今日はサ-クルの日。いつものように支度をして9時40分に到着。
も-、キウイ3人組、そして遅れてさくら。更に遅れて民芸。
そろそろみんな各々が自由に別々の進め方でやり始めたのが判りませんか?
僕もここでは教えると言う立場では無く、相談相手とかおしゃべり屋さんに徹していて
理解されつつあるのかなぁ?って感じなのね。立場はサ-クルで上手い人の1人。
そんな中、話しは昨日のシ-。も-がどこ行きましたか?何見ました?・・・
固有名詞は出て来ないのは言うまでは無いものの、伝えなきゃならない。
そこでありとあらゆる見た事を目をつぶると出て来る情景を説明し、更に回りの雰囲気などを伝えると、あぁそこはなんだとか、こうなっていませんでしたか?とか明らかに
伝わっているらしく、共有出来たりする。 これが会話だって事。
伝える方は伝わるまでしっかり話し、聞いた方は理解をして確認し共有する。
勿論感想は、同じとは限らないけれどね。
シ-は分割されている。大まかに7つくらいに分かれている。
そしてそれらを1日で回れないくらいの広さである。でも1日しか無理って設定で行った。
大事なのは、人魚のショ-での動きと、ミュ-ジカルっぽいものを探す事。
当然それだけの内容なら、余るくらいに時間はある。
そうすると、次は元建築関係。だからタイル屋、左官、モザイク、オブジェ、そして趣味の音楽となるだろう・・・
ここは追及するスタイルの最終系の集合体。つまりでっかいレプリカなのだ。
イタリア風味あり、アメリカ風味ありとね。
そこで問われるのはグレ-ド。例えばこう言う事を考えた事がある人は少なかろう。
1つ1つのゾ-ンに企業がついている。
1日で回れないって事は、どこかがおろそかにされる訳だ。
あそこは面白いんだよねぇ・・・とか、あの乗り物は待ってでも乗ろうとか、
あのショ-は欠かせないとかって具合にね。
すると残酷なのは、あれはいらないよねぇ・・・つまらないから・・・って。
ここにクリエ-タ-としてどう感じるか・・・・?
つまりこう。 シ-自体をkatsuとすると、katsuちゃんタワ-・オブ・テラ-は良いよねぇ。けれどあの人のはねぇ・・・無かった方が・・・なんて弟子や日高氏の部分に
問題があったら、シ-って言うkatsuのグレ-ドが下がる事になる。
しかもそれを言った第三者は、明らかに弟子や日高氏よりモザイクは上手く無いのに・・
こうはなりたくないものだ。
シ-にはそれがあると言う事なのだ。
建物で例えれば、これは本物みたいって仕事があるのに、明らかにお粗末とか、
そもそもが似ていないとかね。
イタリアに似させようとしているのに、行った事も無い人達にさえ判るほどお粗末。
これは作り手として最悪だ。
良い仕事は、本物より良くて、更に言えば、区別出来ないってね。
もっと言えば、それがプロとしてお金を取った仕事だって事。
そして更に職人はOK出せる実権は無いのだから、工務店なり、設計士がそれらにOKを出したって事になる・・・お客さんにそっぽ向かれるものにね・・・・
そしてそれにスポンサ-がついているって具合。
もしかすると、入りが少ないと、土地自体が少ないのだから、壊されて新しいモノに変えられてしまう事だってあるって事・・・・恐ろしい話だ。
更にまだ続く。 建築物にせよ、ショ-にせよ、オブジェにせよ、そこにお客さんが
何分足を止めたか? すべて無意識のうちに比べられているのだ・・・・
ショ-1つ取っても、演者が交代した時に、あの人の方が上手いなんて具合にね。
語れば話は尽きない。
感情移入とはそう言うことだ・・・・
明日からの玄関に気は抜けないって再確認して・・・・いよいよ・・・・
も-、キウイ3人組、そして遅れてさくら。更に遅れて民芸。
そろそろみんな各々が自由に別々の進め方でやり始めたのが判りませんか?
僕もここでは教えると言う立場では無く、相談相手とかおしゃべり屋さんに徹していて
理解されつつあるのかなぁ?って感じなのね。立場はサ-クルで上手い人の1人。
そんな中、話しは昨日のシ-。も-がどこ行きましたか?何見ました?・・・
固有名詞は出て来ないのは言うまでは無いものの、伝えなきゃならない。
そこでありとあらゆる見た事を目をつぶると出て来る情景を説明し、更に回りの雰囲気などを伝えると、あぁそこはなんだとか、こうなっていませんでしたか?とか明らかに
伝わっているらしく、共有出来たりする。 これが会話だって事。
伝える方は伝わるまでしっかり話し、聞いた方は理解をして確認し共有する。
勿論感想は、同じとは限らないけれどね。
シ-は分割されている。大まかに7つくらいに分かれている。
そしてそれらを1日で回れないくらいの広さである。でも1日しか無理って設定で行った。
大事なのは、人魚のショ-での動きと、ミュ-ジカルっぽいものを探す事。
当然それだけの内容なら、余るくらいに時間はある。
そうすると、次は元建築関係。だからタイル屋、左官、モザイク、オブジェ、そして趣味の音楽となるだろう・・・
ここは追及するスタイルの最終系の集合体。つまりでっかいレプリカなのだ。
イタリア風味あり、アメリカ風味ありとね。
そこで問われるのはグレ-ド。例えばこう言う事を考えた事がある人は少なかろう。
1つ1つのゾ-ンに企業がついている。
1日で回れないって事は、どこかがおろそかにされる訳だ。
あそこは面白いんだよねぇ・・・とか、あの乗り物は待ってでも乗ろうとか、
あのショ-は欠かせないとかって具合にね。
すると残酷なのは、あれはいらないよねぇ・・・つまらないから・・・って。
ここにクリエ-タ-としてどう感じるか・・・・?
つまりこう。 シ-自体をkatsuとすると、katsuちゃんタワ-・オブ・テラ-は良いよねぇ。けれどあの人のはねぇ・・・無かった方が・・・なんて弟子や日高氏の部分に
問題があったら、シ-って言うkatsuのグレ-ドが下がる事になる。
しかもそれを言った第三者は、明らかに弟子や日高氏よりモザイクは上手く無いのに・・
こうはなりたくないものだ。
シ-にはそれがあると言う事なのだ。
建物で例えれば、これは本物みたいって仕事があるのに、明らかにお粗末とか、
そもそもが似ていないとかね。
イタリアに似させようとしているのに、行った事も無い人達にさえ判るほどお粗末。
これは作り手として最悪だ。
良い仕事は、本物より良くて、更に言えば、区別出来ないってね。
もっと言えば、それがプロとしてお金を取った仕事だって事。
そして更に職人はOK出せる実権は無いのだから、工務店なり、設計士がそれらにOKを出したって事になる・・・お客さんにそっぽ向かれるものにね・・・・
そしてそれにスポンサ-がついているって具合。
もしかすると、入りが少ないと、土地自体が少ないのだから、壊されて新しいモノに変えられてしまう事だってあるって事・・・・恐ろしい話だ。
更にまだ続く。 建築物にせよ、ショ-にせよ、オブジェにせよ、そこにお客さんが
何分足を止めたか? すべて無意識のうちに比べられているのだ・・・・
ショ-1つ取っても、演者が交代した時に、あの人の方が上手いなんて具合にね。
語れば話は尽きない。
感情移入とはそう言うことだ・・・・
明日からの玄関に気は抜けないって再確認して・・・・いよいよ・・・・