利さ優先

便利が先に立って、いろいろな知識を持ったやつがビール瓶を
こしらえたり、ライトをこしらえたりするのを「いい」としてきた

どうもそうじゃないような気がする 

なかでも腹がたつのは、経済人だね
だいぶ前だが、牛尾治朗に、

「右も左もわからないガキに、ちょいとライトが変わるからとか、
もっと小さくて軽いから、ってんで新製品を売りつけるのは、よくないよ」
と言ったら 

「いいものだから売るし、相手も買うんだ」って言ってた

そういった不快感の解消を「文明」という手段を使って、
金儲けという目的にすりかえているやつが
「若者に夢がない」なんて、よく言えたもんだ

与太郎でいいじゃないの 

倅もね、大学を途中でやめちやった
学校の先生の話より俺の話のほうがおもしろいって
「それじゃおまえ、どうやって食うの?」
「財産がくるだろ」
 「大したことないけど、法的には行くだろう」
「それでいい」
「逆らったらやらんぞ、おまえ」
「おれ、今まで逆らったことある?ないだろう」
と言うんだよ

一度もおれに逆らったことねえんだ、
こいつ、まるで落語の与太郎なんだ

それでね、ははぁ与太郎というのは、
こういう非生産的な人間のことを言うんだな、
ということがわかった

「飯は何で食うんだ?」
「箸と茶碗だ」なんて言ってる野郎なんだからね

だけど与太郎は、「非生産的でなぜ悪いんだ」ということを、
生産的なやつにいくら言っても無駄だと知っているし、
だから与太郎でいい、バカと言いたきゃそれでいいとひらきなおってる

「そのかわり、おれがいることによって、
あなた方はどれだけ助かっているんだ」ってね

牧伸二のジョークじゃないけど、
「寝てないで勉強しろ」
「勉強すると、どうなるんだ」
「成績が上がるんだよ」
「上がるとどうなるんだい」
「いい学校へ入れる」
「入れるとどうなんだい」
「いいところに就職できる」
「と、どうなんだよ」
「収入が増えるんだよ」
「増えてどうなる」
「寝てて暮らせる」
「だから、寝てるんじゃねぇか」 ってね。 

本質よりも利潤を優先する企業、それを相手にしている人間が、
テレビを牛耳っている限り、それを占めている電通とか博報堂が
やっている限り無理だろうけどな

そうなると、やっぱりライブ、高座の復権しかない

こんな噺もあるよ

与太郎がかぼちゃを売りに現われる

「何でこんなもん売らなきゃなんねえんだ」と言ってね

食うやつがいるから作るやつがいるのか、
作るやつがいるから食うやつがいるのか、いずれにせよ、
間の悪いやつは、あいだへ入って売らなきゃならねぇ

これは見事に経済を突いている
これが、今の経済人に踊らされているサラリーマン社員の代弁だ

そこに気がつかないと、落語も滅びるし、歌謡曲も滅びる
だからやっぱり私はこんな感じのことを、
伝えていかにゃぁならんのでしょうな、愚痴として

立川談志 「中央公論」92 . 2月号より

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ということでした

長い文章を大胆に抜粋・修正したつもりでしたが、
それでも長くなってしまいました
ご容赦下さい


別のソースですが、与太郎はこうも言ってます

「壊れた時計だって、1日に2度は合う」


いろいろ考え直す、べきですかね

ではまた