katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室とかんすけが来る

2010-12-06 22:55:02 | モザイク教室
先日の絵を描き直して来た。ほらぁこれだけ上手くなる。これが大事なのね。
一般的にお母さんって言うのは、時間制限があってそれがごくわずか・・・

それも子供達のいない間だけ・・・。なんて事が多いでしょ?しかもお母さんになって
その限られた時間の中で完結するって言うのに慣れてしまうんだろうね。

これとこれとこれを夕方までに終わらせる・・・今日1日・・・ってな具合にね。
そんな事からも、その生活に慣れると必要に任せたように逆に得意になってしまう。

そうすると体験教室のように数時間で完結・・・ってスタイルがとても好ましくなる。
それでもキウイのように続けているといつしか人に上手いぃぃって言われるようになり

人に教えられるくらいにもなる。ここまでは手に入った。そうなると、ここからが
本当のオリジナル作品が作れるようになる正念場となって来る。

それは自分の思い描く下絵を具体化する。つまり自分の脳と向き合うって事なのね。
そこで前回、キウイには女の人と大木を別々に描く・・・と提案した。

それにあたってラフ画だった女の人を描き直して来る・・・が宿題だった。
たしかに前回よりはるかに良くなった。がしかし、何かが不満らしい・・・

それは簡単な事。この女の人は何処にある何をどうしたいの?そうねぇ、昔習った英語の
5W1H的質問かな?これが非常に大事なのね。

そこでキウイの思い描く女の人の検証を一緒にする。まぁ聞かなくてもすぐ判るんだけれど・・・・ね。何がどう違うのか?が判らないとつまづいている場所が理解出来ないから

答えは、伸ばしている手の先と顔から判断するに目の位置がずれている。
普通真剣に何かをつかもうとしているのなら、取ろうとしているものに目は行くはず。

ならばもっと首は天を向くはずである。と言う事は直すべきは上半身。
一応確認するなら足が伸びているのだから、肩より上のモノを取ろうとしているのは

明確だが、合っているのは手なのか?目の方なのか?すると手の位置が合っている
らしい。そんなこんなで直し方を教えて是正して貰うと・・・・


どうかな?良くなったでしょ?今日の書き直しがあっての是正。
たった数日でここまで良くなるのね。モザイクもそうだしこの下絵もそう。

本気で向き合えばこの位の事はやり付けないだけで、いくらでも出来るのね。
基本は腕より慣れ。ただ描き慣れていないだけ。

この絵になれば、モザイクキウイの腕で一番小さなパ-ツが切れるかどうか?に
なって来る・・・。ここで難しいのは、髪の毛の太さと指先の太さが今の下絵の

大きさでは同じ太さになると思われる・・・。そして俺の作品のように肌を
ガラスタイルでやるとなると、相当な細さの指を切らなければならない・・・・

ここを確認すれば、もう女の人はこれでオッケ-。次なるアイテムの大木を宿題とした

そんな中、かんすけがやって来る。実はかんすけが密かに作っていた写真たて。


エミリアを4分の1に切って作ってあるんだけれど、こんなに切るの初めてなのね。
確かに良く頑張って作ったと思うのね。けれど続ける前提でね、ちょっとアドバイス

一見同じようだけれど、聞かなくても左が最初に作ったものだろうね。
良く見るとイビツな形がいくつもある。だから目地幅が一定じゃない。

方や右はそれを踏まえて、かなり丁寧にやったんだろうね。2作目にしてこれだけ
是正出来る。では更に今度は色。これも一見似ているがはっきり違うのね。

それは、左には濃い緑が乱立しているが、右は3つ・・・むしろ右には入れなかった方が
良かったろうね。そうすると確実に違うものに見えるモノが作れたと思うのね。

ここまで説明して、でもね・・・もしかするとモザイクっぽいっとか、手作り感って
言うのは、作った事の無い人達は左の方かも知れないのね・・・と。

そこに更に色濃いものと薄いもの・・・って言う作り方を絡めて行くと、幅が広がる。
こんな事を踏まえて、ただ楽しみなら別に言う事も無いんだけれど、

上手くなる・・・ってのは続ける前提のアドバイスで、かんすけはついているよぉ。
今日はキウイの意見も聞けるのだから。

今までのように切らないタイルの取り付けでは、いかに珍しいタイルを探すか?に
なって来る。それはそれでも良いが限界はある。ならば最低でもクラッシュくらいは

楽々出来るように・・・更にと言うなら、きちっと半分、きちっと4分の1、
きちっと丸・・・が切れるようになるとバリエ-ションが増えるとね。

絵は作らなくて良いから。つまり幾何学模様のように並べ方でデザインとする考え。
これなら構図って言うほどの事は無いからね。どう素敵に切ったパ-ツを並べるか?に

掛かって来る。何しろここも継続は力なり・・・なのね。頑張ってねぇ。

さてその後の俺は・・・


2枚目に入ったのね。そんな中、かぐやとの電話でかぐやの家の金魚が死んだのを知った

そこでとても落ち込んでいたので、あのさぁ俺も昨日2匹、池からいなくなったので
残念だったけれど、いなくなっちゃった・・・折角大きくなってたのに・・・と

くよくよしそうだったから、1時間だけ・・・と金魚を買いに行ったって言ったよね、
かぐやも同じ事。くよくよすんなら別に高いの買う必要は無いから、寂しいなっ・・・

って思わないように買って来い・・・そしてせがれと一緒にって。

大事なのは、くよくよしないように。いなくなったものは仕方無い。
くよくよするのも当然。ここが分かれ目。ならばくよくよしたくないから、

もう二度と飼わない・・・にするのか?くそぉぉぉ、今度こそっ・・・って思うか?
でも答えは簡単。かぐやもせがれも金魚が好き・・・ならばほとぼり過ぎたら、

また飼いたくなるはず。具体的に言えば、アトリエに来る事になれば必然的に観る事に
なる。果たして飼いたくならないだろうか?

しかも、今飼うのなら今度は何が失敗だったか?何が・・・と振り返り是正にも
役立つが、ほとぼり冷めてから・・・と一旦時間を置けば、まるで何も無かったか?

のように、是正所か1から・・・と何の是正も無くまた同じ失敗をする。
失敗するって言うのはこんな事の繰り返しなのだ。

だから俺はかぐやにもせがれにも、今日買って来いって言ったのね。けれど、気に
入らなかったら、買わなくても良いから、買って来ても良いように水槽だけは

洗って支度だけして買いに行って来い・・・と言ったのね。

更にせがれと一緒にね。俺はこう思うのね。今こうして親子で同じ趣味で向き合える。
こんな時間を共有した事が思い出になる日がいつか来るってね・・・・

それは一緒に買って、一緒に世話して、一緒に死んだのを見て・・・良い事も悪い事も
共有した・・・ってのが、大事な事だと思う訳なのね。

そして2人に多分こんな事が是正対象だと思うから、ここに気を付けて飼うように。
大事にすればそんな簡単には死なないから。もう殺すなよっ・・・って。

そう言う俺も大した事はしてないんだけれど・・・・一応金魚鉢の2匹・・・生きている


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする