今日はKAMEYAさんの常連さんの2人の相席教室。それまでの間はウミウシの下絵。まっ、これで下絵はおしまいで良いかな・・・って所まで来た。

こうなって来ると、準備は出来たのだから、後はやる気と覚悟のみ・・・この作品の制作には何の保証も無い中、本当にやるだけの価値を見出せるか?もう一度再確認をしたら、やる事にはなるだろうけれど・・・昨日の店舗を見て来た上で、益々この作品に手を掛ける事が正しい気はしているのだが。
さてそんなこんなの相席教室。この2人はKAMEYAさんとアトリエでの教室の違いをご理解して貰っているので、たわいも無い一見無駄な話のような事が、凄く大事な事が判っていて、でも自分がその中で必要な事は一緒にいても違う・・・そこがしっかりしているのね。
だから、こんなえげつない比喩も笑い話になる。えっと今の話が必要なのは棟梁だけ・・・それが必要になるとこだわりが強くなる・・・。今のリピーターさんはそこまで必要無く、まだ切る事、張る事に気を付けて、相席での会話を楽しみつつ、笑いながら進めば良いのね。でも棟梁への指導は、
感受性みたいな事が必要になる作品作り。作者はどう言う気持ちなのか?ここに出て来る登場人物の気持ちから考えると、どんな気持ちになるのか?って言う感情論みたいな事が必要になるから、ただタイルを丁寧に切って張るって言うような事では済まない。だから手を止めて考えないとならない事もある。
そうね、迷ったり、生みの苦しみなんてもんを味わわないとならないかもね・・・つまりこんな作り方をすれば悩めば空気がよどむのね・・・あはははは。だから相席のリピーターさんには、こっちはよどんだ空気が入って来るから吸わないでね・・・なんて、時より言ったりもする。
それがみどりと棟梁の相席なら二人で似たようなテーマに取り組んでいるのだから、一緒によどめば・・・なんて言ったりも出来る。つまり棟梁はみどりとの相席では教えて貰う事が出来て、逆にリピーターさんの時は先輩みたいに、教えるとまでは行かないにしても、自分はこう思う程度は必要になる。
この切り替えがきちんと出来るようになるだけで、確実に上手くなるはずなのね。そしてそれが出来ると、得る事を得て、与える事も出来る・・・。
それが得る事だけしかないうちは、そこまで止まりであるって事。その意識を持つだけで、何かが変わるものなのね。
教わる事から教えるとまでは行かないながらも、伝えようとする気持ちを持つだけで、その難しさを知ると、今度はまた教わろうとした時に、伝える難しさを知った上で、伝えようとする力を養った上での質問をする事になるので、当然質問が丁寧になる。より繊細な言葉で質問が出来るって事になる。
当然、その繊細な質問はこちらとしては待ってましたとなる。何しろ繊細な話は得意なのだから。そこまで来れば、本気の指導も出来る・・・遠慮無くね。例えば、料理教室だとする。どんな味覚の違いがあろうが無かろうが、塩加減は一緒・・・これが団体の同じ事をする教室。
所が個人レッスンは人それぞれの味覚がある。しかしながら、その味覚の表現を出来ない人へ、どんな指導をすれば良いのか?それが出来ないから、一般的な味付けのレッスンになるのだとしたら?・・・腕がそこそこ付いた人に必要なのは、そう言った質問のやり取りだったりするが、
タチの悪いのは、腕は付いたが説明能力は昔と変わらず・・・それではいくら腕が付いてもそこまで止まりになる。繊細さとは?感受性とは?ってのも能力であって、習うものだったりするものだとしたら?・・・けれどね、切る、張るってのは見える指導だけれど、感受性なんてもんは見えないもの。
こんな目に見えないものが指導?はぁ?って話しでは、とても繊細な話は出来ない。何しろKAMEYAさんでもアトリエでも一緒ならわざわざ来る必要も無いでしょ?・・・やっぱり労力を使った人は誰が見ても上手く見えないとね。教えている方にも張りが無いのね。
ただこう書くと、面倒臭いぃぃって話に聞こえそうだけれど、別に大した話はしていないんだけれどね・・・・ただ切りながら、張りながら、どう思う?・・・この話って?っていちいち色んな話について自分を語るだけ・・・それを適当に体裁で、心無くって言ってしまうと、それで良いのね・・・
って事になるから、それじゃこんな案件では?・・・と追い込まれる事になるかも知れないし、そこで立ち止まっても、きちんと答えられると、単なる聞きながらだったものが、自分の意見も言いつつに変わるから、そこで初めて話しながら・・・の練習をしている訳で・・・。
別に何も話さない相席なら一人でやってても同じで、何処でも一緒。しかも上っ面ではー話しているんでは、気を使っているだけで、うっとしいだけになる。そこを本音で語れるようになると、自分を出した事によって、今までとは違う展開が良くも悪くも変わって来る。
そう良くも悪くもね。まっ簡単に言えば、KAMEYAさんの時は楽しみだけで良かったけれど、アトリエはわざわざ来る事になる。その時点で上手くなりたい・・・と意識が変わった訳で。その意識とは?って言うのが、よどみ過ぎないでね・・・って。あはははは。ご理解されるかなぁ?
ただその結果が勝手に繊細になってる・・・簡単な話でここは寺子屋方式だから。上手い人がきちんと背中を見せれば、それが必要な人は勝手にそうなりたい・・・って思った人はそうするには・・・ってその人に引っ張られるだけ。それを腕だと思っているうちはまだまだ。
腕なんてある程度時間で解決するのね。そこから一つ上に行く為の意識・・・行動を変えるには意識を変えなきゃね・・・けれどその意識とて、信頼あってであり、そう言う点では、ここら辺の関係性が上手く行っているのは、棟梁が安定しているからだろうね。それではそんな棟梁の作品は・・・

ちょっと画像ぶれちゃってるね・・・ただすぐまた来るんで、その時にまた。今の所は何も言う事無し。当然な結果である。

こうなって来ると、準備は出来たのだから、後はやる気と覚悟のみ・・・この作品の制作には何の保証も無い中、本当にやるだけの価値を見出せるか?もう一度再確認をしたら、やる事にはなるだろうけれど・・・昨日の店舗を見て来た上で、益々この作品に手を掛ける事が正しい気はしているのだが。
さてそんなこんなの相席教室。この2人はKAMEYAさんとアトリエでの教室の違いをご理解して貰っているので、たわいも無い一見無駄な話のような事が、凄く大事な事が判っていて、でも自分がその中で必要な事は一緒にいても違う・・・そこがしっかりしているのね。
だから、こんなえげつない比喩も笑い話になる。えっと今の話が必要なのは棟梁だけ・・・それが必要になるとこだわりが強くなる・・・。今のリピーターさんはそこまで必要無く、まだ切る事、張る事に気を付けて、相席での会話を楽しみつつ、笑いながら進めば良いのね。でも棟梁への指導は、
感受性みたいな事が必要になる作品作り。作者はどう言う気持ちなのか?ここに出て来る登場人物の気持ちから考えると、どんな気持ちになるのか?って言う感情論みたいな事が必要になるから、ただタイルを丁寧に切って張るって言うような事では済まない。だから手を止めて考えないとならない事もある。
そうね、迷ったり、生みの苦しみなんてもんを味わわないとならないかもね・・・つまりこんな作り方をすれば悩めば空気がよどむのね・・・あはははは。だから相席のリピーターさんには、こっちはよどんだ空気が入って来るから吸わないでね・・・なんて、時より言ったりもする。
それがみどりと棟梁の相席なら二人で似たようなテーマに取り組んでいるのだから、一緒によどめば・・・なんて言ったりも出来る。つまり棟梁はみどりとの相席では教えて貰う事が出来て、逆にリピーターさんの時は先輩みたいに、教えるとまでは行かないにしても、自分はこう思う程度は必要になる。
この切り替えがきちんと出来るようになるだけで、確実に上手くなるはずなのね。そしてそれが出来ると、得る事を得て、与える事も出来る・・・。
それが得る事だけしかないうちは、そこまで止まりであるって事。その意識を持つだけで、何かが変わるものなのね。
教わる事から教えるとまでは行かないながらも、伝えようとする気持ちを持つだけで、その難しさを知ると、今度はまた教わろうとした時に、伝える難しさを知った上で、伝えようとする力を養った上での質問をする事になるので、当然質問が丁寧になる。より繊細な言葉で質問が出来るって事になる。
当然、その繊細な質問はこちらとしては待ってましたとなる。何しろ繊細な話は得意なのだから。そこまで来れば、本気の指導も出来る・・・遠慮無くね。例えば、料理教室だとする。どんな味覚の違いがあろうが無かろうが、塩加減は一緒・・・これが団体の同じ事をする教室。
所が個人レッスンは人それぞれの味覚がある。しかしながら、その味覚の表現を出来ない人へ、どんな指導をすれば良いのか?それが出来ないから、一般的な味付けのレッスンになるのだとしたら?・・・腕がそこそこ付いた人に必要なのは、そう言った質問のやり取りだったりするが、
タチの悪いのは、腕は付いたが説明能力は昔と変わらず・・・それではいくら腕が付いてもそこまで止まりになる。繊細さとは?感受性とは?ってのも能力であって、習うものだったりするものだとしたら?・・・けれどね、切る、張るってのは見える指導だけれど、感受性なんてもんは見えないもの。
こんな目に見えないものが指導?はぁ?って話しでは、とても繊細な話は出来ない。何しろKAMEYAさんでもアトリエでも一緒ならわざわざ来る必要も無いでしょ?・・・やっぱり労力を使った人は誰が見ても上手く見えないとね。教えている方にも張りが無いのね。
ただこう書くと、面倒臭いぃぃって話に聞こえそうだけれど、別に大した話はしていないんだけれどね・・・・ただ切りながら、張りながら、どう思う?・・・この話って?っていちいち色んな話について自分を語るだけ・・・それを適当に体裁で、心無くって言ってしまうと、それで良いのね・・・
って事になるから、それじゃこんな案件では?・・・と追い込まれる事になるかも知れないし、そこで立ち止まっても、きちんと答えられると、単なる聞きながらだったものが、自分の意見も言いつつに変わるから、そこで初めて話しながら・・・の練習をしている訳で・・・。
別に何も話さない相席なら一人でやってても同じで、何処でも一緒。しかも上っ面ではー話しているんでは、気を使っているだけで、うっとしいだけになる。そこを本音で語れるようになると、自分を出した事によって、今までとは違う展開が良くも悪くも変わって来る。
そう良くも悪くもね。まっ簡単に言えば、KAMEYAさんの時は楽しみだけで良かったけれど、アトリエはわざわざ来る事になる。その時点で上手くなりたい・・・と意識が変わった訳で。その意識とは?って言うのが、よどみ過ぎないでね・・・って。あはははは。ご理解されるかなぁ?
ただその結果が勝手に繊細になってる・・・簡単な話でここは寺子屋方式だから。上手い人がきちんと背中を見せれば、それが必要な人は勝手にそうなりたい・・・って思った人はそうするには・・・ってその人に引っ張られるだけ。それを腕だと思っているうちはまだまだ。
腕なんてある程度時間で解決するのね。そこから一つ上に行く為の意識・・・行動を変えるには意識を変えなきゃね・・・けれどその意識とて、信頼あってであり、そう言う点では、ここら辺の関係性が上手く行っているのは、棟梁が安定しているからだろうね。それではそんな棟梁の作品は・・・

ちょっと画像ぶれちゃってるね・・・ただすぐまた来るんで、その時にまた。今の所は何も言う事無し。当然な結果である。