納品と言う事で解説をしようと思うのね・・・まずは趣旨確認。
モンゴル国際大学に日本の作家さんが自分達の作品のタイルを寄付寄贈をして、
文化交流・・・その1点、1点を繋げる為の額が必要で、前回は作家katsuを押し殺して
色を押えてひたすら切る・・・更に社長の伝えたい言葉をモンゴルの言葉に変えて入れた
その実績を持ってして今回再び参加出来る事になったが、今回は完全にお任せとなった。
さてそうなると一体何をどうするか?の構想となる。そもそもは作家なのだから。
何度も言うがダビンチだけがコ-ドを持つのでは無くて、作家すべてが良いたい事、
伝えたい事を持っている。ただそれだけの知名度、関心度、そして価値を見出された
者達のみが掘り返されるだけであって、常にそう言った事は隠されているものである。
それを踏まえて、どうあるべきか?となる。今回の額は・・・?
まず視察で得たもの。刑事が足で稼ぐものがあるのなら、俺にもある。
まず学長が韓国の方である事。生徒さんも韓国の人が多い事。国籍や生活水準の格差に
よる差別、治安の悪さ、環境不備・・・・ありとあらゆるものを短い間だったが見た。
ではそれらを踏まえて、俺を含めた作家さん達は何をお望みなのか?どうなって欲しいか?
勿論、聞いた訳では無いが、それらの悪い事は是正される事であり、伝統等の昔ながらの
良さはそのままでの発展は出来ないものか?・・・月並みだがそんな事だと思われる。
そんな事を踏まえて、異国の地に大学を創立・・・何でもそうだが先人とは大変なもの。
そこで学校としての趣旨を敬意を表して、ホ-ムペ-ジに何度と無く出て来る、英語の
文章を抜粋して入れる事にした。これは当然、学校長としての願いが込められているはず
なのだから、あっても当然で問題が無くすんなり入れる事が出来る。
当然そうなると、それを成就するには健康が大事になる。そこで長文の方のハングル文字の意味は、常に健康で全ての事が成就される事を願います・・・となる。
これは韓国では有名な一節らしい。そして短い木の4文字のハングル文字の意味は、
故郷に錦を飾る・・・みたいな意味となっている。これも韓国では定番らしい。
ここまでは、学長が韓国の人である・・・ここに重点を置き、韓国にはこう言った
ことわざなどが昔からあって・・・とお話をされやすいだろう・・・と考えて、
月並みだが、お話のきっかけにでもして頂ければ・・・と思った訳だが、
今こうして日本の作家さん達がみんなにしているように、今後自国に帰ってから、
みんなにもそうしたご活躍をして貰いたい・・・と切に願う・・・これに繋がって行く。
そして最後に百人一首の、かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば
夜ぞふけにける 中納言家持 の歌に繋がって行くのだけれど、これは
冬の夜更けに厳しい寒さを宮中に降りた霜によってとらえた歌らしく、
表現方法として、見立てと言う漢詩特有の技法らしいのね。ある事柄を別の事柄に
なぞる・・・あれ?俺も良くやるあれね。まっそこは流すかっ・・・。
まずかささぎって鳥は韓国から日本にやって来たらしいのね・・・そしてそのかささぎは
中国の七夕伝説では翼で橋を作って天の川に掛かって織女を牽牛の元に渡すとされて、
架け橋の役目をする・・・勿論見立てと言うのなら、韓国の人がモンゴルの異国の地で
大学を創設。かささぎのように・・・渡って・・・架け橋って言うのも、
MYYコミニュケ-ションや俺、生徒、国、すべての架け橋でもあり、この学校から
輩出されて行く人材が世界の国でご活躍するための架け橋にも繋がって行く・・・・
そんな事が出来たら良いね・・・そうなると良いね・・・なのね・・・。
これが俺が成功者なら、そうなって下さい・・・となるのだけれど、あくまで願い。
つまり最初に戻って、katsuコ-ドな訳。しかし、成功者でも無い者が押し付けがましい
事を言うつもりが無く、しかし何も言わない訳にも行かず、日本の伝統芸・・・
つまり願掛けみたいに祈る・・・それは表立ってやる事では無いので、あえて隠した。
しかもこんな事に気が付く・・・そんな繊細な事に気が付く・・・そんな神経の持ち主
そんな人がクリエ-タ-だったりする。先日さくらのせがれが3DSをやっていたのだが、
まだ幼児であるのだが、巧みに操り隠されたアイテムまで知り尽くしている。
少なくとも親はさくらなのだから、そんなものを教えられるはずは無く、その程度の事は
幼児であっても見つけ出す技能があるのだろう・・・。
ならば大学生。もうすぐに社会が待っている人材・・・色々な事が問われるものだ。
グロ-バルなんてもんは、言葉が話せるってのも大事だが、音楽、スポ-ツ、芸術・・・
そうした技術は言葉をも超越出来る場合もある。もしその能力が俺にもあるのなら、
いつかその時が来た時に、この額にはそんなkatsuコ-ドが入っている・・・ここに
たどり着くはずである。それまでの間は、知る人ぞ知る・・・勿論、お蔵入りって事も
あるだろう・・・そん時は、その程度の腕だったって事で、綺麗な額でしょ?・・・
そんなうわべだけで結構なのね。それはそれで芸術家の皆さんの作品を引き立てられれば
単なる額の役目は果たせているのだから・・・・。これが今回のkatsuコ-ド。
そんな中、びれっじさんの金魚自慢大会のkatsu賞作品の張り終わり。
まさかこの作品とびれっじさんに飾られている作品と製作時間が余り変わらない・・・
そう見える人はそうそういないだろうね・・・これもまたkatsuコ-ド。
そんな中、モンゴルに行く前に・・・と実家に顔を出す事にしたのだけれど・・・・
こんな話があったのね・・・母が友人と約束した日に違う人が違う事で一緒に・・・と
頼まれたらしいのだけれど、傷付けずに・・・と嘘をついたらしいんだが、
断った人と電車で会ってしまい、気まずい思いをした・・・そしてその晩にそれによって
精密検査まで発展した・・・そんなたわけ話をされた・・・。
人に気を使って嘘を付き、ひとまず解決したように思えたが、出くわし気まずくなって、
罪悪感にさいなまれ精密検査・・・まるで1人時間差のバレ-のようなテクニックである。
一言、先客がいて・・・ごめんね・・・そんな事が言えなかった。
そもそもそんな1回で終わる関係なら終わった方が良い。それが本当に大事な人なら、
じゃまたね・・・で済むはずである。それを精密検査って・・・。
それじゃ完全に母を介錯するのは俺になるね・・・今後、近い将来・・・。
俺は一応無駄な事になるのを判っても、話をして来た・・・。そのままじゃ死ぬねって。
そもそも先日の日本観賞魚フェアも観て来たはずである。
賃金の発生しない事に1ヶ月を要しても人に知って貰う・・・そんな行為をするせがれの
母である事。知名度を上げようと日々努力をしている事。そう言う生き様を弟子もいて
教えている事。その日がいつ来ても良いように・・・と準備して待ち続けている者と、
全く準備される所か、何も変えずに普通でいられるとでも思われるような生き様・・・
それでも強ければ構わないが、その程度で精密検査。知名度が上がるって言う事・・・
人に観られると言う事・・・親父は下らん話をするな・・・と何も変わらなく過ごせる
自信があるようだったが、さぞかし自信があるのだろう・・・一応義理として話はした。
下らん話は必要なし・・・と言っていた親父は、くだらんテレビを見て過ごしたのは
言うまでも無い。人には人と違う事をしろっ・・・と父親として育ててはくれたが、
その父親は普通にくだらんテレビを見て、残りの人生を過ごすらしい・・・・。
当然、俺はその脚でアトリエに戻って目地をやったのは言うまでも無いのね。
そう言う人生は俺には無いし、下らんと言われるのも承知で話したのだから・・・。
ここでどちらかが朽ち果てても後悔は一切無し。常にそう言った心掛けが親との関係。
あの程度は超えて当然。ただもっと楽々抜かしたいものである。
あの人に狼少年の話の真意は判るまい・・・・所詮、うそつき少年の話と言ってしまう
のだろうから・・・。誠に残念である。
モンゴル国際大学に日本の作家さんが自分達の作品のタイルを寄付寄贈をして、
文化交流・・・その1点、1点を繋げる為の額が必要で、前回は作家katsuを押し殺して
色を押えてひたすら切る・・・更に社長の伝えたい言葉をモンゴルの言葉に変えて入れた
その実績を持ってして今回再び参加出来る事になったが、今回は完全にお任せとなった。
さてそうなると一体何をどうするか?の構想となる。そもそもは作家なのだから。
何度も言うがダビンチだけがコ-ドを持つのでは無くて、作家すべてが良いたい事、
伝えたい事を持っている。ただそれだけの知名度、関心度、そして価値を見出された
者達のみが掘り返されるだけであって、常にそう言った事は隠されているものである。
それを踏まえて、どうあるべきか?となる。今回の額は・・・?
まず視察で得たもの。刑事が足で稼ぐものがあるのなら、俺にもある。
まず学長が韓国の方である事。生徒さんも韓国の人が多い事。国籍や生活水準の格差に
よる差別、治安の悪さ、環境不備・・・・ありとあらゆるものを短い間だったが見た。
ではそれらを踏まえて、俺を含めた作家さん達は何をお望みなのか?どうなって欲しいか?
勿論、聞いた訳では無いが、それらの悪い事は是正される事であり、伝統等の昔ながらの
良さはそのままでの発展は出来ないものか?・・・月並みだがそんな事だと思われる。
そんな事を踏まえて、異国の地に大学を創立・・・何でもそうだが先人とは大変なもの。
そこで学校としての趣旨を敬意を表して、ホ-ムペ-ジに何度と無く出て来る、英語の
文章を抜粋して入れる事にした。これは当然、学校長としての願いが込められているはず
なのだから、あっても当然で問題が無くすんなり入れる事が出来る。
当然そうなると、それを成就するには健康が大事になる。そこで長文の方のハングル文字の意味は、常に健康で全ての事が成就される事を願います・・・となる。
これは韓国では有名な一節らしい。そして短い木の4文字のハングル文字の意味は、
故郷に錦を飾る・・・みたいな意味となっている。これも韓国では定番らしい。
ここまでは、学長が韓国の人である・・・ここに重点を置き、韓国にはこう言った
ことわざなどが昔からあって・・・とお話をされやすいだろう・・・と考えて、
月並みだが、お話のきっかけにでもして頂ければ・・・と思った訳だが、
今こうして日本の作家さん達がみんなにしているように、今後自国に帰ってから、
みんなにもそうしたご活躍をして貰いたい・・・と切に願う・・・これに繋がって行く。
そして最後に百人一首の、かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば
夜ぞふけにける 中納言家持 の歌に繋がって行くのだけれど、これは
冬の夜更けに厳しい寒さを宮中に降りた霜によってとらえた歌らしく、
表現方法として、見立てと言う漢詩特有の技法らしいのね。ある事柄を別の事柄に
なぞる・・・あれ?俺も良くやるあれね。まっそこは流すかっ・・・。
まずかささぎって鳥は韓国から日本にやって来たらしいのね・・・そしてそのかささぎは
中国の七夕伝説では翼で橋を作って天の川に掛かって織女を牽牛の元に渡すとされて、
架け橋の役目をする・・・勿論見立てと言うのなら、韓国の人がモンゴルの異国の地で
大学を創設。かささぎのように・・・渡って・・・架け橋って言うのも、
MYYコミニュケ-ションや俺、生徒、国、すべての架け橋でもあり、この学校から
輩出されて行く人材が世界の国でご活躍するための架け橋にも繋がって行く・・・・
そんな事が出来たら良いね・・・そうなると良いね・・・なのね・・・。
これが俺が成功者なら、そうなって下さい・・・となるのだけれど、あくまで願い。
つまり最初に戻って、katsuコ-ドな訳。しかし、成功者でも無い者が押し付けがましい
事を言うつもりが無く、しかし何も言わない訳にも行かず、日本の伝統芸・・・
つまり願掛けみたいに祈る・・・それは表立ってやる事では無いので、あえて隠した。
しかもこんな事に気が付く・・・そんな繊細な事に気が付く・・・そんな神経の持ち主
そんな人がクリエ-タ-だったりする。先日さくらのせがれが3DSをやっていたのだが、
まだ幼児であるのだが、巧みに操り隠されたアイテムまで知り尽くしている。
少なくとも親はさくらなのだから、そんなものを教えられるはずは無く、その程度の事は
幼児であっても見つけ出す技能があるのだろう・・・。
ならば大学生。もうすぐに社会が待っている人材・・・色々な事が問われるものだ。
グロ-バルなんてもんは、言葉が話せるってのも大事だが、音楽、スポ-ツ、芸術・・・
そうした技術は言葉をも超越出来る場合もある。もしその能力が俺にもあるのなら、
いつかその時が来た時に、この額にはそんなkatsuコ-ドが入っている・・・ここに
たどり着くはずである。それまでの間は、知る人ぞ知る・・・勿論、お蔵入りって事も
あるだろう・・・そん時は、その程度の腕だったって事で、綺麗な額でしょ?・・・
そんなうわべだけで結構なのね。それはそれで芸術家の皆さんの作品を引き立てられれば
単なる額の役目は果たせているのだから・・・・。これが今回のkatsuコ-ド。
そんな中、びれっじさんの金魚自慢大会のkatsu賞作品の張り終わり。
まさかこの作品とびれっじさんに飾られている作品と製作時間が余り変わらない・・・
そう見える人はそうそういないだろうね・・・これもまたkatsuコ-ド。
そんな中、モンゴルに行く前に・・・と実家に顔を出す事にしたのだけれど・・・・
こんな話があったのね・・・母が友人と約束した日に違う人が違う事で一緒に・・・と
頼まれたらしいのだけれど、傷付けずに・・・と嘘をついたらしいんだが、
断った人と電車で会ってしまい、気まずい思いをした・・・そしてその晩にそれによって
精密検査まで発展した・・・そんなたわけ話をされた・・・。
人に気を使って嘘を付き、ひとまず解決したように思えたが、出くわし気まずくなって、
罪悪感にさいなまれ精密検査・・・まるで1人時間差のバレ-のようなテクニックである。
一言、先客がいて・・・ごめんね・・・そんな事が言えなかった。
そもそもそんな1回で終わる関係なら終わった方が良い。それが本当に大事な人なら、
じゃまたね・・・で済むはずである。それを精密検査って・・・。
それじゃ完全に母を介錯するのは俺になるね・・・今後、近い将来・・・。
俺は一応無駄な事になるのを判っても、話をして来た・・・。そのままじゃ死ぬねって。
そもそも先日の日本観賞魚フェアも観て来たはずである。
賃金の発生しない事に1ヶ月を要しても人に知って貰う・・・そんな行為をするせがれの
母である事。知名度を上げようと日々努力をしている事。そう言う生き様を弟子もいて
教えている事。その日がいつ来ても良いように・・・と準備して待ち続けている者と、
全く準備される所か、何も変えずに普通でいられるとでも思われるような生き様・・・
それでも強ければ構わないが、その程度で精密検査。知名度が上がるって言う事・・・
人に観られると言う事・・・親父は下らん話をするな・・・と何も変わらなく過ごせる
自信があるようだったが、さぞかし自信があるのだろう・・・一応義理として話はした。
下らん話は必要なし・・・と言っていた親父は、くだらんテレビを見て過ごしたのは
言うまでも無い。人には人と違う事をしろっ・・・と父親として育ててはくれたが、
その父親は普通にくだらんテレビを見て、残りの人生を過ごすらしい・・・・。
当然、俺はその脚でアトリエに戻って目地をやったのは言うまでも無いのね。
そう言う人生は俺には無いし、下らんと言われるのも承知で話したのだから・・・。
ここでどちらかが朽ち果てても後悔は一切無し。常にそう言った心掛けが親との関係。
あの程度は超えて当然。ただもっと楽々抜かしたいものである。
あの人に狼少年の話の真意は判るまい・・・・所詮、うそつき少年の話と言ってしまう
のだろうから・・・。誠に残念である。