まずはみどりさんの展示販売作品。来るなり仕上がった作品に不満・・・・
そもそもみんなの作品がブログで見て上手い・・・こんな話から始まった・・・・
じゃ具体的に検証する事にする。一体誰が作っているか?・・・
かぐや、キウイ、オ-ドリ-、ニュ-ゆみ、そしてみどりの5人となる。
良く考えよう。かぐやは俺の弟子だが腕はライバルと言った腕前。ならば上手くて
当たり前。ならば対象外。比べる必要は無い。
次キウイ。ここも生徒のエ-スと言っているのだから、もう生徒枠と言うより、
弟子と言う称号で無いだけで単なる教室の先生くらいならいつでも出来る腕。
ならばここも語る必要は無い。ならば対象とするのなら、オ-ドリ-、ニュ-ゆみとなる。
さてもうすでにここの時点が間違っているのに気が付いただろう・・・
つまりいつの間にかみんな・・・とくくっていたのである。ここが大きな落とし穴。
もう2人は別格。一般のお母さんの趣味の域では無い。
こんな所を一緒にくくる必要無し。わざわざへこむ材料を増やす必要は無い。
では純粋に3人を分析する。3人の大きな違いは1つ。アトリエでやったのと1人でやった。
オ-ドリ-とみどりは自宅で。ニュ-ゆみはここで。これが今回の違い・・・・
オ-ドリ-とみどりは定期的に通ってくれる人。ニュ-ゆみは時々・・・ここが問題。
定期的な人は大作を長い時間アトリエで俺と向き合う事が出来る・・・ならば、
向き合わず1人でやる事が自由に感じるはず。それが勉強。
時々のニュ-ゆみは向き合う方が良いと判断したからもある。ここに何があるか?
それはたまにの人は失敗は無い方が良く、定期的な人は多少の失敗をした方が良いと・・
ではみどりは失敗だったか?実は別に失敗では無いが、ニュ-ゆみの作品を観るなり
上手い・・・と言った。それに比べて・・・・と。これが答え。

何故そう見えたか?それはこう言う事。ニュ-ゆみの場合、ここで作って良いですか?と
言う事で相談相手に俺がいる。まずはここ。失敗はさせない・・・俺がいる。
そして次。何を作るのか?と質問をすると、アゲハと言う。ならば出来るだけ大きく。
場合に寄っては鏡にかぶっても上の大きな羽は隠さないように全部作る事・・と。
更に輪郭だけを守り中身は実物のように作る必要は無し。リアルを求めるのではなく
雰囲気だけで良い。そして枠にあったバックの選択。更に仕上げの段階で
地味と考えるのならトッピング程度にきらびやかさを入れる。間違っても赤だの
黄色だのを原色を入れない。更に万人受けを考えずこれを良いと言ってくれると
思われる層を絞り込む事。こうした事を踏まえてスタ-ト。とこれだけの注意点ありき
で始めた。これを守れば大崩れは無い。言わずとも丁寧には切るはずなのだから。
更にアゲハと言う黒ベ-ス。そこで黒目地にしよう。と決めた。
では2人の場合、部屋とYシャツと私・・・こんな感じになってしまったのである。
みどりの場合は、花、蝶、うさぎ・・・一体どれがメインなの・・・?
キウイはバラを作った・・・って判る。ニュ-ゆみもアゲハって判る。でも2人は
部屋とYシャツと私・・・。これにより1つのアイテムのグレ-ドを上げるにはスペ-スが
狭過ぎる事になった。要するにこのスペ-スではやりたい事とやれる事は違うと言う事。
いつもは自分の作品と向き合う。そこで構想を立てる。それを俺が確認し、
大きさはこの位?とその人が出来ると思われる大きさに変更をする・・・
だから上手く行く。がしかし、今回の2人はその俺がいない。良い練習となったはず。
とどうなるか?上手くなった分、いつものように構想を広げてしまう。すると無理やり この小さなスペ-スに押し込んでしまったのである。
もしこのままやりたいのなら、蝶、花、うさぎのいずれかをメインとし接写する。
当然メインは大きくなり遠近感が出る。当然構図は変わって来るが、アイテムは
全部作れる事になる。こう言う工夫1つでグレ-ドはいくらでも上がって来る。
そして結果的に平面的なスナップ写真のような仕上がりになった・・・ただこれだけ。
じゃ結果は?2人共に良く収めたじゃない・・・。これが結果。良いか悪いか?は
何度も言うが見た人が決める事。作り手が決める事じゃない。
ただ作るにあたって、構想を練り、後はそれに従って仕上げて行く・・・・こんなもん。
そしてとても良い例があったので紹介する。実は今、北海道では雪祭りがあって、
氷像を制作しているらしい。そしてそれを作るに当たって構想5ヶ月、製作5日と言ってた
もう気が付いて欲しい。構想5ヶ月、製作たったの5日。つまり構想と製作のバランス。
こんなの常識でしょ?アトリエの常連さんなら。毎回言っている事だから。
その時に、このスペ-スに何が大事で何を見せたくて、何が・・・と絞り込む事。
しかしその時に、もし大作のように構想を広げてしまったら、狭める人がいない・・・
それはいつも俺がやっていたのだから。つまり広げたら狭める。その練習だった。
そのやり取りを見て、ニュ-ゆみが一言・・・・みどりさんずるい・・・って言ってた。
俺にはとても素直で貴重な意見に聞こえた。
それでもみどりには伝わらなかった・・・意味の真意が判らない・・・残念だ。
こんな貴重な意見が伝わらない・・・・そこで勿体無いのでかぐやに説明させた・・・
ではこれを見て貰おう。

これがへこむ人が作る作品だろうか?きっとニュ-ゆみも時間を作って作ってみたい
だろうね・・・大作を。けど、まだ子育て真っ最中。小さ過ぎる・・・子供が。
しかもこんな大作は何時終わるか?判らない・・・果てしな過ぎる。
それを素直に言われたのなら、有難うございます・・・と何故言えないのだろうか?
それは完全に自分を見失っているからである。素直に褒め、素直に感謝し、素直に
受け止める。こんなシンプルな事が、卑下せず、おごり高ぶらず、自分らしくの原点。
そしてその上に成り立つのが、上手くなりたい・・・になるのである。
そしてこれが見えない圧力。そうプレッシャ-なのである。
だからへたっぴにはプレッシャ-は無い。それは実力の無さか、卑屈としか言えない。
そもそも言われた相手を尊敬するのなら、恐縮します・・・しか無かろう。
しかも自信が無いと言うセリフ。どうかしている。そもそも自信とは?
付けるのでは無く、付けさせて貰うが正解だろう。
だって付けるのであれば、自分自身の目が素晴らしいと言ったも同然。
まるで評論家の目線のようである。人の評価でそうですか・・・恐縮します。
また期待に副えるように頑張ります・・・の方がもっともらしくない?どうかな?
そもそも構想を勉強しているのだから、構想が上手く行かなくて良いはずなのだ。
焦る必要無し。しかしのんびりする必要も無し。
かぐやに言われた事は、失敗したとへこむなら、いくらでもこんなチャンスはある。
次に生かせば良い。私もそうして来た。
しかし、私はみどりさんの作品を失敗だとは思わない・・・これで響かないのなら、
付ける薬無し。良薬は口に苦いものだ・・・・。
しっかりねぇ・・・・。構想に問題あったにせよ、モザイクとしての切る、張るには
何の問題も無いのだから。だってこの狭さにへたっぴなら全部作る事は出来ないのだから
もし前向きになりたいのなら、これを見て一人でチェって舌打ちしてごらん。
作り手ってそんなもんだよっ。
そもそもみんなの作品がブログで見て上手い・・・こんな話から始まった・・・・
じゃ具体的に検証する事にする。一体誰が作っているか?・・・
かぐや、キウイ、オ-ドリ-、ニュ-ゆみ、そしてみどりの5人となる。
良く考えよう。かぐやは俺の弟子だが腕はライバルと言った腕前。ならば上手くて
当たり前。ならば対象外。比べる必要は無い。
次キウイ。ここも生徒のエ-スと言っているのだから、もう生徒枠と言うより、
弟子と言う称号で無いだけで単なる教室の先生くらいならいつでも出来る腕。
ならばここも語る必要は無い。ならば対象とするのなら、オ-ドリ-、ニュ-ゆみとなる。
さてもうすでにここの時点が間違っているのに気が付いただろう・・・
つまりいつの間にかみんな・・・とくくっていたのである。ここが大きな落とし穴。
もう2人は別格。一般のお母さんの趣味の域では無い。
こんな所を一緒にくくる必要無し。わざわざへこむ材料を増やす必要は無い。
では純粋に3人を分析する。3人の大きな違いは1つ。アトリエでやったのと1人でやった。
オ-ドリ-とみどりは自宅で。ニュ-ゆみはここで。これが今回の違い・・・・
オ-ドリ-とみどりは定期的に通ってくれる人。ニュ-ゆみは時々・・・ここが問題。
定期的な人は大作を長い時間アトリエで俺と向き合う事が出来る・・・ならば、
向き合わず1人でやる事が自由に感じるはず。それが勉強。
時々のニュ-ゆみは向き合う方が良いと判断したからもある。ここに何があるか?
それはたまにの人は失敗は無い方が良く、定期的な人は多少の失敗をした方が良いと・・
ではみどりは失敗だったか?実は別に失敗では無いが、ニュ-ゆみの作品を観るなり
上手い・・・と言った。それに比べて・・・・と。これが答え。

何故そう見えたか?それはこう言う事。ニュ-ゆみの場合、ここで作って良いですか?と
言う事で相談相手に俺がいる。まずはここ。失敗はさせない・・・俺がいる。
そして次。何を作るのか?と質問をすると、アゲハと言う。ならば出来るだけ大きく。
場合に寄っては鏡にかぶっても上の大きな羽は隠さないように全部作る事・・と。
更に輪郭だけを守り中身は実物のように作る必要は無し。リアルを求めるのではなく
雰囲気だけで良い。そして枠にあったバックの選択。更に仕上げの段階で
地味と考えるのならトッピング程度にきらびやかさを入れる。間違っても赤だの
黄色だのを原色を入れない。更に万人受けを考えずこれを良いと言ってくれると
思われる層を絞り込む事。こうした事を踏まえてスタ-ト。とこれだけの注意点ありき
で始めた。これを守れば大崩れは無い。言わずとも丁寧には切るはずなのだから。
更にアゲハと言う黒ベ-ス。そこで黒目地にしよう。と決めた。
では2人の場合、部屋とYシャツと私・・・こんな感じになってしまったのである。
みどりの場合は、花、蝶、うさぎ・・・一体どれがメインなの・・・?
キウイはバラを作った・・・って判る。ニュ-ゆみもアゲハって判る。でも2人は
部屋とYシャツと私・・・。これにより1つのアイテムのグレ-ドを上げるにはスペ-スが
狭過ぎる事になった。要するにこのスペ-スではやりたい事とやれる事は違うと言う事。
いつもは自分の作品と向き合う。そこで構想を立てる。それを俺が確認し、
大きさはこの位?とその人が出来ると思われる大きさに変更をする・・・
だから上手く行く。がしかし、今回の2人はその俺がいない。良い練習となったはず。
とどうなるか?上手くなった分、いつものように構想を広げてしまう。すると無理やり この小さなスペ-スに押し込んでしまったのである。
もしこのままやりたいのなら、蝶、花、うさぎのいずれかをメインとし接写する。
当然メインは大きくなり遠近感が出る。当然構図は変わって来るが、アイテムは
全部作れる事になる。こう言う工夫1つでグレ-ドはいくらでも上がって来る。
そして結果的に平面的なスナップ写真のような仕上がりになった・・・ただこれだけ。
じゃ結果は?2人共に良く収めたじゃない・・・。これが結果。良いか悪いか?は
何度も言うが見た人が決める事。作り手が決める事じゃない。
ただ作るにあたって、構想を練り、後はそれに従って仕上げて行く・・・・こんなもん。
そしてとても良い例があったので紹介する。実は今、北海道では雪祭りがあって、
氷像を制作しているらしい。そしてそれを作るに当たって構想5ヶ月、製作5日と言ってた
もう気が付いて欲しい。構想5ヶ月、製作たったの5日。つまり構想と製作のバランス。
こんなの常識でしょ?アトリエの常連さんなら。毎回言っている事だから。
その時に、このスペ-スに何が大事で何を見せたくて、何が・・・と絞り込む事。
しかしその時に、もし大作のように構想を広げてしまったら、狭める人がいない・・・
それはいつも俺がやっていたのだから。つまり広げたら狭める。その練習だった。
そのやり取りを見て、ニュ-ゆみが一言・・・・みどりさんずるい・・・って言ってた。
俺にはとても素直で貴重な意見に聞こえた。
それでもみどりには伝わらなかった・・・意味の真意が判らない・・・残念だ。
こんな貴重な意見が伝わらない・・・・そこで勿体無いのでかぐやに説明させた・・・
ではこれを見て貰おう。

これがへこむ人が作る作品だろうか?きっとニュ-ゆみも時間を作って作ってみたい
だろうね・・・大作を。けど、まだ子育て真っ最中。小さ過ぎる・・・子供が。
しかもこんな大作は何時終わるか?判らない・・・果てしな過ぎる。
それを素直に言われたのなら、有難うございます・・・と何故言えないのだろうか?
それは完全に自分を見失っているからである。素直に褒め、素直に感謝し、素直に
受け止める。こんなシンプルな事が、卑下せず、おごり高ぶらず、自分らしくの原点。
そしてその上に成り立つのが、上手くなりたい・・・になるのである。
そしてこれが見えない圧力。そうプレッシャ-なのである。
だからへたっぴにはプレッシャ-は無い。それは実力の無さか、卑屈としか言えない。
そもそも言われた相手を尊敬するのなら、恐縮します・・・しか無かろう。
しかも自信が無いと言うセリフ。どうかしている。そもそも自信とは?
付けるのでは無く、付けさせて貰うが正解だろう。
だって付けるのであれば、自分自身の目が素晴らしいと言ったも同然。
まるで評論家の目線のようである。人の評価でそうですか・・・恐縮します。
また期待に副えるように頑張ります・・・の方がもっともらしくない?どうかな?
そもそも構想を勉強しているのだから、構想が上手く行かなくて良いはずなのだ。
焦る必要無し。しかしのんびりする必要も無し。
かぐやに言われた事は、失敗したとへこむなら、いくらでもこんなチャンスはある。
次に生かせば良い。私もそうして来た。
しかし、私はみどりさんの作品を失敗だとは思わない・・・これで響かないのなら、
付ける薬無し。良薬は口に苦いものだ・・・・。
しっかりねぇ・・・・。構想に問題あったにせよ、モザイクとしての切る、張るには
何の問題も無いのだから。だってこの狭さにへたっぴなら全部作る事は出来ないのだから
もし前向きになりたいのなら、これを見て一人でチェって舌打ちしてごらん。
作り手ってそんなもんだよっ。