この度の台風の被害に
大変な思いをしておられる方が多いと存じます
御見舞い申し上げます
毎年、必ずと言っていい程、大きな災害が起こります
大きな災害の度に非常時の準備をし
徐々に忘れる、この繰り返しをしております
私の場合、電気・水道の無い山小屋で毎週末
家族や友人らで遊んでおりましたので
その時の経験で、、、
と自信もあるつもりですが
「3日分の準備」と考えておりましたが
今回の様子を知るにつけ「1週間分」に
考えを変える必要を感じます
「Y2K問題」は覚えておられますでしょうか?
ライフラインが混乱した場合の正月の過ごし方を
1999年10月26日に書いております
復元した文章はコチラ
さて、今回のお題は
「もうレシピ本はいらない」人生を救う最強の食卓 稲垣えみ子著
無職で独身、アフロの元朝日新聞記者
震災を機に節電にはまり、とうとう冷蔵庫をやめたその結果
江戸時代の食生活を始める
という話で
レシピに囚われている現在への提言であります
◇ ◇ ◇ ◇
「小さなダ ツチオーブンをセットして火をつけ
買いたての揚げをポンと置く」
「油などひかない、揚げの油分があるから
フタをしてしばらくたつと、ジュワーッと音がしてくる」
◇ ◇ ◇ ◇
この部分、私もダッチオーブンユーザーなのでよくわかります
大そうな料理ではなくこういった簡単な料理に
力を発揮するのがダッチオーブン
大胆に、シンプルに、そして旨く以下、一部抜粋です
◆ ◆ ◆ ◆
味噌をお湯に溶いただけでも立派な味噌汁
味噌汁はどんどん進化していった
具は市販品だけでなく、 ベランダの干し野菜も投入
干しエノキ、 干し大根 干しタマネギ、干しキャベツなど何でもいい
そうなると次第に出汁
つまりはカツオは入れなくても十分美味しいということがわかった
むしろカツオはあまりに強烈な旨味がある
どんな具に何を入れようが、全てが「カツオ味」に染まる
カツオ、確かに美味しい
でもいつも同じ味
食べ物はカツオならずとも
なんだってそれぞれに旨味を持っている
「出汁」ってカツオと昆布のことだと思っていたが
出汁、すなわち旨味を持っているのは
一部のエリート食材だけなんかじゃなかったのである
旨味の種類や強さが違うだけで、すべてに旨味がある
これって人間もそうじゃないのか
◇ ◇ ◇ ◇
野菜が残ったとき、ほとんどの人は
「ラップで包んで冷蔵庫に入れておこう」 と思う
ちょっと待った
その野菜を好きな大きさにカットして
ベランダや日の当たる窓際に置いておく
雨にさえ気をつけていれば (雨にあたるとカビる)
必ずいい具合にしんなり
カラカラになるまで乾かなくたっていい
味噌汁の具だけでなく、炒めもの、煮物、揚げ物など
あらゆる料理の食材になってしまう
つまりは野菜の保管場所を
「冷蔵庫」から「ベランダ」 へと変えるだけ
野菜とは年中採れるわけじゃない
種類によって収穫時期が決まっているのである
これに多くの方が「バカじゃない?」と思われる
野菜には「旬」というものがある
ということは頭ではわかっている
しかし、改めて考えると
それは本当に「頭では」というレベルであって
実際には全く理解していなかった
改めて直売所の野菜をよく観察してみると
野菜の旬というのは実にハッキリしている
「タケノコそのものの味」って
知ってるようで知らない
ただ油で炒めて、塩胡椒をふって、食べてみるべき
◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
1時間程で読めますのでお勧めです
すべてを取り入れる必要は無いと思います
※私にとってビールや氷を冷やす為の冷蔵庫は必需品
ちなみに著者は、日本酒が大好きな様です
自分に合った取り入れ方があると、愚考する次第です
最後にこの本の “キメ” の部分を
以下、原文のまま
◇ ◇ ◇ ◇
料理なんて簡単だ。
そしてそこには無限の自由がある。
コンビニで買う自由?
いやいや、 自由ってそんなもんじゃないんだよ。
そこで売られているものは
「多くの人が一般的に好きそうなもの (つまりは売れそうなもの)」
である。
それを日々食べ続けることに慣れてしまうと
あなたは自分で自分の好きなものがわからなくなってくる。
つまりは「一般的に誰もが好きそうなもの」を
自分も好きになるしかない。
好きになれない場合は、それに慣れるしかない。
それは地獄ではないかもしれないが、
ある種の牢獄だ。
自分で自分を牢屋に入れてはならない。
略
息苦しい世の中で、少なからぬ人が
「こんなはずじゃなかった」と人を呪いながら生きている。
でも料理ができるあなたは、そんな世界とは無縁である。
どんな状況にあっても自分の足で
すっくと立って背筋を伸ばして歩いていくことができる。
そんなことができたなら、何を恐れることがあるだろう。
これを自由というんじゃないだろうか。
略
◇ ◇ ◇ ◇
ではまた