今日は午後からカルビ教室。そうなのね、お母さんのみどりがいない1人教室。いつもみどりと日程を合わせて一緒に来るのだけれど、今月は予定が合わず・・・でもひと月に1回の教室を飛ばすのが嫌だったらしく、一人でも行くって事になったらしいのね。
二十歳だし、別に1人でも・・・と簡単に済ませれば確かに済むのだけれど、これはとても大きいのね。要するに一人でも来られるって言うのは、何が大きいか?って言うのは、まずカルビはお教室の手伝いをした事があるって事。お母さんと一緒ではあったが、手伝いをしたって事。
つまり今の実力でお母さんと一緒なら・・・って事が、続けて行けば今以上に上手くなるのは当たり前で、仮にどんなに上手くなったとしても、お母さんが一緒じゃないと・・・・って出来ない事になるのと、1人でも来られた実績は、いなくても手伝える・・・って事に繋がる。
そんなちょっとした事は、いつもいる・・・では無くて、いなくても平気に繋がる。それがいないと無理では、いないと不安に繋がる。1歩前に進めるのと、1歩後退するのでは無く、最低2歩は差が付くと思うのね。たった1つが出来ないと、その1つはいつか大きな差になって来る。
例えばこれから就職をすれば、月に1度予定を合わすだけでも、そう簡単じゃなくなる。たったそれだけのチャンスを逃せば、また来月に持ち越しになる・・・1回来ない事を覚えれば、もう定期的ってものが崩れる。そうなれば、目的意識が薄い程、別に行く理由は見つからなくなる。
それが労作展だったり、店舗や自宅の建築だったりすれば、時間も決まって来るから、見えない強制力がある。でも趣味って言うのは、強制じゃない。
何と無く・・・なのね。その何と無く・・・って感じで継続する・・・そんな曖昧なものなのね。
しかも二十歳。これからもっと楽しい事が起こる。果たしてそんな中、この作品は終わりが来るのだろうか?・・・って話の中での、一人でも来られた・・・そんな話なのね。そうね、それが娯楽って話なら、映画やコンサートを1人で行くって言うのもあるのかも知れないが・・・・。
それでも1人がハードルが高いなんて人がいたとしたら?・・・・そんなに楽しい場所でも無いし、俺だからね・・・・演奏も無ければダンスもしないし、素敵な容姿もありゃしないのね。そう考えると、良く来たね・・・が一番適切な言葉だと思うのね。
そんな中でのお教室は、何だろうね・・・以前、かぐやの娘が美大に入ってからお教室みたいに木工を教えた事があったが、20歳ともなると、大人なんだけれど、お母さんが側にいると子供に見えるのに、お母さんがいないと大人に見える・・・不思議な生き物なのね。
まさにカルビもそんな感じだったのね。それが例えば、キウイの娘のように学生さんは、学生なのだから子供って判断なんだろうね・・・俺の脳は。
そう言う意識を持っていると、子供だと思っていたら戸惑う程に大人に感じたりした事もあったので、きちんと意識して20歳が来る・・・って、
気持ちではいたものの、難しいのは教える事では無くて、枕だったり、合間合間の空白な時間をどうするか?・・・・になったりするんだけれど、幸い土曜日はかおるさんの番組もあったりして、話のフリになるような事を言ってくれたりして・・・フリがあると話やすいのね。
例えばパ―ソナリティ1人で進行するのと、合いの手や笑いがあると、話しやすいなんて事もあると思うのね・・・例えば落語やピン芸人のような1人と、コンビの漫才みたいな・・・どちらがどうか?では無くて、向き不向きがね。俺はピンよりも誰かいた方が良いんだろうね・・・あははは。
こんな違いがあるとして、人が多いとあっちもこっちもって事になるから、話すスピード、テンポが当然速くなる。部屋の広さでも、声の張り方だって変わるし、感じとしては漫才なんかのようになる。それが今日は2人だけなんだから、落語のようにゆっくりになる。
はいどうもぉぉぉ・・・・じゃなくて、そうかい、そうかい・・・それじゃ始めようかね・・・みたいな感じ。だから話の間が多くなるって事になる。ただその間はいつもよりも緊張感にも繋がってね、ただそれも慣れて来ると中々新鮮でもあるのね。
それが、いつもなら座ったままだったりするのに、縦から横からみたいに動きながら作っていて、それは垂直だったり水平だったりを見る事に繋がる訳で、何も言っていないのに自分なりに工夫してやっていたのね。そんな事1つでも、何と無くなんだろうけれど、自分なりに考えたんだろうね。
だから、その行動の持つ意味を説明したりして・・・あぁこんな事が出来るのなら、その間も良いだろうから、俺も目を離そうって思って・・・・
店舗の仕込みをする事にしたのね。お陰で後3日位で終わるんじゃないのかな?・・・って感じになって来たのね。
二十歳だし、別に1人でも・・・と簡単に済ませれば確かに済むのだけれど、これはとても大きいのね。要するに一人でも来られるって言うのは、何が大きいか?って言うのは、まずカルビはお教室の手伝いをした事があるって事。お母さんと一緒ではあったが、手伝いをしたって事。
つまり今の実力でお母さんと一緒なら・・・って事が、続けて行けば今以上に上手くなるのは当たり前で、仮にどんなに上手くなったとしても、お母さんが一緒じゃないと・・・・って出来ない事になるのと、1人でも来られた実績は、いなくても手伝える・・・って事に繋がる。
そんなちょっとした事は、いつもいる・・・では無くて、いなくても平気に繋がる。それがいないと無理では、いないと不安に繋がる。1歩前に進めるのと、1歩後退するのでは無く、最低2歩は差が付くと思うのね。たった1つが出来ないと、その1つはいつか大きな差になって来る。
例えばこれから就職をすれば、月に1度予定を合わすだけでも、そう簡単じゃなくなる。たったそれだけのチャンスを逃せば、また来月に持ち越しになる・・・1回来ない事を覚えれば、もう定期的ってものが崩れる。そうなれば、目的意識が薄い程、別に行く理由は見つからなくなる。
それが労作展だったり、店舗や自宅の建築だったりすれば、時間も決まって来るから、見えない強制力がある。でも趣味って言うのは、強制じゃない。
何と無く・・・なのね。その何と無く・・・って感じで継続する・・・そんな曖昧なものなのね。
しかも二十歳。これからもっと楽しい事が起こる。果たしてそんな中、この作品は終わりが来るのだろうか?・・・って話の中での、一人でも来られた・・・そんな話なのね。そうね、それが娯楽って話なら、映画やコンサートを1人で行くって言うのもあるのかも知れないが・・・・。
それでも1人がハードルが高いなんて人がいたとしたら?・・・・そんなに楽しい場所でも無いし、俺だからね・・・・演奏も無ければダンスもしないし、素敵な容姿もありゃしないのね。そう考えると、良く来たね・・・が一番適切な言葉だと思うのね。
そんな中でのお教室は、何だろうね・・・以前、かぐやの娘が美大に入ってからお教室みたいに木工を教えた事があったが、20歳ともなると、大人なんだけれど、お母さんが側にいると子供に見えるのに、お母さんがいないと大人に見える・・・不思議な生き物なのね。
まさにカルビもそんな感じだったのね。それが例えば、キウイの娘のように学生さんは、学生なのだから子供って判断なんだろうね・・・俺の脳は。
そう言う意識を持っていると、子供だと思っていたら戸惑う程に大人に感じたりした事もあったので、きちんと意識して20歳が来る・・・って、
気持ちではいたものの、難しいのは教える事では無くて、枕だったり、合間合間の空白な時間をどうするか?・・・・になったりするんだけれど、幸い土曜日はかおるさんの番組もあったりして、話のフリになるような事を言ってくれたりして・・・フリがあると話やすいのね。
例えばパ―ソナリティ1人で進行するのと、合いの手や笑いがあると、話しやすいなんて事もあると思うのね・・・例えば落語やピン芸人のような1人と、コンビの漫才みたいな・・・どちらがどうか?では無くて、向き不向きがね。俺はピンよりも誰かいた方が良いんだろうね・・・あははは。
こんな違いがあるとして、人が多いとあっちもこっちもって事になるから、話すスピード、テンポが当然速くなる。部屋の広さでも、声の張り方だって変わるし、感じとしては漫才なんかのようになる。それが今日は2人だけなんだから、落語のようにゆっくりになる。
はいどうもぉぉぉ・・・・じゃなくて、そうかい、そうかい・・・それじゃ始めようかね・・・みたいな感じ。だから話の間が多くなるって事になる。ただその間はいつもよりも緊張感にも繋がってね、ただそれも慣れて来ると中々新鮮でもあるのね。
それが、いつもなら座ったままだったりするのに、縦から横からみたいに動きながら作っていて、それは垂直だったり水平だったりを見る事に繋がる訳で、何も言っていないのに自分なりに工夫してやっていたのね。そんな事1つでも、何と無くなんだろうけれど、自分なりに考えたんだろうね。
だから、その行動の持つ意味を説明したりして・・・あぁこんな事が出来るのなら、その間も良いだろうから、俺も目を離そうって思って・・・・
店舗の仕込みをする事にしたのね。お陰で後3日位で終わるんじゃないのかな?・・・って感じになって来たのね。