朝は・・・寝坊から始まる・・・えっ?こんな時間。って事でアニメ全滅。
もう寝坊ついでって事で金魚の吉田さんに軽く顔を出す・・・・
やっぱ良いのねぇ・・・日曜の朝、金魚から始まるのは・・・・
そんな後のアトリエ。何しろ張る、そして張る、また張る・・・・
こう言うのって一見簡単のように見えるが、意外と難しいのね。
立ち上がりがあるって言うのは、張ったものが動いてしまったりするのね。
しかも、つなぎ目が合うかどうか?も確認しながら・・・だから、いっぺんに出来るって
言うのと比べると、余計な時間が掛かる。さっき帰ったんだけれど、これが調子良いのか
悪いのか?順調なのかそうで無いのか?目安にもならんが、これをベ-スに一体どの位、
掛かるのか・・・?と考えると、まだまだ先の見えない状況ではあるが・・・・
1つだけちょっと引っ掛かってたものが見えて来た・・・。
先日、一応趣旨について考えていた事は書いては見た。がしかし、もっと掘り下げると
受け取る側が一番大事な人となるはずなのである。
モンゴルサイドって事だ。そもそも250人の芸術家さんが実力通りであるならば、
それが寄贈されるだけで十分な話となるはず。ならばそれだけでも何の問題も無いはず。
それなら最初から無かった額と考えれば、単なる額でも見栄えが良くなれば、
普通に大義名分はそれだけである事になる。
そう考えると余計な事をしない方が無難・・・ただねぇ・・・それなら誰でも良くなる。
やっぱ多少俺が作ったって言うのがあった方が良い。
そこが引っ掛かっていた・・・・それが、昨日オ-ドリ-の教室での事、かぐやとの出会い
の話なんぞ掘り下げた・・・特にその時は何とも思わなかったんだけれど・・・
今日は1人だったのでそんな振り返りをした・・・すると、そっかそう言う事か・・・と
思い当たるフシがあった。勿論、いつもの事だったが忘れる所だった。
それを踏まえて考えると答えは簡単に出た。つまりこう言う事。
額が無難に出来たとする。そこに250人の芸術家さんの作品のタイルがある。
じゃこれを貰い受けたモンゴルサイドの反応は・・・?と言うと、
立派なものを有難う・・・はい終わり・・・こんな感じになってしまうかも知れない。
ここもう一歩踏み込めないか?
と言う事で、出て来たキ-ワ-ドがモンゴル語って言うのかな・・?それと国旗の色。
これを上手く取り入れる事が出来たら、母国に関係あるものが入っているなんて、
ちょっと良くない? 貰って悪い気にはならないでしょ? そんな気しない?
もし上手く行くなら、文字を反対に向け鏡でも使うと読める・・・なんて事が出来れば
完璧なんだけれどね・・・そうすれば文字を入れた事も隠す事が出来る。
何故故に隠す?って思うだろうけれど、俺にはそれが大事なのね。
こんな事をそのままやると、人によっては随分と媚びて無い?って思うかも・・・と
思うと、こんな小細工が出来れば、良く良く見つけられた人だけに・・・になる。
見つけるって言うのは、掘り下げれば良く見てくれないと見つからない事になる。
そうつまりここを穴のあくほど見て欲しいのである。
そんな人はもしかすると見つけてくれるかも・・・そんな思いが含まれている。
ある意味俺のいつものスタイルである。
判って欲しいでは無く、判ろうとしてくれた人にだけ判るように・・・そっと・・・
大事な事はみんなに判らなくても良いはず。伝えたい人にそっと・・・で良い。
そもそも美術、芸術の解説なんてもんは作者で無い限り、見た人の1つの意見。
何しろ作者はみんな死んでしまっているのだから。死人に口無し。
そしてそもそも俺は日本人。古典的な手法じゃない?古文で習った恋文みたいなさ。
みんなに判っちゃ駄目なのよ。判る人にそっと・・・伝えないとね。
そんなやり方は言わず語らずってやり方。読み取ってよっ・・・そんな考え方って
言うのが粋なんてもんじゃないのかな?
言われてやる・・・言われないから・・・じゃなくてさ、言うのね・・・でもそっと。
隠さないとね・・・トッピングなのだから・・・・
後は内容。そこにどんな言葉を入れるか?作家さん達も思い描くような言葉・・・・
何だろうか?どうしたかったのか?何が言いたいのか?どうするべきなのか?
みんなは残して来た自分の作品でモンゴルに伝えたいのは何なんだろうか?・・・・
これでかなり具体的にはなって来たとは思うし、俺らしくなって来た。
取り様によってはお節介、余計なお世話、うざくて、めんどくさい・・・
そして認められると芸術家だから変わり者。こんな表現になって来る・・・・
どちらにも当てはまれば俺らしい・・・と言う事だろうね・・・あはははは。
もう寝坊ついでって事で金魚の吉田さんに軽く顔を出す・・・・
やっぱ良いのねぇ・・・日曜の朝、金魚から始まるのは・・・・
そんな後のアトリエ。何しろ張る、そして張る、また張る・・・・
こう言うのって一見簡単のように見えるが、意外と難しいのね。
立ち上がりがあるって言うのは、張ったものが動いてしまったりするのね。
しかも、つなぎ目が合うかどうか?も確認しながら・・・だから、いっぺんに出来るって
言うのと比べると、余計な時間が掛かる。さっき帰ったんだけれど、これが調子良いのか
悪いのか?順調なのかそうで無いのか?目安にもならんが、これをベ-スに一体どの位、
掛かるのか・・・?と考えると、まだまだ先の見えない状況ではあるが・・・・
1つだけちょっと引っ掛かってたものが見えて来た・・・。
先日、一応趣旨について考えていた事は書いては見た。がしかし、もっと掘り下げると
受け取る側が一番大事な人となるはずなのである。
モンゴルサイドって事だ。そもそも250人の芸術家さんが実力通りであるならば、
それが寄贈されるだけで十分な話となるはず。ならばそれだけでも何の問題も無いはず。
それなら最初から無かった額と考えれば、単なる額でも見栄えが良くなれば、
普通に大義名分はそれだけである事になる。
そう考えると余計な事をしない方が無難・・・ただねぇ・・・それなら誰でも良くなる。
やっぱ多少俺が作ったって言うのがあった方が良い。
そこが引っ掛かっていた・・・・それが、昨日オ-ドリ-の教室での事、かぐやとの出会い
の話なんぞ掘り下げた・・・特にその時は何とも思わなかったんだけれど・・・
今日は1人だったのでそんな振り返りをした・・・すると、そっかそう言う事か・・・と
思い当たるフシがあった。勿論、いつもの事だったが忘れる所だった。
それを踏まえて考えると答えは簡単に出た。つまりこう言う事。
額が無難に出来たとする。そこに250人の芸術家さんの作品のタイルがある。
じゃこれを貰い受けたモンゴルサイドの反応は・・・?と言うと、
立派なものを有難う・・・はい終わり・・・こんな感じになってしまうかも知れない。
ここもう一歩踏み込めないか?
と言う事で、出て来たキ-ワ-ドがモンゴル語って言うのかな・・?それと国旗の色。
これを上手く取り入れる事が出来たら、母国に関係あるものが入っているなんて、
ちょっと良くない? 貰って悪い気にはならないでしょ? そんな気しない?
もし上手く行くなら、文字を反対に向け鏡でも使うと読める・・・なんて事が出来れば
完璧なんだけれどね・・・そうすれば文字を入れた事も隠す事が出来る。
何故故に隠す?って思うだろうけれど、俺にはそれが大事なのね。
こんな事をそのままやると、人によっては随分と媚びて無い?って思うかも・・・と
思うと、こんな小細工が出来れば、良く良く見つけられた人だけに・・・になる。
見つけるって言うのは、掘り下げれば良く見てくれないと見つからない事になる。
そうつまりここを穴のあくほど見て欲しいのである。
そんな人はもしかすると見つけてくれるかも・・・そんな思いが含まれている。
ある意味俺のいつものスタイルである。
判って欲しいでは無く、判ろうとしてくれた人にだけ判るように・・・そっと・・・
大事な事はみんなに判らなくても良いはず。伝えたい人にそっと・・・で良い。
そもそも美術、芸術の解説なんてもんは作者で無い限り、見た人の1つの意見。
何しろ作者はみんな死んでしまっているのだから。死人に口無し。
そしてそもそも俺は日本人。古典的な手法じゃない?古文で習った恋文みたいなさ。
みんなに判っちゃ駄目なのよ。判る人にそっと・・・伝えないとね。
そんなやり方は言わず語らずってやり方。読み取ってよっ・・・そんな考え方って
言うのが粋なんてもんじゃないのかな?
言われてやる・・・言われないから・・・じゃなくてさ、言うのね・・・でもそっと。
隠さないとね・・・トッピングなのだから・・・・
後は内容。そこにどんな言葉を入れるか?作家さん達も思い描くような言葉・・・・
何だろうか?どうしたかったのか?何が言いたいのか?どうするべきなのか?
みんなは残して来た自分の作品でモンゴルに伝えたいのは何なんだろうか?・・・・
これでかなり具体的にはなって来たとは思うし、俺らしくなって来た。
取り様によってはお節介、余計なお世話、うざくて、めんどくさい・・・
そして認められると芸術家だから変わり者。こんな表現になって来る・・・・
どちらにも当てはまれば俺らしい・・・と言う事だろうね・・・あはははは。