ただ単に誰も来なくて作家のみでやっている時、今はほとんどかぐやがいて、
話しながらやったりする。これはその中の話だ・・・
実は先日の赤坂プリンスでの事。休憩所の側にネコのグッズを売っていた。
しかしそんなにじっくりは見ていられないのでチラッと・・・そんな感じだった。
すると、そこにいた人が鎌倉で美術館をやっている人らしく、今度6月にあじさい、
12月にネコを題材に作品を展示したいのだけれど・・・やはり依頼品となりますか?と
質問をする。えぇ・・・。と答えた。作品の写真の中にあじさいも、ネコを作っていた
のを見て、そう言っているのを見ていたので、要するに展示する作品が欲しい訳ですね。
と言ってから、購入では無く展示のみ・・・が出来れば良いって事ですよね・・・・
即答は出来ませんが、前向きに考えて連絡します・・・と帰って来た・・・と
そんな話をした。そもそも本来の趣旨はこう言う事にある。過去の赤坂プリンスでの
体験教室の実績からもそんなに変化があるとは思えない・・・ならば教室だけの事を
考えたのなら、俺のスタイルを変えない限り、まず惨敗は見えている。
俺のスタイル・・・それは子供対象。そもそも大人向きなブ-スはいくらでもある。
けれど、低学年対象はいくらも無い。だからこそそこに絞っていたのだが、俺のタ-ゲットの子供が余りにも少なかった事も影響した。
1年目は場所や他のブ-スを意識して大人っぽく鏡なんてやっては見たが、俺のブ-スは
子供が多く集まった事もあり、もっと子供向きに・・・と絞った経緯もある。
それと、危険を回避するって事もあり、下地を余らせないように・・・と、この後に
使い回しの利く下地作成をしたのも原因。
もしこれが公民館や夏の子供教室なら勝機もあったろうが、そこは余り気にしない・・と
かぐやと決めていた。それが証拠に一切売る作品って言う物を辞めた。
勝負はさくらとみどりさんに作らせて貰った作品のみ。いかにそこを見て貰うか?
興味を持った人のみに何枚名刺を持って行って貰ったか?それだけに絞った。
過去2年のように身銭には一切こだわらずにね。だからこそこの話は、ある意味
願ったり叶ったりにもなる。
正直、こんな話を作る為に作っていたとも言えるのが金魚のモザイク。
それは、江戸川には金魚に関するイベントが2回ある。
そこにアプロ-チを掛けようと思って作っていた・・・と言っても過言じゃない。
さてこうなると、考えるのは全部無償になるものばかり・・・
そこに先日のモンゴルの話が加わると、相当過酷になり兼ねない。
しかし、鎌倉の話は先方からの依頼・・・しかもアイデアはある。
そこで常連のみんなに提案なのだけれど、みんなであじさい作ってみないかな?
デザインは俺。みんなにはその下絵で作って貰う。
大きさは20cmほどの大きさとなろう。おそらくね。これならみんなの負担は少ない。
もしそれが出来るのなら、当代島公民館、多治見市、浦安のでっかいねずみ、
ららぽ-とのキリウォッチの看板・・・とみんなで作って来たが、今度は美術館。
ステ-ジは変わって来る。どんな規模かは知らないが、明らかに美術品扱い。
悪い話では無いと思うのだけれど・・・。
そんな話をしていると、かんすけがやって来る。新年のご挨拶。
その中で先日の日高氏の話も出てが、子供の勉強の事で何かあったらしく、
それはそれで大変なんですよっ・・・って言ってたが、かぐやと2人できっと中学に
なる頃には、きっと笑い話になるよっ・・・きっと。と言うと苦笑いしていた。
そう言ったかぐやも今年は娘の高校受験。それはそれで上へ行けばその頃には、
遠い昔の思い出になって行く・・・
そんな中で、俺は口に出して言う・・・伝える・・・そんな話をした。
仲が良いのなら、良くも悪くもみんなで共有する。そんな考えってどうかな?
もしかすると何か変わるかもね?何か?それは言霊にも似ているのね・・・言霊。
辞書で調べると、言葉の持つ不思議な霊力なんて書いてある訳。何?霊力って・・・
これを掘り下げる。つまり言葉の持つ・・・って部分が、話す、書くと言った、
伝えるって行為が無いと、始まらない事になると思うのね・・・
そうすると次に起こるのは不思議な・・・に繋がって来る。つまり予期せぬ事が起こる
しかもそれは霊力?って事に繋がるって事じゃないのかな・・・?
あはははは。霊力だとさ。電波やfaxなんて紙を飛ばすような時代に霊力って・・・・
そりゃ多分比喩でさっ、つまり例えば伝わる事のある言葉の場合、歌の歌詞や、
選挙の演説、知名度のある人の講演、宗教などにも通ずるものになるだろうね。
だからそれにより人は感情を揺さぶられ感情移入が上手く行くと、影響を受け
それによりみんなが動き出す・・・
勿論、ここにも逆も真なり。つまり悪影響なんて事にも繋がって来る。
洗脳なんて言葉にも似ているのかな?
だから、こうしたい、こうなりたい、と自分自身を語る事で何かが起こり得るとなる。
そこには誹謗中傷もつき物だがね・・・まっ勇気のいる行為だとは思うがね・・・・
そんな事を考えて見た・・・。
この作品もそんな風にもなっている。赤と青の対比。それは昔習った漢文にも出て来る
楯と鉾の話・・・どっちが強いの?みたいなさ。
水と火。消えない火は無い。ならば水が強いのか?けれど、消えても場合によっては
かけがえの無いものを失う事にもなる・・・ならば守れた事にはならないかも知れない。
タコとザリガニ。これが伊勢海老だったら、タコは天敵。単なるタコの餌になる。
けれど、おそらく絶対に出くわさない生き物。
しかしもし出くわせば・・・と考えると、ザリガニを食べるかも知れない・・・・
だから手に絡まろうとしている。しかし、手だけならまた生えて来る。
ムシクイとトカゲにも同じ事が言える。出会う事の無いはずの生き物達。
しかも滅多な事が無い限り自分より大きいトカゲを捕食する事は無かろうが、
ムシクイは雑食。何が起こるか判らない。そしてグッピ-。これだけは観賞魚として
大事に飼われる。勿論これも野生がいるのかも知れないけれど・・・・
こうして掘り下げて行くと、何が正解でこれが安全なんてものが無くなって来る。
そして結論になる。何が起こるか?は誰にも判らない事だけれど、信じた人が決めた事は
見守る人は伝えるだけ伝えたら願う事のみとなる。
明日の糧って言うのは、こうして掘り下げ大事な人の為に何かの役に立つ事の出来るようなそんな準備が出来るように・・・と見守れる人にもなれ、
もし見守られているのなら、そのプレッシャ-を受けてもきちんと自分自身を悩んでも
見つけられる人になれる・・・そんな人に・・・
こんな事から人と接する事で傷付く事もあるだろうが、悩みつつ生きる・・・そう
生き延びる・・・
そう言う葛藤があると言うのは、孤独では無い証拠でもある。明日の糧はそんな中から
見つけ出す・・・己で。となろう・・・
しかし、そんな道中にもし見失う事があったとしたら・・・これを見て自分自身を
もう一度見つめ直すきっかけにでもなれば幸い・・・そんな作品でもある。
話しながらやったりする。これはその中の話だ・・・
実は先日の赤坂プリンスでの事。休憩所の側にネコのグッズを売っていた。
しかしそんなにじっくりは見ていられないのでチラッと・・・そんな感じだった。
すると、そこにいた人が鎌倉で美術館をやっている人らしく、今度6月にあじさい、
12月にネコを題材に作品を展示したいのだけれど・・・やはり依頼品となりますか?と
質問をする。えぇ・・・。と答えた。作品の写真の中にあじさいも、ネコを作っていた
のを見て、そう言っているのを見ていたので、要するに展示する作品が欲しい訳ですね。
と言ってから、購入では無く展示のみ・・・が出来れば良いって事ですよね・・・・
即答は出来ませんが、前向きに考えて連絡します・・・と帰って来た・・・と
そんな話をした。そもそも本来の趣旨はこう言う事にある。過去の赤坂プリンスでの
体験教室の実績からもそんなに変化があるとは思えない・・・ならば教室だけの事を
考えたのなら、俺のスタイルを変えない限り、まず惨敗は見えている。
俺のスタイル・・・それは子供対象。そもそも大人向きなブ-スはいくらでもある。
けれど、低学年対象はいくらも無い。だからこそそこに絞っていたのだが、俺のタ-ゲットの子供が余りにも少なかった事も影響した。
1年目は場所や他のブ-スを意識して大人っぽく鏡なんてやっては見たが、俺のブ-スは
子供が多く集まった事もあり、もっと子供向きに・・・と絞った経緯もある。
それと、危険を回避するって事もあり、下地を余らせないように・・・と、この後に
使い回しの利く下地作成をしたのも原因。
もしこれが公民館や夏の子供教室なら勝機もあったろうが、そこは余り気にしない・・と
かぐやと決めていた。それが証拠に一切売る作品って言う物を辞めた。
勝負はさくらとみどりさんに作らせて貰った作品のみ。いかにそこを見て貰うか?
興味を持った人のみに何枚名刺を持って行って貰ったか?それだけに絞った。
過去2年のように身銭には一切こだわらずにね。だからこそこの話は、ある意味
願ったり叶ったりにもなる。
正直、こんな話を作る為に作っていたとも言えるのが金魚のモザイク。
それは、江戸川には金魚に関するイベントが2回ある。
そこにアプロ-チを掛けようと思って作っていた・・・と言っても過言じゃない。
さてこうなると、考えるのは全部無償になるものばかり・・・
そこに先日のモンゴルの話が加わると、相当過酷になり兼ねない。
しかし、鎌倉の話は先方からの依頼・・・しかもアイデアはある。
そこで常連のみんなに提案なのだけれど、みんなであじさい作ってみないかな?
デザインは俺。みんなにはその下絵で作って貰う。
大きさは20cmほどの大きさとなろう。おそらくね。これならみんなの負担は少ない。
もしそれが出来るのなら、当代島公民館、多治見市、浦安のでっかいねずみ、
ららぽ-とのキリウォッチの看板・・・とみんなで作って来たが、今度は美術館。
ステ-ジは変わって来る。どんな規模かは知らないが、明らかに美術品扱い。
悪い話では無いと思うのだけれど・・・。
そんな話をしていると、かんすけがやって来る。新年のご挨拶。
その中で先日の日高氏の話も出てが、子供の勉強の事で何かあったらしく、
それはそれで大変なんですよっ・・・って言ってたが、かぐやと2人できっと中学に
なる頃には、きっと笑い話になるよっ・・・きっと。と言うと苦笑いしていた。
そう言ったかぐやも今年は娘の高校受験。それはそれで上へ行けばその頃には、
遠い昔の思い出になって行く・・・
そんな中で、俺は口に出して言う・・・伝える・・・そんな話をした。
仲が良いのなら、良くも悪くもみんなで共有する。そんな考えってどうかな?
もしかすると何か変わるかもね?何か?それは言霊にも似ているのね・・・言霊。
辞書で調べると、言葉の持つ不思議な霊力なんて書いてある訳。何?霊力って・・・
これを掘り下げる。つまり言葉の持つ・・・って部分が、話す、書くと言った、
伝えるって行為が無いと、始まらない事になると思うのね・・・
そうすると次に起こるのは不思議な・・・に繋がって来る。つまり予期せぬ事が起こる
しかもそれは霊力?って事に繋がるって事じゃないのかな・・・?
あはははは。霊力だとさ。電波やfaxなんて紙を飛ばすような時代に霊力って・・・・
そりゃ多分比喩でさっ、つまり例えば伝わる事のある言葉の場合、歌の歌詞や、
選挙の演説、知名度のある人の講演、宗教などにも通ずるものになるだろうね。
だからそれにより人は感情を揺さぶられ感情移入が上手く行くと、影響を受け
それによりみんなが動き出す・・・
勿論、ここにも逆も真なり。つまり悪影響なんて事にも繋がって来る。
洗脳なんて言葉にも似ているのかな?
だから、こうしたい、こうなりたい、と自分自身を語る事で何かが起こり得るとなる。
そこには誹謗中傷もつき物だがね・・・まっ勇気のいる行為だとは思うがね・・・・
そんな事を考えて見た・・・。
この作品もそんな風にもなっている。赤と青の対比。それは昔習った漢文にも出て来る
楯と鉾の話・・・どっちが強いの?みたいなさ。
水と火。消えない火は無い。ならば水が強いのか?けれど、消えても場合によっては
かけがえの無いものを失う事にもなる・・・ならば守れた事にはならないかも知れない。
タコとザリガニ。これが伊勢海老だったら、タコは天敵。単なるタコの餌になる。
けれど、おそらく絶対に出くわさない生き物。
しかしもし出くわせば・・・と考えると、ザリガニを食べるかも知れない・・・・
だから手に絡まろうとしている。しかし、手だけならまた生えて来る。
ムシクイとトカゲにも同じ事が言える。出会う事の無いはずの生き物達。
しかも滅多な事が無い限り自分より大きいトカゲを捕食する事は無かろうが、
ムシクイは雑食。何が起こるか判らない。そしてグッピ-。これだけは観賞魚として
大事に飼われる。勿論これも野生がいるのかも知れないけれど・・・・
こうして掘り下げて行くと、何が正解でこれが安全なんてものが無くなって来る。
そして結論になる。何が起こるか?は誰にも判らない事だけれど、信じた人が決めた事は
見守る人は伝えるだけ伝えたら願う事のみとなる。
明日の糧って言うのは、こうして掘り下げ大事な人の為に何かの役に立つ事の出来るようなそんな準備が出来るように・・・と見守れる人にもなれ、
もし見守られているのなら、そのプレッシャ-を受けてもきちんと自分自身を悩んでも
見つけられる人になれる・・・そんな人に・・・
こんな事から人と接する事で傷付く事もあるだろうが、悩みつつ生きる・・・そう
生き延びる・・・
そう言う葛藤があると言うのは、孤独では無い証拠でもある。明日の糧はそんな中から
見つけ出す・・・己で。となろう・・・
しかし、そんな道中にもし見失う事があったとしたら・・・これを見て自分自身を
もう一度見つめ直すきっかけにでもなれば幸い・・・そんな作品でもある。