katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

KAMEYAさん教室

2017-02-26 07:40:03 | モザイク教室
今日はkameyaさん教室。本日は2名。まずは棟梁だろうね・・・何しろ完成したからね。ただね、まぁ完成まで色々とあったのね。今日はイノシシをやって完成となったのだけれど、何だかやっててぼやくのね・・・何か・・・って。そこで確認をしたのね。一体何色のイノシシにしたいの?って。

すると黄色って言うのね。更にうりぼうなんて子供の名前まで言うのね・・・もう大体これでどうなっているのか?想像は付くのだけれど、もう1つ付け加えると、棟梁は濃い味付けが好きなのね・・・・それを象徴する言葉があって、薄い色を全て寝ぼけた色って表現をするのね。あははは。

それじゃその3つのキーワードを使って説明すると、まずうりぼうから。それではちゃんと画像で確認して・・・と資料を確認して貰うと、あっキバとか無い方が可愛いんだ・・・とか、色々と発見するんだけれど、そうね、その中で良くあるイノシシの特徴を見て貰うと、頭に茶色の3本あったりする。

あっ、これ入れた方が良い・・・とまず追加になる。これが是正の1つ目。必ず資料を確認する事。何しろイノシシを作るって時はイノシシの資料を見て・・・と必ずいつも言っているのだけれど、ついついこう言うデフォルメのような絵はおろそかになるのね。

そもそもイラストレーターや漫画家では無いのだから、そんなに上手くは描けてはいない。けれどついついおろそかにしてしまうのは、簡単な絵だから・・・って油断するからなのね。それが証拠に大作の天使のような方は、何枚もの資料を見ながら作っている・・・だから完全に油断。

そこから生まれた事が、作っている最中にイノシシって頭に3本の茶色が・・・みたいに、今更ぁって事になる。確実に特徴を覚えていないし、描き込まれていない。だからこそ張る前にも確認すれば、再確認もある訳で・・・。では2つ目。次は黄色って話。

まずこのイノシシが黄色って言うか?って話。要するにここに落とし穴がある。そこでもう1人の方に、ぺきぺきの黄色を取って見て下さい・・・と余りにシンプルな事をやって貰うと、これ・・・と明らかに黄色ってものを取ってくれたのね。これが普通。

けれど、棟梁は黄色にする・・・と表現しているのに、その方が選んだ黄色はほぼ入っているのかな?って程度であって、とても黄色のイノシシには見えない。では何故こうなったのか?・・・まっ簡単な話で、自分で勝手に思い込んだからなのね。ではそうなった理由を紐解くと・・・。

そもそも、もしもう1人の方が棟梁と同じように黄色のイノシシにしたいんです・・・と言ったとしたら?当然のごとく、黄色は黄色に見える黄色を主体に作ろうとする。そうね、じゃ例えば幼稚園の子供に黄色持って来て・・・・と頼んだら、恐らくそれを持って来るって黄色って感じの黄色ね。

するとこの途中で、だって山吹色・・・って言うのね。そうそれが悩んで困った理由なのね。この時点で少なくとももう1人の方とは1色ずれた事になる。
このズレがどんどんとズレを起こす事になる。そもそも既にズレている・・・って事を意識する事無く進めるのだから、もっともっとズレる。

仮にもう1人の方が黄色のイノシシって言ったら、棟梁の言う山吹色、つまりトラの顔で使った色の事ね・・・これも入れても良いですか?って感じだろうね・・・きっと。これも・・・つまり、黄色を主体にするけれど、ちょこっと・・・って感じだから、全体には黄色になる。

その薄味の中に茶色を3本頭に乗せれば、はっきりと茶色のが浮き上がるだろうね。つまりキバがあって、頭に3本・・・イノシシね・・・と、見る人に思い込ませる事が出来る。しかも、黄色って自分で言った通りにね。では棟梁は?って事になると、山吹色ってスタートをした。

つまり黄色より濃い目にね。更にここで好みは寝ぼけていない色・・・当然、黄色の方では無く、黄土色の方へワンランク上の濃い方へ行く。さっきの場合は、少なく黄色じゃない色を入れるって形なのに、棟梁の場合は、既に黄色から離れているのに、多めに黄土色を入れる事になる。

しかも、更にもっと濃いのも・・・と入れれば、一番使わない色が山吹色になる。もはや趣旨が変わった。しかも、あっイノシシって頭に茶色が3本あるんだ・・・って言う位だから、それすら入っていなかったのだから、メリハリも無く、黄色でも無くってなる。もはや言っている事は何も・・・。

1つ良い事があるとしたら、きちんと切ってある・・・ほら、ずっと言い続けている切る事が上手くなった人が常に陥る落とし穴・・思い込み。
切る事が上手いから、切る事だけに頼る。そんなこんな中、後はバック・・・となるのだけれど・・・。

そのバックが、ぺきぺきじゃなくて、INAXのタイルだったのね。そのタイルは厚みは一緒なんだけれど、何しろ全体的に薄味で、何しろお洒落なテイストなのね・・・それを切って入れようとするのね・・・そこで確認して・・・全部荷物を片付けて、作品を離れて見て・・・とね。

あっ、薄い・・・だって。あははは、だろうね。だって濃い味付け好きだからね。ここも単なる基本な話で、作る事に一生懸命になり、ただバックを終わらせに行ったから。これが全て1枚で完結の12枚作っているのなら、それでも良いのね。しかし、これは12個セットなのね。

つまりトータルコーディネート。全て揃って1つの作品。何を1つ1つのと一緒の感覚で作っているのか?しかも、この1つは集大成であって、これが最後の1つなのに・・・これで全てが決まるのに・・・。油断にも程がある。じゃ何でこうなるのか?簡単な話で、心ここにあらずだから・・・。

みどりの時と一緒で、大作に下絵が上手く行かないから・・・と俺のデザインの金魚、つまり切るだけの楽をして、下絵が通ると、もう金魚はこれで良いわ・・・って。あれ。棟梁の場合も、大作の下絵に2年も掛かり、途中辞めようと何度もしまいっ放しにしたりして・・・・。

それが今はその絵をポスターみたいに貼ってある。この時点でやる気満々なのが良く判る。つまりみどりと同じで、遊びの作品として単に通過させようとしたから・・・完全に舐めた。油断なんてもんじゃなくて、上手くなって舐めた。だからこうなってしまうのね。

もっと11個のアイテムに失礼にならないように・・・・頑張って来た人が報われるように・・・それが時間を掛けた作品へのねぎらいの作り方。
それを1枚1枚で12個作るなら、そんな難しい事を考えずに、1つ完結。他のバックは何色だったっけ?なんて事も関係無し。

何故なら、12個いっぺんに飾る事は無いのだから。つまりぺきぺきで遊び感覚でやったけれど、何だか途中で遊びの本気なんて曖昧な表現をして、最後の最後に逆転して、本気の遊びになった・・・遊びの本気は本気なのね。本気の遊びは、遊びだから。

どうして最後に変えるかなぁ・・・それは自分の中で次の大作が本気だから。それと比べて軽く見たから。しかも意識無く。まっ、こんなお小言も言うのだから、張り終わった後に目地となれば、ボンド取りもあるし、完成した頃はいつもの倍の時間になってたのね・・・・。

でも、お小言は言われるわ、完成しないわ・・・ではへこむだろうから、何がなんでも完成って事にしたのね。まぁ、遊びの本気の作品にはなったのね。お疲れさまでしたって事になるのだけれど、すぐに大作の方の話になってたのね・・・・あははははは。


長くなっちゃったけれど、もう1人の方も、次に終わるかな・・・って感じになって来た。そんな中、次の遊びの作品の下絵も確認して、下地に写す事まで終わったのね。それを2つ作るらしいのね。こちらも、完成後に総評とするけれど、良く1㎝タイルに耐えてくれたのね。

ここまで出来れば十分楽しむ作品は超えている。人に見せて、良いわぁ・・・とか、素敵ね・・・とか、お褒めの言葉を頂ける仕上がりになっている。ここを通過出来ると、もっと上手く切りたいな・・・・って言う気持ちになったりして、仕上がりに満足する事で、次に・・・になる。

終わる前に次の話が出るなんて言うのは、やる気になっている証拠だから、その結果に満足感があるとも思われるのね。それは何よりなのね。
次回はアトリエなんで、色々と有利な展開で完成になると思われるのね。




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