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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどりと棟梁と店舗の仕込み

2017-02-12 23:38:41 | 商業モザイク
今日は自分の作品を作る・・・ってお教室じゃなくて、店舗の床の仕込み。バックを張る・・・って事になる。まずはみどり。結果的にはこれで7.8時間掛かっているのね。中々手ごわいのね・・・・このバック。ちなみに棟梁は?


3.4時間かな・・・?まぁそんな楽ちんでは無いのね。しかしながら、この質でこれだけ出来れば初めてなら十分なのね。そもそも外用のボンドが2人共に初めてだし、良い経験になったと思うのね・・・。その後、棟梁は自分の作品に・・・。


それがドレスの下の方の、折り目の線を描いて来たんだけれど、描き終わって張ろうとした時に、ふっと気が付いた事があったらしいのね・・・。

それがコロってタイルは角が丸くなっているのが特徴なんだけれど、その特徴の丸い部分が気になるから切ってしまうと、折角丁度良く2枚分の幅でピッタリ入るはずだったのに、足りなくなっちゃった・・・・やっぱり描き直さないとならないのかな?・・・・って有り得ない質問をされたのね。

その質問、有り得ない事に気が付かない?・・・・って言うと、えっ?・・・・って。何も見なくても有り得ないんだけれど・・・・。じゃ例えば、お弁当を作ったとする・・・・あっ、何か隙間が出来ちゃったなぁ・・・じゃ卵焼きもう1つ入れて・・・あっ丁度良いぃぃぃ。

違う例は、お姉ちゃんのお下がり・・・ちょっと大きいかなぁ・・・あっ丁度良いじゃん。どうかな?丁度良いって言葉の意味・・・どんな風に感じる?簡単な話で、常に教えている、それって美しいですか?って一番大事な事を忘れて、能率効率で進めようとしたよね?・・・丁度良いなんて・・・。

そもそも、素敵なドレスになるように・・・って、きっとこのドレスの線を何か資料を見て描き直したと思うのね。俺には絵の上手い人が何も見ないでサラサラっと数秒で描いたようには見えなかった。その時点で、努力をした結果だろう・・・って事が伺える。

つまりこの下絵の段階では、それって美しいですか?・・・に当てはまるから、教えた通りに進めている事になる。勿論、絵の技術があるか?とか、細かい事を言えば色々とあるだろうが、まずは何をしても取り組む姿勢って言う意味を言っている訳で。

さてその後に張ろうとするのだけれど、1つの例として、上半身の白いコロを見て貰うと判るのだけれど、同じような幅で微妙に反っているようなパーツでもきちんと切ってある。しかも、それを1列だけを教えたら、全部きちんと出来た。

じゃどうして出来たのか?それがアトリエで習ったから・・・と安易に考えると、じゃ同じコロって素材、習ったし、上半身もこうして1人で出来た。それなら、下絵も描けたんだし、単純に悩む必要が無いじゃん・・・って事になる。なのに、何故悩んでいるのかな?・・・・。

しかも下絵の時には、基本である、それって美しいですか?って気持ちで描いて、張ろうとした瞬間、丁度良く無いんですよねぇ・・・って能率効率にして・・・。あはははは。だから、立ち止まっただけなのにね・・・。どうして?って理由が判らないけれど、何か・・・とね。

要するに簡単な理由で、そうねぇ・・・まっストレスの原理とほぼ一緒だと思うのね。つまり、ストレスって言うのは、脳で考えている事と口に出す時に正反対の事になった時の違和感・・・ここに気が付かない事での病みたいな話なのね。だとすると、棟梁の場合は?と考えた時に、簡単な話で、

下絵を描いた時には、それって美しいですか?・・・って基本で描き上げたんだから、意識は美しいものが作りたい・・・って言うのが前面に出ている。なのにどうして張ろうとした時に、急に何かを気が付いた・・・そう能率効率の言葉・・・丁度良い・・・に切り替えたから。

その時点で美しいから離れた。しかも、その丁度良いって言葉は確実に美しいから離れるだけじゃなくて、極端に相反する側の言葉で、ある意味、敵でもあるような言葉になる。そんな言葉で張る・・・つまり丁度良いとは、早く能率効率で張りたい・・・と言ったようなもの。

けれど、下絵を美しい・・・って気持ちで描いた人なんだから、立ち止まったって事は、嫌違う・・・って止まった。何故なら美しくしたいからが残っているから・・・脳にね。さてそれじゃどうする?・・・・ほら、もう脳とやろうとしている事が1つにならない・・・。だからストレスになる。

まぁ簡単な理由なのね。所が、問題はそんな簡単な事でも無いのね・・・何しろここまでの段階で、相席の弟子のみどりに上手いし、凄い早いって言われているのね・・・何故だ?って話。つまりみどりには無いものがあるんだろうね・・・勿論やっている時間なんて単純に言えば簡単だけれど・・・

ここに問題が隠されているとしたら?・・・何故早いのか?ってね。まぁ、これも簡単なんだけれどね。そもそもKAMEYAさんって店を経営されていた・・・お客商売、そうね・・ゆっくり時間を掛けて・・・って仕事だと思える?俺には1000円カットの散髪屋さんにも思える素早さが必要に思える。

それを何十年もやって来た・・・つまり徹底的に能率効率を叩き込んだ体である事。いかに素早くってプロなのね。例えば俺の場合なら、タイル屋だった頃にお客さんが一生借金をして買う住宅やマンションのタイル屋の考えは、丈夫で長持ち・・・こうなると、しっかり丁寧にを叩き込まれた。

所がそんな奴が、明日オープンの店舗やら、壊す前提のマンションのモデルルームみたいな仕事をやってみ?って事になると、同じやり方では、工期納期に終わらなくなる・・・それがすーさんなら?今日は能率効率、今日は美しさ・・・器用にその仕事に合わせて仕事を変える事が出来る。

こんな例で判るように、まず棟梁はうっかりすると能率効率を重視してしまう脳であるって事。だからまずモノ作りをする時に、今日はどっち?って考えてからスタートすると良いのね。例えば今日は家族だけのお昼・・・はい能率効率ぅぅってね。

けれど、お客さんが来るぅぅぅ・・・・・はい美しさぁぁぁぁ、ってね。あはははは。これでまず棟梁の早さの原因の1つが判った。つまり美しさを意識しないととんでも無いスピードでやれる能力があるって事ね。つまりコツを掴むのが何でも早い・・・だだね・・・そのコツってなんだ?

そのコツって言うのは体験荒らし番長だから。色んな分野の体験をしているのね。まず色んな・・・ここね。例えば人見知りな人だったらどうする?色んな・・・って。俺は無理ぃぃぃだわっ。さくらも無理だわっ・・・顔見知りにならないと・・・。会場に飲まれる。

でもね、棟梁は毎日色んなお客さんに接して来たのね・・・だから物怖じしない。しかも能率効率を得意とする。もうこの2つ揃ったら、サンプルがあるのだから、先生の説明で聞きたいのは1つ・・・道具の使い方くらいかな・・・。後は番長の経験値で体験程度なら乗り切っちゃうだろうね。

でもね、モザイクはいくらか経験値も増して、更にサンプルありの体験でも無い。しかも、弟子のみどりに上手くて早い・・・って。早い理由はある程度説明はしたんだけれど・・・。上手いって方は確実に美しいですか?・・・・って言う呪文も影響していると思うのね。

長くなって来ちゃったけど、俺は慶應の子達に習ったエリートの問題の進め方って言うのも参考になると思うのね。勉強は判らない事を判るようにする事・・・だと思っていた事が、点数を取る為にはいかに数秒で出来るか?出来ないか?を判断をする事だと教わった。

出来ない問題に対して悩んでいるだけの時間を取る・・・って時間の無駄遣い。もう目から鱗だったのね。時間の無いお母さん達には最高のアドバイスになるのね。つまりどんどんと判る事を遂行しつつ、最後まで問題を目を通して、余った時間で悩む問題に取り組む・・・。

つまりこれを今の棟梁に取り入れると、切らないコロの2枚分の幅の下絵なのに、その角の丸さが美しく見えないから切ってしまうと、丁度良い幅にならない・・・どうしたら良いですか?って言う質問は、コロを使う事が決まって、やる気も出たんで美しい下絵を描いたら、描き終わっていざ切るって

時に、あっこの形が邪魔だから、美しく成形すると切った分だけ小さくなった。それを張ろうとした時に、げっ・・・切らなかったらピッタリだったんじゃん・・・って。こんな時どうしたら良いですか?って質問なのね・・・。あはははは。まぁ困る質問なのね。

そこで考え方の答えは、美しいで始めて能率効率ではねぇ・・・って事で心構えの是正をして、今度は実際の是正としては、まず上半身のように幅が1枚で取れる場合は1人で進められたのだから、慶應方式で判る問題から進める。つまり幅1枚で切れる部位を進める事。

更に常に言っている事で、モノつくりが上手くなる為には、ながら・・・が一番。つまり、聞きながら、話しながら、・・・ってね。1度に2つ、3つの事を進められるのだから・・・。それには特訓しないとならない。好きでも無いラジオに、くだらない俺の話とちょこっと説明・・・・。みたいな。

こんな事を繰り返すと手は止まらずに会話も出来る。ただね、これは1か月に1回の人の為の指導なのね・・・。そもそもアトリエの教えた時間と自宅の時間が同じくらいだから、その程度の進み方なら、美しさと能率効率のバランスは、能率効率の進行具合の方を分量が多めになる。

しかし、今の棟梁はモザイクの時間が多くなって、しかも美しさ重視。それでは悩む時間が多くなる。だから時より遊びの作品で気持ちを休めるって言う事もやっているのだけれど、何しろ十二支の大作・・・ちっとも休めない。そんな中、アトリエに来るようになって、本気モードで教えられる。

ってな事になると、それだけの時間があるから、自分の作品を沢山時間が取れて、尚且つ進むって単純に考えがちなんだけれど、モノの考え方1つでその悩む時間を短縮させられれば、悩んでストレスを抱える事が軽減されたとしたら?・・・・つまり進む事よりも悩み回避とか準備の姿勢が大事。

それが今までの説明なんだけれど、だから出来る事を進めつつ、その進んでいる気分は安心を意味する。その安心の気分、この余裕の時に、不安の要素、つまりストレスになるって場所の事を考える・・・進めながらってやると、考える時間を多く取れる事になる。

それを悩んでいるだけで時間を使えば、時間は無くなり何も進まないストレスを抱える。それを大した考えもせずに進めて後悔する悪循環。それが今の棟梁なら、しっかり下絵を描いたのに・・・ってなれば、ストレスは倍の倍。何しろ考えた下絵までは完璧だったのだから。

大して考えもせずに後悔するのに、考えた上にでは報われない。これが上級者のストレス。長くなり過ぎちゃったから、無理やり着地にすると、


俺でも2人にこんな話をしながらだと、この位しか進まない。今日はちなみにアトリエに13時間いたんだけれど、教えながらのバックのみでね。
桜の花びらには邪魔は無いから好き放題に張れる。しかしバックは誰がやっても恐ろしく美しさが変わらないとすると・・・。

そりゃ上手い人ほどストレスになる。これが花びらだったら、きちんと揃ったパーツに切るとかバランス良く張るとか、切込みを入れるとか、テクニックが沢山あったとする。けれど、バックにもあるにはあっても、判りずらい事だったとしたら?・・・何しろ時間が解決する事になったりする。

それとこれはさっきの慶應方式の逆で、応用問題の難しい桜の花びらを楽々出来たとして、それじゃ簡単な計算式のようなバック・・・入れれば良いから・・・なんてもんは簡単じゃん・・・って思っても、いくら倒しても、歩兵のように何万人もいたら、キリが無い。

だから違うストレスを感じる事になる。まっこんな事1つでも、全て準備は気持ちだったり、余裕、つまり時間を作る事が全てになる。けれどね、大人は働いているから限りのある中で全てが行われる・・・優先順位が何か?であって、ネット検索と同じで、上位になるか?下位になるか?で、

かなり変わって来ると思うのね。その時にでも、特化させれば経験値が無くても、場合に寄ってはそこそこ出来たりするのかも・・・って話が、モザイク初めてのお客さんが桜の花びらを張り、バックを俺達がやる・・・。子役にベテラン達に囲まれる映画みたいにね・・・。

それを助け無しでやるのがオリジナル作品。この仕込みも糧になると思うのね・・・何故なら同じコロの素材。花びらを張れる所から張ると素人にでもここまで出来るのなら、棟梁も上半身のような結果が出た場所・・・そんな場所なら悩まずに進められるって事。

しかも切る事に悩んでいる訳じゃないから、ちょっと進まないからとか悩んで止まったからと言って、下手だから・・・みたいな甘いセリフで誤魔化さずに、切る事は間違っていない・・・って認めた上で、何が・・・って必ず何か?を突き止める。

それを下手だから・・・って解決したように誤魔化すと、その場は楽になったフリをしても、結局何も解決せずにうやむやにしただけになり、また同じ事につまづく事になる。だから、自分の作品は向き合う・・・では仕込みは?あはははは、本気で向き合って取り組んでいるのなら?

この程度の仕込みは時間が解決するだけ。そもそも体験番長・・・サンプルあれば楽勝でしょ・・・お後がよろしいようで・・・。



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亀有カルチャーとさくら教室と店舗の床の仕込み

2017-02-12 01:40:33 | モザイク教室
今日は亀有カルチャー。オードリーが風邪でお休みの中、3人。まずはお一人目。ぺきぺきの干支で楽しむ感じだったんだけれど、入り組んだ下地をピッタリ切る事のこだわりを持って取り組んだら、3回分を使っての完成となったのね。だからちょっとお遊び感覚では無くなっちゃったのね・・・。

ただその分、しっかり作られているのね。そんなこんなで完成、お疲れ様でしたなのね。後はおかみさんとさくら。


おかみさんは先日のアトリエでの指導ありだから、大きく外す事は無いし、ほぼアドバイスはガラスタイルをレロレロって感じで切る。って確認と、色合いも以前やった場所との比較をしてここにこれを使っているんだから・・・と言う意識でやる事であって、その日の気分で決めない事だけ。

ある意味、今日一番指導が必要なのはさくら・・・・。そもそも同じデザインで素材を変えて2作目を作る。って事は下絵が一緒なのだから、もし困っている事があったとしたら?それは素材の違い・・・つまりガラスタイルに悩んでいる事になる。でもね・・・良く考えれば判る事なんだけれど、

ガラスタイルを切る事に関しては、悩みつつも切っているのだから、切る事では無い。つまり悩んでいる事は張るって事になる。では張る事の何に困っているのか?となると、自分がやっている事を検証すれば簡単に判る事なのだけれど・・・・。

まずこの下絵はどんな下絵か?簡単に自分のデザインでフクロウに見える作品であって、フクロウをリアルに作っている訳では無い。では1作目はどんな作り方をしたか?そして2作目は?って事なのね。まっ何も見なくても人のやる事は想像する事で傾向と対策で思い込むこと無く、こんな事もあるかも・・・

と予想は立てられる。しかも、人はそうそう変わらないって言うのなら、何がどう変わったか?だけを見るだけで十分過ぎる。では、作品を見ないで深層心理のみで想像すると、そうね、作品は自分自身って言うような事を先人の成功者の人達が言うのだから、真剣に真摯に取り組んでいるから、

さくらも上手い下手は別として、確実にその方向で作っているとする。甲乙付け難い大事な2つ・・・そうね、これを例え話の逃げ道が無い話として、2人の子供としよう・・・どちらも大切な事になる。ただ同じお母さんに育てられても、同じようには育たないのね。

それは個々意思を持ったりするから・・・とする。では作品はそのように同じ愛情を持って作っても意思は持たないのだから、変わらないだろうって事になる。単純な考え方ならね。でも、もし女が2人とか、男が2人と言うのなら、慣れなんて事で、1人目より緊張感が薄れたり、逆に1人目を甘やかしたから

2人目は・・・と方針を変えたりしたり、考える余裕も無く必死で1人目って言って、2人目は働くなんて若干目を離したり・・・ほら、たったこんな事で、更に意思を持つ人間なら、同じ人に育てられても、変わって当然な話になる。しかもそこに生活費で環境も変化して行くのだから。

こうして上乗せして置けば、よりモノ作りは自分自身なのだから・・・と追い込めるのね。意思は己のみ。さてそれでは、そうなんだね・・・と受け入れて、じゃ一体さくらはどんな姿勢で作るのだろうか?・・・って事になると、単純な奴だから、1作目よりも上手く作りたい・・と思うだろうね。

じゃ、これを2人目の子供だから、もっとより良く育てたい・・・なんて思うかな?その時点で俺は思い上がりだと思う。そもそも育てる側が成長したとしても、また新しい環境の中、新しい時代でとなるのだから、たった何年しか離れていない・・・と思い込んでいるだけ。

要するに同じ女の子だとしても、同じじゃない・・・と思えば、また1から・・・であり、多少知らなかった知識が経験値により生かされる事がある程度ならば、謙虚な姿勢で臨めるが、そもそもガラスタイルにした瞬間、今までやって来た事は小学生と中学生の違いのように変わるはず。

つまり算数と数学。もはや比べるまでも無い位の差がある。ただ役立つ場合、考え方流れは一緒であっても難易度は名は体を表すなんて言葉通り、同じものなら大学になっても算数で良いはず。つまり大きく変わるはずなのね・・・それが証拠に中学からの数学って言葉は後々に細分化されて、

何か2つに高校になると判れたような気がするのね。さて戻って、さくらはそこで謙虚な姿勢ってどんなだろうか?と考えただろうか?って事になると、奴の事だから、謙虚って言うのは、言葉にすると、私なんかに出来るだろうか?・・・って言えば謙虚だと思っているのでは無いか?なのね。

もしそうならばかちんの典型的な例。何故なら腐っても鯛と言うのであれば、俺が弟子と認めたのだから、何かしら認める事があっての事。それを私なんかに・・・と思っている時点で、私なんかを認めた俺にも言っているセリフになり、師匠は見る目が無いを意味するとは思っていない。

つまりこのセリフに含まれる本当の意味は、自信が無いだけで謙虚なんて何処にも無いと言う事。人に認められるようになったら謙虚であれ。と言っているにも関わらず、単に自信が無い事を口にする。これも力関係として自分よりも上か同等同士ならまだ救われる。

つまりさくらの場合、俺、弟子、そしてキウイ、この辺までの中で私なんかに・・・なら、聞いている方も聞いてられるが、もし自分よりも下の人間に同じセリフを吐いたのなら?一体どんな事になるのか?・・・まっ簡単な話で、ほぼイジメになる・・・って話。

それがカルチャーで起こった。そもそもにわとりの方はぺきぺきで楽しもうとしている。しかもここでしかモザイクをしていないから、今までの総モザイク時間数も計算出来る範囲の事。それなのにさくらがそんな事を言えば、その方はさくらとはレベルが違うから・・・と口にする。

つまりさくらは別格に私よりも上手い人だから・・・って思われているのに、私なんかに・・・と言ってしまったら、私以下の人はどうすれば良い事になっちゃうのだろうか?・・・・もしそこに弟子の自覚があったとしたら?そして謙虚な姿勢で発言をするのなら?・・・

どんなに上手くなったって言われても、上には上がいて、仮に作品は自分って言うのなら、同じ作品の2回目だから、1作目よりも上手くなりたいと思うんだけれど、中々結果が出ないって気持ちになってへこんでいます・・・って言えば、誰も傷付けずに自分自身の問題になる発言に聞こえないかな?

いつまでも謙虚が美徳なんて通用しない事を自覚すべきなのね・・・・。それは普通って生き方の時の場合。まずここを是正出来て立て直す事をしないと、いくらでも精神的なものがグラつくのだから、いくらでも悩み事は尽きない。

では精神論はここまでとして、この程度が何とか立て直せれば、やっと指導らしき指導として技術論に入れる。さてそれでは技術としては、2作目は2作目であっても、新しい素材、新しい気持ち、そう言う意識を持てば、1作目と同様で初心に返れば良いのね。あの時と同じ・・・出来ると良いな。

出来て当然なんてくだらない思い込みをするから、プレッシャーになる。おっと技術論。まずはぺきぺき部分はほぼ前回と一緒なのだから、別に何も教える事も無いし、勝手に進められたのね。だから困っているのはガラスタイル。でも切る事じゃ無さそうなのだから、張る事だと思うのね。

じゃさっきの算数と数学の話。役立つ事もあるし、役立たない事もある。じゃ役立つ事は何か?・・・隣り合わせを順番に張りなさいだったね。それと、大事なものが先。つまり最初に邪魔になるようなパーツが先であり、やった後が、バック・・・つまり毛並みになる。

当然何も無ければ、毛並みを邪魔する事は無いが、横ラインに縦ラインの毛並み・・・明らかに邪魔臭い。その分大変になる。それをやる事は大変になる・・・技術なんか無くても、大変になる自覚さえあれば、覚悟が出来る。つまりさくらは基本である1歩先を読め・・・が出来ていない。

そこが判っているのなら、難しい事をするんだな・・・さっ・・・やるぞって覚悟に意気込みとなるが、上手く行かない、上手く行かないとまるで下手くそに戻ったみたいに自分を卑下し追い込み、そして出て来た言葉が、私なんかに・・・では、そりゃ切ないだろうね。ばかちんがっ。

そもそもガラスタイルは初心者、難しい事をしている自覚、そして意地で進むじゃなくて、悩んでも考えても答えが出なかったら・・・聞く。それを押し通す・・・ってやっていたら、何処に謙虚さなんかあるのかな?・・・・ってな話。

ただ逆を返せば、そんな調子に進めないとならない位、さくら自身が追い込まれている環境だと言う事。って事は、今日のさくらは?となると、私なんか・・・なのだから、立ち止まっている。ただ聞けないだけであって、我が道を進む頑固な姿勢では無い・・・だから聞く耳あってと判断した。

切る事に困っているのでは無いのだから、ガラスタイルに困っている・・・ってザックリした考え方を辞める事。常に何が・・・を考える事。つまりこの場合、張る時に悩んでしまうのだから、切るには張るが付き物で、まだ責任感は薄い。けれど張るは完成に向かう。つまり責任は重い。

ここにプレッシャーが掛かると言う事。それともしパーツ図面があったとしたら?その通りに張れば良いが、そもそもその描いた通りに切れるのか?となると、やっとやっと切ったパーツの合格点・・・ならばそれを使っていかに点数を上げるか?なのか?現状維持なのか?で大きく気持ちは変わるはず。

それをより良く、より良く・・・と思えば思う程、プレッシャーになる。そうじゃなくて、資料を良く見る・・・その時に気が付くと良いんだけれど・・・。そもそも好き勝手な姿勢・・・それがデザインなら、今の毛並みとは何?資料に基づいて・・・つまり革新と保守くらい違うのね。

全く違う事をしているって事。資料を良く見て・・・こんな事1作目でやったか?って事。やるはず無かろう・・・その資料は以前アクアリウムバスで購入してプレゼントしたもの・・・それを見て・・・つまり2作目は好き放題作品では無い事がステップアップだったのね・・・。

上っ面のガラスタイルの素材に気を取られるから、本質に気が付かない。一体毛並みはどっちからどっちに流れているのか?長さはどうか?とか、見るんじゃなくて盗めって言っているのね。こんな考えでは、ごめんねは4文字を言えば良いだけになる。ごめんね・・・は覚悟を持って二度と致しません

って意味だから、またやる奴は言った所でまたやる。その気持ちを持ってして言ったか?言わないか?であり、何を食べたか?では無く、誰と食べたか?の違いを理解出来ないと、俺の言葉は浸透する事は無いだろう。たださくらが調子を崩してもそこまで判らなくなるとは思えないから迷っている。

俺にはそう聞こえる・・・しかも迷って進めないから意地でいつものように進みたいが、立ち止まった・・・って気がする。その時にさくらは1.2.3.4
・・・と物事を順番に考える。一見あってるじゃんと思われるが、そもそも1に覚悟があったか?1に意思はあったか?なのね。

もしそこが薄いのに2.3.4・・・と1の甘さで進んだ時に振り返ると、根本的に1が・・・と思えば、簡単に崩れる。まっ大体失敗する例はこれ。ただそれでは、志なんて覚悟の1を持ってるか?なんて言うと、あはははは、それもばかちん。思い上がりだわっ。そんなの3歳児に無理矢理やらせてる、

教育ママ的発想で、貴方の為だから・・・って単なる押しつけの愛情。でもね、大抵一流ってのはそうした親のエゴで生まれたりすんだけれどね。
つまりそんなのにも当てはまらずに、大抵は友達が・・・とか、やって見たいから・・・・とか、何と無くとか・・・そんな軽い感じでしょ?

それで良いのね。自覚なんてやりたい奴が段々と身に着けるもんだから。ただその場合は後悔は付き物。あぁして置けばとなったりする。だって段々と意識が変わったのだから・・・。つまりそれ自体が成長だったりするのに、受け入れられないから・・・って自分が自分を苦しめる。

違うのね。1も自分がやった事なのね。しかも、1作作った経験値でやった1だとしたら、その時の自分を受け入れて、2でどうしたら挽回出来るか?になるが、仮に1を見てマイナス1に見えたとする。そうすると大きな間違いをしがちなのが、挽回と言うと最低2つ取り戻す事で0になるのに、

3だったり4だったりを意識しようとするのね・・・傲慢だわっ。何処に謙虚があるんだろうか?・・・立て直すって言うのは今以上に崩れない・・つまりキープ程度の話で、大崩れしなければ、挽回の機会を伺えるのに、何しろ突撃ぃぃの人だからね・・・。

つまり自分を変えたいのなら、突撃ぃぃは黙っていても出来るのだから、勉強するのは保守。ただね、一筋縄では行かないのは、人って言うのは感情とか目に見えないものがあったりする。例えば運転やらゴルフ、そして酒癖・・・変わる人いるでしょ?あれあれ。

じゃさくらのモザイクの場合はどうなんだろう?モザイクの時と普段とでは同じなんだろうか?・・・あははは。そこが違う人は複雑だろうね、きっと。別人に見えるだろうから・・・。さてそんな長い話をまとめると、全てこれでおしまい。


これは頼まれた仕込み。桜の花びらを張ったものの、残り時間からバックを引き受ける事になった。じゃさっきの話で、大事なモノから張る。つまり桜。じゃバックは?大事なものがバックなら非大事なモノなのかな?・・・あははは。やりたい放題できるのが桜なら、バックは祭りの後始末。

同じ気持ちでやれるのなら、相当な腕前と何も変わらない精神力となると思うのね。それが違うような気がしたとしたら?・・・何が変わったのかな?
タイルはコロで素材は一緒。普通の人なら花びらは切る、バックは砕く・・・必然と偶然ってね。ただね・・・もしどちらも必然で切っていたとしたら?・・・やってしまった事のフォロー・・・偶然ばかりで入るなら苦労は無し・・・あはははは。

人生もモザイクもやってしまったフォローが出来るのなら?・・・今までとは変わった事になるのかもね・・・あくまで個人の見解。
ただ必要としてくれる人がいるのなら・・・その人には指導となったかも知れない・・・・それなら幸いなのね。

人のフリ見て・・・弟子のさくらの話・・・もし自分にも・・・なんて事があるのなら?変えたい人はご参考にでも・・・。俺は前を歩くのなら、俺のやっている事を見せるだけ・・・・。棚に上げてモノは言わない。

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